ちょうど今から「30年前 1989年春 3月」
私は、中国安徽省武術隊に留学していて、本場のメンバー達と共に同じ専門訓練を受けていました。
当然、通訳もいませんし、日本人スタッフも一切いません。
もうこの年には、単身で中国国内を列車の切符も自分で買って自在に移動できるようになりました。
私にとって、当時の中国は楽しくて、たくさんの発見の繰り返しが大きな「学び」になっていました。
昨年2018年11月に、2004年以降14年ぶりに 古巣 安徽省武術隊を訪れて
自分の生きて来た人生で本場中国大陸で学んだ「中国武術」
これまでに一所懸命にやって来た武術人生37年、何かしら、感慨深いです。
これは今になっても変わりませんが、今現在の中国では年々にすべてがリアルタイム進行中で別な意味で驚きです(笑)
時が流れて30年が経ち、日本でも中国でも様々な変化があります。
いろいろと思うことはたくさんありますが、本当に私は、
武術人生一筋で良かったと実感しています。
日本の30年前はバブル絶頂期で、正直、私は好きではありませんでした。
その環境の中で、当時は日本で本場の「中国武術」が何もない状態です。
それでも、人生の生き方を「中国武術」に定め、ひたすら生きて来ました。
東京の狛江という土地で生まれ育ち、20年住んで、開発計画で立ち退きで府中に移転しました。
そこで約10年生活しました。
「東京」では「中国武術」の活動では、何かと組織内での派閥争いやポジション争いが多くてやりにくく、
勤務していた横浜市港北区綱島地区のスポーツクラブで実現した太極拳や、武術の指導の仕事が楽しくて、
通勤時間や、交通費がもったいない、と感じて、そうなったらそうで単身で、横浜市港北区に移転しました(笑)
「思いきりの良さ」というのは大事だと思います。
バブル崩壊、リストラ、そんな言葉が流行り、とにかく、何かよくわからないけれど、”頑張らなければ”
そういう気持ちで出来ることを頑張りました。
それから日本全国は不況が普通で、いつかしら「失われた20年」なんて新聞雑誌報道はいうようになっていました。
移転した私の住む横浜市港北区は、意外に悪影響はありませんでした。
むしろ、あまり興味のなかった「金儲け」は意識しないで、
自分の「質の高い仕事」を目指す、いい機会でした。
そうして時間が流れて「今」があります。
教え子たちも成長して、フィットネス・スポーツクラブ業界で、
普通に職業インストラクターとして活躍できる人材を輩出できるようになりました。
武術の稽古も、毎週に若者たちや、太極拳の皆さんのレベルアップや、
共に活力アップできる楽しさで、いい仕事だな、と実感します。
私は今ちょうど50歳になったので思うことがあります。
私が30年前の20歳で、
当時、バブル絶頂期の10年上だった「30歳」は今”60歳”
20年上だった「40歳」は今”70歳”
思うことは、いっぱいあります。
一番大事と思うのは、
「自分の能力」「自分の心身」
そして、磨き上げ鍛えた「自分の思想哲学」
この3つを得られた喜びは大きいです。
怠けなくて良かった、誤魔化さないで良かった。
正直で良かった。
ただ、それだけです。
人生、まだまだ未来は楽しみです。
来週の月曜日 4/1は「新元号」の発表です。
新しい日本の時代を有意義で楽しい人生にしていく。
私達が可能に出来るのは、武術活動界における""温故知新"
昨年秋10月からスタートした、新生武術院武術隊は皆さん元気に頑張っています。未来は明るい!
人生100年時代、私はこれから「50年」
有意義な50年、いや60年はいけるか、
いや、歴史的最高記録に挑めるか(笑)
この春、楽しいスタートです。
頑張ります!