上海の名門大学、復旦大学は1905年に設立されました。1954年に復旦大学は全国最先端の国家重点大学となり、今日に至ります。
復旦大学 ウェブサイト1
復旦大学 ウェブサイト2


今現在、想うに、日本人1億2700万人・・
過ごしてきた歴史は変わらない・・
過去にあった事実は誰も、何も、変えられない・・
変えられるのは、今現在を認識した人達が未来へ「挑む」
歴史、とはそういうもの。
武術界も当然に同じ。
息子からパパは生まれない。
娘からママは生まれない。
生徒から先生が生まれることはない。
しかしながら、現代日本社会「捏造」や「誤魔化し」が蔓延り、世間の人々たちが、
「迷いに迷う」環境の共有!?
そんな実情が存在します・・・
私と復旦大学武術協会の縁は、私が1985年3月に上海体育学院武術班に初めて短期留学をして、翌年1986年に同じ全日本太極拳協会東京太極学院から招聘されていた「杜進老師」の師兄弟の渡辺成人さんと2人(中国語の専門学校へ進学した渡辺さん19歳、私は高校3年生18歳)で個人ビザが初めて1ヶ月間認められたので、
2回目の私は、それまでに独学で中国語を勉強し、夏休みを全部使って、2人だけで通訳もなく、自分達だけで安徽省武術隊へ短期留学をしました。
今思うと、なんて無謀で型破りな日本人少年2人だったのだろうと実感します(笑)
当時の中国は、リアルタイムでこんな感じ↓(※思い切り 懐かしい!)
その後、1987年から渡辺さんは復旦大学へ長期留学をし、私は毎年安徽省や湖北省、北京などの武術隊への短期留学の時は必ず上海に入り、古巣上海体育学院へ一度行き、いつも上海体育学院の留学生宿舎にいました。
1989年に安徽省武術隊での留学トレーニングの前後に復旦大学の留学生寮の彼の部屋をいつもいきなり直接に訪ねて驚かせては、武術談義や日本の将来、自分達の人生について語り合いました。
帰国前に、また復旦大学へ渡辺さんを訪ねたら、復旦大学武術協会・武術隊があることを知り、
武術隊の練習に参加しました。
1982年から復旦大学の教授になり、復旦大学武術協会と武術隊を立ち上げ、上海市大学武術協会をも設立した、花妙林老師と、そこで初めてお会いしました。
真ん中、スーツ姿が「花老師」
右側の赤いアウタージャケット姿が「私」

※その後、花老師の人柄や仕事の姿勢には大きく学び、日本での武術普及での仕事の考え方や方法などにたくさんの影響を受けました・・
復旦大学武術協会 武術隊
復旦大学武術協会 武術隊エキシビジョン(シンガポール国際武術大会)
※初めの太極扇の左側が花苑ちゃん、黒服の剣術、鷹爪拳が韋剣くん。
大会後に一緒に記念撮影。

私達の普及活動で提携し、全面サポートをして下さる「復旦大学武術協会」の老師の皆様。
花妙林老師と共に。

韋剣老師と共に。

瞿栄良老師と共に。

花妙林老師
若き名将 韋剣老師
花苑老師
瞿栄良老師
実は、そのまま3日後に上海市大学武術協会主催の上海市大学生武術競技会があって、渡辺さんと武術隊で一緒に練習をしてみたら、花老師が私を気に入って下さり「お前、渡辺と対練をやって出場しろ」と言われました。
花老師に気に入ってもらえた嬉しさから「はい!」と、すぐに答えました。
当時から、あまりよく考えない割には重要な決断をする性格がありました。
それを言った直後から猛特訓が始まりました。
上海体育学院の宿舎に戻ってから、自分で「ええ~、あと2日!!」
翌日も当然の猛特訓、大会当日も直前まで練習をしました。
渡辺さんは個人項目で外国人:日本人ながら、その上海市の大学生の武術大会で優勝しました。
私はその時に感動をしました。
これは今でも忘れられません。
彼が、生涯の武術人生での親友であり、同時にライバルの存在になるだろうと直感で実感しました。
※これは今でも当然にリアルタイムで続いています・・・

大会では日本人大学生(渡辺さんは復旦大学、私は東洋大学)の武術エキシビジョンでの演武でした。
演武内容はうまくいき、大きな拍手と歓迎をされ、打ち上げパーティーは何故か不思議なディスコ大会!?で面白かったです。
そこで後に活躍する「韋剣」くんの師匠の楊中平さんと知り合い、懇意になりました。
この当時での上海武術界との交流は、私の大きな青春の1ページで生涯に忘れられることはありません。
同時に、普通の日本人の武術愛好者ではなく、
上海武術界での武術選手、武術専門家たちとの仲間入りを果たした実感でした。
それは、昨年のシンガポール国際武術大会で、上海や安徽省からやって来た武術教練や武術審判員ともまったくに同格で戦える感覚を感じられた瞬間に、
やって来たことの確実さを実感しました。
花老師の猴棍

私の棍術

花妙林老師は、日本ではまったく「既得権益」組織体の事情や、「本場の中国武術スタイル」を知られて欲しくないという「組織上層部達」の
考える情報不足の事情か、あるいは「認知症」的な事情なのか、
「そういう彼等」とは、距離を置いたので、当然に「日本国内」へは全く知られてはいませんが、
(※旧型勢力だった北京派閥での工作活動が影響して、意図的に情報を広めないように行っているようにも感じます)
中国では、2003年から始まった武術高難度動作の中国全土での競技ルール策定での委員になり、
同時に難度動作ルールでの審判業務の采配方法を作った委員の1人になりました。



現在は、中国国内の全国大会での審判長と国際武術大会の審判長を務めています。
そして更に上海武術協会の運営執行部のナンバー2になりました。
2007年 杭州国際武術大会で真ん中が花妙林老師、左が渡辺さん、右が自分。

1999年に横浜へ拠点を移したことがきっかけで、横浜と上海は友好都市であり、島国根性で出無精な日本人の武術組織関係のこともあり、
2002年から、上海国際武術博覧会の組織委員の担当の依頼を引き受けることになりました。
花老師に学んだ「猴棍」
私の槍術

渡辺さんの猴棍

渡辺さん家族を箱根の温泉へご案内(笑)

こうして、今時間が過ぎると不思議です。
我が国の政財界全体を上げて恥ずかしくもなく謂う「失われた20年」
誰も、それに何も意見もなく、黙って共に連帯する現代日本社会人たち・・
私たちは何も失うものはなく、確実に、
伝統中国武術界での共通した、「功夫:カンフー=能力、腕前、時間の総称」
努力、忍耐を続けに続けました。
本場の中国武術界の感覚や方法とはまったく異なる、自家製的で日本国内にありがちな「中国武術的」な世界観に違和感を想い、
彼等からは反感を買い、独自の発展計画を立てて、今日まで有り難くやって来れました。
やはり、中国の恩師への感謝の念を実感します。
今現在はようやくインターネット社会の到来で「ユーチューブ」などの本当の本場スタイルの武術界の映像も気軽に誰でも、見られるようになったことは、
非常に好感を持っています。
2013年に花妙林老師の来日で、一緒に日本国内の武術界を「明るく楽しく活気ある本場中国武術スタイル」をバンバンと広め活性化しようと花老師と結束し一緒に永く頑張ってやって行こうと新時代型の武術活動を開始しました。
2014年 復旦大学武術協会での研修「龍舞」
先頭が花妙林老師、尻尾が韋剣老師。
こうして、私の教え子達も成長し、次世代の武術発展に向けた交流活動を引き継いで頑張ってもらうのは、これから先の国際交流の面でも重要な位置を占め、
将来的なオリンピック項目化の実現を目指した事業でフィットネス業界での仕事でも大いに役立つと思います。
上海への出発まで、1ヶ月ともう少し、毎日の準備活動も楽しく実感しています。
よろしくお願い致します。
↓以下、研修にご参加される皆さんへの資料です、適当に回しまくって下さい(笑)
上海 地下鉄 路線図
↑上海市地下鉄路線図 「復旦大学の学校区は「五角場」
北区体育館と武術班研修で使う宿泊ホテルの近くは「江湾鎮」駅から徒歩10分
バス停留所は「武州武東路」
五角場
復旦大学 学校付近の地図
※復旦大学武術協会の所在は北区体育館。地図では左斜め上の位置。
復旦大学 ウェブサイト1
復旦大学 ウェブサイト2


今現在、想うに、日本人1億2700万人・・
過ごしてきた歴史は変わらない・・
過去にあった事実は誰も、何も、変えられない・・
変えられるのは、今現在を認識した人達が未来へ「挑む」
歴史、とはそういうもの。
武術界も当然に同じ。
息子からパパは生まれない。
娘からママは生まれない。
生徒から先生が生まれることはない。
しかしながら、現代日本社会「捏造」や「誤魔化し」が蔓延り、世間の人々たちが、
「迷いに迷う」環境の共有!?
そんな実情が存在します・・・
私と復旦大学武術協会の縁は、私が1985年3月に上海体育学院武術班に初めて短期留学をして、翌年1986年に同じ全日本太極拳協会東京太極学院から招聘されていた「杜進老師」の師兄弟の渡辺成人さんと2人(中国語の専門学校へ進学した渡辺さん19歳、私は高校3年生18歳)で個人ビザが初めて1ヶ月間認められたので、
2回目の私は、それまでに独学で中国語を勉強し、夏休みを全部使って、2人だけで通訳もなく、自分達だけで安徽省武術隊へ短期留学をしました。
今思うと、なんて無謀で型破りな日本人少年2人だったのだろうと実感します(笑)
当時の中国は、リアルタイムでこんな感じ↓(※思い切り 懐かしい!)
その後、1987年から渡辺さんは復旦大学へ長期留学をし、私は毎年安徽省や湖北省、北京などの武術隊への短期留学の時は必ず上海に入り、古巣上海体育学院へ一度行き、いつも上海体育学院の留学生宿舎にいました。
1989年に安徽省武術隊での留学トレーニングの前後に復旦大学の留学生寮の彼の部屋をいつもいきなり直接に訪ねて驚かせては、武術談義や日本の将来、自分達の人生について語り合いました。
帰国前に、また復旦大学へ渡辺さんを訪ねたら、復旦大学武術協会・武術隊があることを知り、
武術隊の練習に参加しました。
1982年から復旦大学の教授になり、復旦大学武術協会と武術隊を立ち上げ、上海市大学武術協会をも設立した、花妙林老師と、そこで初めてお会いしました。
真ん中、スーツ姿が「花老師」
右側の赤いアウタージャケット姿が「私」

※その後、花老師の人柄や仕事の姿勢には大きく学び、日本での武術普及での仕事の考え方や方法などにたくさんの影響を受けました・・
復旦大学武術協会 武術隊
復旦大学武術協会 武術隊エキシビジョン(シンガポール国際武術大会)
※初めの太極扇の左側が花苑ちゃん、黒服の剣術、鷹爪拳が韋剣くん。
大会後に一緒に記念撮影。

私達の普及活動で提携し、全面サポートをして下さる「復旦大学武術協会」の老師の皆様。
花妙林老師と共に。

韋剣老師と共に。

瞿栄良老師と共に。

花妙林老師
若き名将 韋剣老師
花苑老師
瞿栄良老師
実は、そのまま3日後に上海市大学武術協会主催の上海市大学生武術競技会があって、渡辺さんと武術隊で一緒に練習をしてみたら、花老師が私を気に入って下さり「お前、渡辺と対練をやって出場しろ」と言われました。
花老師に気に入ってもらえた嬉しさから「はい!」と、すぐに答えました。
当時から、あまりよく考えない割には重要な決断をする性格がありました。
それを言った直後から猛特訓が始まりました。
上海体育学院の宿舎に戻ってから、自分で「ええ~、あと2日!!」
翌日も当然の猛特訓、大会当日も直前まで練習をしました。
渡辺さんは個人項目で外国人:日本人ながら、その上海市の大学生の武術大会で優勝しました。
私はその時に感動をしました。
これは今でも忘れられません。
彼が、生涯の武術人生での親友であり、同時にライバルの存在になるだろうと直感で実感しました。
※これは今でも当然にリアルタイムで続いています・・・

大会では日本人大学生(渡辺さんは復旦大学、私は東洋大学)の武術エキシビジョンでの演武でした。
演武内容はうまくいき、大きな拍手と歓迎をされ、打ち上げパーティーは何故か不思議なディスコ大会!?で面白かったです。
そこで後に活躍する「韋剣」くんの師匠の楊中平さんと知り合い、懇意になりました。
この当時での上海武術界との交流は、私の大きな青春の1ページで生涯に忘れられることはありません。
同時に、普通の日本人の武術愛好者ではなく、
上海武術界での武術選手、武術専門家たちとの仲間入りを果たした実感でした。
それは、昨年のシンガポール国際武術大会で、上海や安徽省からやって来た武術教練や武術審判員ともまったくに同格で戦える感覚を感じられた瞬間に、
やって来たことの確実さを実感しました。
花老師の猴棍

私の棍術

花妙林老師は、日本ではまったく「既得権益」組織体の事情や、「本場の中国武術スタイル」を知られて欲しくないという「組織上層部達」の
考える情報不足の事情か、あるいは「認知症」的な事情なのか、
「そういう彼等」とは、距離を置いたので、当然に「日本国内」へは全く知られてはいませんが、
(※旧型勢力だった北京派閥での工作活動が影響して、意図的に情報を広めないように行っているようにも感じます)
中国では、2003年から始まった武術高難度動作の中国全土での競技ルール策定での委員になり、
同時に難度動作ルールでの審判業務の采配方法を作った委員の1人になりました。



現在は、中国国内の全国大会での審判長と国際武術大会の審判長を務めています。
そして更に上海武術協会の運営執行部のナンバー2になりました。
2007年 杭州国際武術大会で真ん中が花妙林老師、左が渡辺さん、右が自分。

1999年に横浜へ拠点を移したことがきっかけで、横浜と上海は友好都市であり、島国根性で出無精な日本人の武術組織関係のこともあり、
2002年から、上海国際武術博覧会の組織委員の担当の依頼を引き受けることになりました。
花老師に学んだ「猴棍」
私の槍術

渡辺さんの猴棍

渡辺さん家族を箱根の温泉へご案内(笑)

こうして、今時間が過ぎると不思議です。
我が国の政財界全体を上げて恥ずかしくもなく謂う「失われた20年」
誰も、それに何も意見もなく、黙って共に連帯する現代日本社会人たち・・
私たちは何も失うものはなく、確実に、
伝統中国武術界での共通した、「功夫:カンフー=能力、腕前、時間の総称」
努力、忍耐を続けに続けました。
本場の中国武術界の感覚や方法とはまったく異なる、自家製的で日本国内にありがちな「中国武術的」な世界観に違和感を想い、
彼等からは反感を買い、独自の発展計画を立てて、今日まで有り難くやって来れました。
やはり、中国の恩師への感謝の念を実感します。
今現在はようやくインターネット社会の到来で「ユーチューブ」などの本当の本場スタイルの武術界の映像も気軽に誰でも、見られるようになったことは、
非常に好感を持っています。
2013年に花妙林老師の来日で、一緒に日本国内の武術界を「明るく楽しく活気ある本場中国武術スタイル」をバンバンと広め活性化しようと花老師と結束し一緒に永く頑張ってやって行こうと新時代型の武術活動を開始しました。
2014年 復旦大学武術協会での研修「龍舞」
先頭が花妙林老師、尻尾が韋剣老師。
こうして、私の教え子達も成長し、次世代の武術発展に向けた交流活動を引き継いで頑張ってもらうのは、これから先の国際交流の面でも重要な位置を占め、
将来的なオリンピック項目化の実現を目指した事業でフィットネス業界での仕事でも大いに役立つと思います。
上海への出発まで、1ヶ月ともう少し、毎日の準備活動も楽しく実感しています。
よろしくお願い致します。
↓以下、研修にご参加される皆さんへの資料です、適当に回しまくって下さい(笑)
上海 地下鉄 路線図
↑上海市地下鉄路線図 「復旦大学の学校区は「五角場」
北区体育館と武術班研修で使う宿泊ホテルの近くは「江湾鎮」駅から徒歩10分
バス停留所は「武州武東路」
五角場
復旦大学 学校付近の地図
※復旦大学武術協会の所在は北区体育館。地図では左斜め上の位置。