今年2016年は、残り1か月と3日になりました。

 

今年はフィットネス業界20周年をテーマに、いかに質の良い健全な心身への身体づくりに役立つ実践方法や考え方を多く皆さんにお伝えしてやって来ました。

 

そのお陰もあって、自分の指導における話の内容も「現代日本社会環境」に適したものに集中できたので、

 

またひとつ進歩ができたことも、今年はよかったと思います。

 

やはり、何らかの記念になった年はテーマを集中して、やっていくと物事における必要性や優先順位も確定していくので、

 

これも一つのステップアップに繋がることを知りました。

 

来年は1982年から始まった武術修養35周年になるので、

 

自分のすべての武芸を、総合的に修練を行って、私の身に着けた武術技芸の単練(1人で行うもの)対練(2人で技を掛け合うもの)

 

散手攻防技術や析招(武術用法)を武術系、太極拳系でも多くの皆さんが、安全に楽しくこなせるようにレベルアップを全体で図りたいと思います。

 

日本へ楊式太極拳簡化24式の健康太極拳がもたらされたのは日中平和友好条約の1978年前後からで、その歴史は実は38年間です。

 

ですから私も第1世代の人間で、長く日本国内の武術活動を見て来たので、多くの経験を積みました。

 

私が思うには「今まで」と「これから」の大きな区分を、来年はテーマにやっていきたいと考えています。

 

何故なら1982年当時は私はまだ13歳で、私の周囲でやっていた人は健康太極拳が主流で、1984年からスポーツ競技としての大会も開催されるようになりました。

 

その頃は太極拳では30~40代の人が多く、10~20代も武術を練習する人もいましたが、

 

大体が趣味でやっていて、就職や進学でほとんどが辞めていきました。

 

それに「健康法として」「スポーツ競技として」という考え方が中心での武術拳種や太極拳種目を行う人が比較的多かった事実があります。

 

それに中国大陸へ渡り、武術学校や伝統武術家から正式に学び訓練した人は少なく、

 

今2016年になってまで、ずっと継続して行って来ているのは、私だけだと思います。

 

そんな想いがあって、東京でも活動を行っていましたが宣伝などもうまくいかず普及が思うように進まず、スポーツクラブの仕事で通っていた横浜へ、

 

単身で移り、15年前に本格的な武術の普及活動を始めました。

 

 

横浜で地域密着で始めたその武術活動は、とにかく内容の質を高めることを一番重視して行って来ました。

 

中国武術の特徴は「健身」「修身」「防身」を総合してこそ「中国武術」たり得る、ということです。

 

「健身」は健全な心身を築き上げることが目的で、丈夫な筋肉とバランスの整った骨格、機能性の高い肉体になるものです。

 

「修身」は精神修養で、武術人士としての道徳意識を持つため思想哲学を身に着け、日々実践していくものです。

 

その思想での内容とは、

 

先ず、老子や荘子の「道家思想の心性」

 

孔子や孟子、荀子などの「儒家思想としての規範性」

 

釈迦の説いた「仏家思想での解釈性」

 

そして「孫子」の兵法、韓非子の「法術」などを学び、そうした思想哲学の考え方を基に武術規範として、日頃の生活習慣に活かして精神衛生面でも有意義に世の中の処世術として過ごします。

 

「防身」は、当然武芸としての「武術用法」で、すべての武術拳種には「練打結合」といって、拳脚で技を練り、対人において活用するべくして始めて武術技芸の意味や本質を理解し、

 

武術技法における用法で、力の方向性、角度、力の大小を研究し、距離感に反応し、反射神経、動体視力の能力を高めます。

 

そして「防身」は当然に、歴史長き予防医学での「養生学」から二十四節気における基準を意識して健康かつ健全な身体を築き、現代日本社会環境にも劣悪になりがちな精神面でも、

 

しっかりと「意守:意識を守る」ということで、自分の意識感覚を守ることができるようになります。

 

中国武術界には「文武精神」があり、「文は体なり、武は用なり」という教訓があります。

 

「文は体なり」は、その人が何を言おうとも「見た目すべての心身状況」は、その人の有する「文化教養」「文化資質」の全てが現れている、といいます。

 

「武は用なり」は、武芸が武芸であるには、用いられてこそである、といいます。

 

これは、物事は何でも「用に立つ」ことで成り立つもので、

 

例えば、ハサミは紙を切ったり役立つことで、その用があるもので、武芸における「技芸」もまったく同様であり、

 

誰しも持つ拳脚で、自分の長き努力で技法を身に着け、その技が我が身を技法として守ることができて、精神をも守る能力に精華させてこそが「芸」の本質である、と考えています。

 

武術の技が「用のない技芸」であってはならない、と先人が戒めるのは、時代が変わっても本質を崩してはいけないことを後代に教えてくれてもいます(空想における誤解や、詭弁が流布することも戒めます)

 

ある意味では、現代日本社会にありがちな「ご都合主義」や「無意味なもの」などの複雑化、猥雑化を淘汰するうえでは、大事な思考感覚になると思います。

 

そして、今年は9月4日の大会で、上海の恩師の先生方が来日され一緒に本場の国際大会で「2016年中国武術文化交流大会」を開催し、

 

先生方から、私達日本人で自発的に頑張って行って来た、伝統中国大陸式の武術の普及活動を見ていただき、とても大きな激励を受けて本当に大きな夢の実現を感じました。

 

中国武術観というものが、この世界にはあって、

 

「健身」「修身」「防身」ができてこそ生まれて来る「精・気・神」の世界観や、

 

これは身体の姿勢、表情などの精神面や、武術技法の熟達によって感じられる速度や無駄な動きのない武芸における「機能美」の総称で、

 

「健美:心身から発する健全健康的美意識、美学、美徳」が現れるものです。

 

日本でも多くの皆さんが「カンフー:功夫」へ大きな関心や興味を持たれるのは総合的「健美精神」の世界観のことを指しています。

 

これらは、やはりすべてが揃い包括させなければ、

 

不健全な心身感覚や、不自然な精神、不完全な武術世界観になっていくのも、今までに日本国内で沢山見てきたことを教訓にしています。

 

来年2017年は、こうした武術道徳観や武術技芸、そして武術活動をされる皆さん同士での、

 

「武以会友:武を以て友と会す」を更に高め、

 

いつしか100年後ぐらいに日本へ正式な中国武術世界を伝来させた歴史に我々の名を刻み込む、

 

そんな夢に向かって、皆さんと頑張っていきたいと思います。