鳥居前

今日は、今年になって3回目の「鎌倉詣で」です。

鶴岡八幡宮

鶴岡八幡宮3

実は昨年、2015年の11月に京都・京丹後市を訪れ、

京丹後を想いながら鎌倉へ

日本の平安京の歴史、そして後の関東東国武士団が支え、

武将 畠山重忠 終焉の地を訪ねる 

東の京都、鎌倉と「鎌倉時代」その「人間関係」を研究し考え、

現地を歩み「今まで」と「これから」の時代の趨勢へと歴史から学び、

そこから、思いに思うこと:事象が沢山ありました・・

鶴岡八幡宮4

大銀杏前


1回目は佐助稲荷と銭洗い弁財天、2回目は来月の鎌倉ハイキングの下見と鎌倉宮へお参り。

「世界人類が平和でありますように:MAY PEACE PREVAIL ON EARTH」

ふと 鎌倉の山道で

そして今日は3回目の鶴岡八幡宮を、久しぶりに若宮大路を通ってから参詣しました。

若宮2

八幡宮2

八幡宮


思えば、現代日本社会の全人口1億2700万人。

考えなくていい、という人は多いとも感じています。

そして何故、こんなに多くの問題が・・

と考えれば、より幸福に幸運を・・

と思えば考えて「知的な格闘」の力を高めなければならない時代だと思っています。


私にとっての「鎌倉」への想いは強く、ひとつは私の本籍は埼玉県深谷市で、

かの地は、初代、征夷大将軍 源頼朝を武功で大いに支え「佐助稲荷」を建立し、

鎌倉幕府創設に大きな貢献をした武将の範、畠山重忠を輩出し、

深谷上杉家が創始した北鎌倉の明月院など、

ゆかりある由縁の地で、

12年前に父が他界してから、父が成し遂げられなかった人生への思いを受け継ぎ、

我が「家系」の血筋への遺伝子的な思いを感じます。


若宮


私は基本的に神社仏閣へ訪れて「願を懸ける」ことはなく、

「達成」へのお礼か「誓い」へのご報告しか行いません。

前の2回は達成への御礼、

そして今回は、この2年間ほどでの国際情勢での変化での結果を受けた、

今現在リアルタイムで日本国内の政財界が混乱の動きを起こし始めました。


2009年の秋に、参詣した時の「大銀杏」の凛々しい姿。

鎌倉大銀杏

鎌倉大銀杏


2010年 3月10日 大銀杏倒木

2011年 3月11日 東日本大震災


その来るべき新時代への活性化への「誓い」を深く想い、参詣をしました。

私は家系の血筋からか、少年時代の頃から、

やはり多くの利権や権力関係に絡む動きの潮流を中に居て常にそれらを見て育って来た人生でした。

亡き父は、私の生まれ住んだ町、狛江市の行政市議会関連で多くの経済的負担や労力的負担の中で尽力し、後に選挙関連の運動の中で裏切られ、それは「罠」だったのか、不本意に沈んだ過去がありました。

「真剣」「質素」「倹約」を主義とする私の家系は、この戦後日本の米国式資本主義社会、

「長いものに巻かれろ」「寄らば大樹の陰」

逆に「無駄に長いものに巻かれる」のを拒否し、

意味のない「腐りかけた大樹の陰に近付いても意味はなし」と宣言しながら同時に実行をしました。

私も、旧時代型の餓鬼道地獄のような誰も勝者のない「格闘技系」「新武道系」「中国大陸とは関係のない中国拳法系」「太極拳世界」

「魔都:東京」時代には、かなり多くのダメージを受けたように感じていました。


しかしながら、古都鎌倉に近い横浜を拠点に構え、

三種の神器とも謂える、

中国武術文化の「三種の神功 武術:武芸十八般 太極拳 健身気功・導引術」

を2001年から地域密着に根付いて、ローカルにグローバルを持ち込み、活動を始めてひたすらに15年。

今は、この「地」は絶対にマイナス・ダメージを受けない領土でのようやく「領主」のポジションには立てたと実感します。

兵法剣術

2015年第8回交流会3


そこには、大いに支えて下さる仲間の方々に大いに感謝しています。

我々の今の活動では、現代日本社会の大きな問題を受けていても我々の協力内で解決できて、

解決・解消した方々はより強くなっています。


そして、さほど大きな勢力ではなくとも、

絶対に冒されない「聖域」は完全に確立を出来て、今現在更に成長し続けている「我等の自信」になっています。


今季節は、一昨日が今年初めての満月「元宵節」昨日は「十六夜」

今日は、また時候が「一進一退」そして1~2週間後が「三寒四温」

「陰から陽へ変わり」

「大は小へ、小は大へ」

「小行き、大来る」

落ちた枯葉は朽ちて、土に吸収され消え去るように、

この冬の地中深く、蓄えた力は、小さな蕾となって今私達の眼前に、

大自然が、未来永劫に変わりなく続く大いなる不変なメッセージを送ってくれています。


かつての鎌倉五山、中国人系列建長寺派と日本人系列円覚寺派にもあったような、

中国との関係は問題がなく良好に、

日本国内にある中国との関係は、いち早く解消。

「不運な、第1次鎌倉時代」は過去。

「幸運な、第2次鎌倉時代」が未来。


鶴岡八幡宮2


そんなことから新時代での「いざ、鎌倉」

今の自分は、

「死ぬことのない、畠山重忠」

「追われることのない、源義経」

「外交問題からの失敗が発端で起こることのない元寇」

かつて天武天皇が、日本人を唐へ送り、道教を学ばせ新道士として帰国させ修験道を広めた歴史的背景があるように、

新しい時代で修験道の従者として、その「鎌倉から、いざ 出陣!」