日吉の丘公園

今日は先ほど、午前中は野外太極拳の練習に指導に行ってきました。

振り返れば東京から横浜へ移って来たのが、今から17年前。

一番長く住んだ東京の狛江市で18年、途中大学時代に板橋へ下宿で2年、実家が引っ越して府中市に9年住んだので、あと1年の来年で自分の人生で一番長く住む町になります。

今の時点で、この今住む土地がとても好きなので、おそらくずっとこの地で生涯頑張っていくと思います。

そして2002年から、始めた野外太極拳教室も開始してすぐに活動が根付き今年で14年めを迎えました。

途中、5年前の2011年の1月から、日曜日と火曜日に分かれて小高い丘の上と河川敷での1年間を通した陰陽、風水を体で理解し丈夫な身体づくりをする練習活動を開始しました。

週2回の野外練習会を行うことで、本当に皆さんが心身が丈夫で、真冬の寒い時も、真夏の熱い日も楽しくみんなで元気な活動を行えることを嬉しく思っています。

そんなこんなを設立当初から頑張って下さる皆さんとの思い出のやりとりもとても楽しいものです。

今日は、偶然にスタートからのメンバーの男性の方に、

「先生の太極拳や気功は成澤式ですか?」と聞かれました。

私は「元々のスタイルや動作は中国で学び、学校では技能強化訓練を受けたものですが、指導でのプログラム構成や教学法と中医学と現代医科学を合わせた理論を紹介していくやり方は私のオリジナルですね」と答えました。

「じゃあ、やっぱり成澤式なんですね」と言われ、

「中国の伝統文化関係は継承とか創始とかがあって表現が難しいのですが、例えれば孫子の兵法の十三編を作ったのが曹操で、オリジナルの孫子は孫武の理論になります」と答えました。

会員さんは「なるほど~」と言って、それから今日も元気に頑張っておられました。

それから帰り際に、いろいろと考えました。

思えば確かに16歳から中国の師に動作を学び、師の前で練習し、その後は武術隊での訓練があって、20代はずっとそうした訓練が中心でした。

大学では中国の思想哲学を勉強し、以前に師の言っていた言葉の引用や、そうした関連の学問を勉強し何かしら思うことがあると紐解くようになりました。

30代で再び上海体育学院で養生項目を勉強に行きましたが、数日間の短い時間内で動作と理論を学び、関係書物を頂いて帰国して、

自ら練功に毎日打ち込んで、中国古典の養生理論を読み解き、それを日本語に訳した意識を含めて実践し、

功法そのものが何を如何にするものかを解明できたことから、指導での教学法にと取り入れて行って来ました。

2002年から再開した上海での学びは短い時間でしたが質を上げ、翌年に先生に見てもらうことで、再認識を高め、こうした連続で功を練り、理論を解明して指導にも活かしていった、というのが正式な見解だと思います。


思えば、いつでもこう考えていて、

何も知らない少年時代から、何でも応えてくれて、教えてくれた師への敬意をいつも持っているので、

自らのオリジナルだ、とか世間には、簡単に、「〇〇式」とかで目立とう精神っぽくやっているのを見て、快く思わなかったので、

自分を「成澤式」とは、あまり言わなかったのですが、

確かに「成澤式」になっていることを、言われて初めて認識しました(笑)

気付けば、こんなにも長い時間が経っていたことさえも不思議です。


中国の学校でも多くのお世話になった先生方も定年退職で引退され、

消息が確認できない先生もあります。


今年は、そうした意味も含めて意識の転換点の年になっている気がします・・・