青空

昨日の休日は午前中に湘南の海に入り、ボディー・ボードをしていました。

私の夏はもう横浜に来た16年前から初夏を感じた頃から海に入り、ボディー・ボードをするのが恒例になりました。

一時期寒い期間にもウェット・スーツを着て行っていましたが、地元ローカルのサーファーと始終一緒も大変で、やはり夏の明るさや楽しい空気の溢れる夏が心地良いので夏季限定でやるようにしました。

夏の富士

昨日は風が強かったですが、冬場でもないのに、海岸から富士山がくっきり鮮やかに見られ、久しぶりに清清しいひとときを過ごせました。

青空の下、大きく広がる海の水平線を眺めて、静かにのんびり時間を過ごすと、山の中にいる時とは、また別の心地良い空間にいられます。

夏は海

そこで、何となく、呆然とした時間に心身を委ねていると、自ずから何かしら、物事における「因果:原因と結果」について自然から答えを教えてもらえることがあります。

先ず、当然に波乗りをすることに思えば、

風と波。

波


風があるから、波が起こるのか。

あるいは、

波(水)は、風が吹くから起こるのか。

また、あるいは両者があるから起こるのか。


そんなことを考えます。

そして人(私)は、波も風も、ここへ来なければ関係がないのに、何故に「此処・海」へ来るのか。

「三才:天・地・人」

そんなことに思いを馳せていました。


そして応用して、別の物事を考えれば、

上と下。

下が悪いから、上が悪くなったのだろうか。


愛着という感性も、好きになりたい情感から、愛情が生まれるのか、

または、愛情が先に出来てからこそ、好きになる情感が生まれるのか。


または、

個人と組織。

個人があるから、組織があるのか。

あるいは、

組織があったから、個人を評価するようになったのか。


景気や経済では、個人が悪くなったから、財界が悪くなったのか。

世の中では、個人が悪いから、政が悪くなったのか。







そんなことを繰り返しているうちに、

波に乗れた時に悟ります。

この、波に乗れたことこそが良い。

机上の空論、存在しない理屈は意味がない。


滝の水は、止められることなく流れ落ちてくる。

海からの波は、止めることなく押し寄せてくる。


「物事」そして「存在」

大自然の法則は、それぞれが、それぞれに、そのものに、すべてにすべてが重要で、無駄はない。

直感、本能と確実な近未来予測。

「因果応報:原因と結果は応じて報われる」

今の日本は、戦後日本が悪くなった原因について、国民の多くが問うている。


善き方へ行こうと頑張っている。

そうだ、頑張ろう、純粋に。


今日の木曜日は朝~午後~夕方とレッスンは充実していました。

大自然から元気をもらって、皆さんの前に立てる。

そしてまた皆さんからの元気を受けて、自分の今がある。


そんなことを想うと、嬉しく楽しく感じて、

何か、世の中のすべてに感謝の意を感じられます。

実は、それが、こんな理不尽に思える現代日本の社会の中で、でも・・・