神木 大銀杏

本場、中国の武術界と共に連携して活動していると必然的に身に着けなければならない「知性・教養」の有無が重要になって来ます。

日本国内には大体が健康法での体操感覚でのひとつとして、またはスポーツ競技感覚中心、そして伝統的武術拳種の練功を中心とした活動をされているように感じます。

そのためか、同じ趣味感覚での持ち主と集まり、レクリエーション活動重視で歴史長き「武術文化」における精神論や思想哲学には多くが関心を持たれない印象を受けています。

私自身は20代半ば頃から、やはり一人間の感覚として思想哲学や歴史長き真の「不老長生」の功法などに関心が強くなりました。

何故なら、生老病死という仏教的概念の中において、自分自身も理不尽な「現代日本社会」の中で生きてきて、更にその中でもずっと生きていくうえで年長者になればなるほど、

あるいは指導する者として、持たなければならぬ感覚を「少年易老學難成:少年老い易く学成り難し(しょうねんおいやすくがくなりがたし)」という言葉から感じ、進学した東洋大学の講義で日本文学だけでなく、漢学をも学び、そこから更に自分で掘り下げて勉強をするようになりました。

そして19年前からフィットネス業界で仕事を始め、世間一般日本人の生活習慣から起こされる「生活習慣病」の原因や理由をも医学的見地から把握できたことで、

健康不安を「解決できない多々の人々」の原因と理由があることの事実は判明し、

逆に「心身が健全で健康な多々の人々」の原因と理由の事実も解ったことで、

それから日々の精進や研鑽で思うことがたくさん増え、

同時にその頃に、また中国でのトレーニングと勉強で訪れていた中で「中国武術理論概論」の書物を入手し、そこでも勉強と実践活動をも始めました。

帰国後に、ゆっくり熟読をする中で、解ったことは、

やはりその書物に記述されていた内容に「中国武術界における思想哲学は、孔子の思想の儒家、老子、荘子の思想の道家、釈迦の思想の仏家の3思想の融合にある」とあり、

私は直感で「長く中国武術界での習慣や考え方、しきたり、礼儀などは全部この思想文化背景にあったのだ」と改めて理解できました。

そうして常に身近に、伝統中国の思想哲学の書物を置き、何かしらと想う・感じることがあれば、ひもといて自らの思考と照らし合わす習慣が出来ました。

そして時間が経てば経つほど「知性・教養」の重要性を実感します。


そこで私は故に武術活動を行う運営責任者として、持つようになった意識や思考感覚の由来を皆さんにも知って欲しいこともあり、

「儒教:儒家思想」「道教:道家思想」「仏教:仏家思想」という古来の感覚で、

儒家思想的 規範性:論語、中庸、大学、孟子 荀子

道家思想的 心性:老子、荘子

仏家思想的 解釈性:各自各自の家系により縁にある仏法意識。

(※私個人としては真言宗、空海、道元、一遍の思想を尊んで学び方針にしています)

法家思想:韓非子

兵法思想:孫子

私たちの武術活動の中では、こうした根幹思想の考え方から行うようにしているので、各自各自で関心の高まった時には是非、これらから学ぶように、と普段からお伝えしています。


同時に日本国内における方々での意見や所感で「武術活動」でのレベルアップや影響力の高まりに欠ける原因や理由結果も、そこからいくつも総合的に見ると安易に判別ができました。

そして気の毒に感じたことで、そうした活動の中での、不本意さの念を感じる言葉を聞く度毎に、

やはり「少年易老學難成:少年老い易く学成り難し(しょうねんおいやすくがくなりがたし)」「因果応報:原因と結果は応じて報われる」「自業自得:自ずからの業は自ずから得られる」の言葉が脳裏をよぎりました。

私はこうした経験から今感じているのは、現代日本社会の中では、自らが相手に「気を遣って善くなって欲しい」と願った思いや言葉でも、

相手には全く通じない頑固さや自己都合解釈が多く、逆にこちらへ反逆的なアクションを受けるようなことも、かつては多々あり、残念な思いを感じることもありました。

しかしながら、習慣的に深き伝統思想哲学にふれていると、何の気もなしに「向こう側から」こちらの方へと飛び込んで教えて下さるものもよくあります。


法華教 妙法蓮華教 方便品より、

「生と死の回転(輪廻)の苦悩は”さとり”の境地に達して終わる」

「現象に判断して偏見を抱き、うぬぼれている無知な愚か者たちに信じられることはないだろう」

「何故だが判らないが、五種の穢れのある時代には、悪意のある輩や凶悪な輩がいるものだ、欲望のために盲目となった愚か者たちは決して”さとり”を心掛けることはない」

「彼らの心はねじれ、高慢で、不実であり、頑固で無知で愚かである」

「理知を離れた貧困な人々を見る、彼らは、生と死の回転(輪廻)に陥り、苦難の道に閉じ込められ、更に苦悩の連続の中に留まっている」

「”さとり”を心掛けぬ、愚か者たちは未来において、彼らは経典を捨てて、常軌を逸し、地獄へ墜ちてゆくであろう」

「人々が苦悩にさいなまれているのを見て、その場合の中にでも、平安な境地を得られるのだ」

「数多くの幾千万億の人間を、唯ひとつの乗り物に乗ることができるように成熟させるのだ」


今、世界は大きな変化に巻き込まれていて、私たちの日本もその影響下にあります。

そんな時代の中でも、こうした素晴らしい思想哲学があり、

我々には、中国武術拳種、太極拳などの十八般武芸、五禽戯、導引術などの健身気功と養生学を身につけています。

今こうして33年間の中国武術修練を経て、自分自身の身体は、どんな環境でも動かせる「乗り物」になった実感を思います。

これからは、多くの皆さんが、その偉大な「乗り物」に乗ることができるように活動で広めていく努力を心掛けるだけに感じます。

こうした感覚には、ただ感謝の念を思います・・