ようやく最近の日本全体で武術活動が活発になってきて、以前に比べて関心が高くなってきたようで非常に好感を持っています。
やはりインターネット社会になり、多くの情報を得られるようになってきたことは今後益々中国武術の普及や発展に繋がっていくことと思います。
そこで、私の経験から感じることは武術競技選手の所属する「武術隊の独立」というのは、とても大事になってきます。
日本国内の運営組織は機構的に「協会」を創設して、各教室を増やし、全体的な総数を増やして存在感を高め、そこに価値を置くようにして更に会員を増やす、というシステムを持っています。
日本国内ではそうした協会が手配して「武術隊」を組織し、太極拳会員さんのお子さんやお孫さんを選手として育成していくような傾向があります。
一つモデルを作ると、やはり日本人は海外に特に今の安倍政権が敵視政策を行う環境では中国へ行く、ということはかなり少ないこともあり、当然日本式モデルを踏襲して行っていく傾向があります。
私の所感では、そういうパターンでは大体が20歳以降は他のスポーツや他の世界に憧れるようになり身内世界から卒業していく人が多くなっていきます。
他の競技アマチュア・スポーツ組織にも、そうしたパターンはありますがメジャー競技であれば、他からもどんどん転向組や新しく興味を持つ人が加わるので全体的な総数は増加するので問題はありませんが、
2006年以後に難度競技の普及の準備を始めて、海外勢からスタートの出遅れた日本国内の武術競技界は、大体、今の武術競技選手での年代は進学、就職という問題に直面するので、近い将来的にこうした流れになっていくと思います。
その中で、私の思う感想では日本国内では「武術隊の独立」というものが重要になってくると思います。
本場中国では、各省、市、地区に武術協会があり、各省に武術隊があり、市と地区から選抜された選手は質のよい衣食住の環境を与えられて、毎週末に給料が与えられていました。
優秀な選手は競技会でランキングに合わせてボーナスが貰えました。
選手を引退すると、とても有能な者は省の協会の職員に抜擢され指導者、など経営陣に入ります。
そして日本では全く知られていないと思いますが「武術隊」の構成は先ず「領隊:監督」「高級教練:名誉師範」「総教練:ヘッドコーチ」「副教練:サブコーチ」「隊長選手」「一般選手」となっています。
その他は上海や北京とかの体育大学に進学し教学法などの専門技能を学び武術理論も教わります。そして大学武術隊の選手として活動したり、指導者として働くようになったりして、そこから有能な者は大学武術協会の職員になり、審判員や研究員になり、
武術競技の現場に出たり、医科学チームに入ったりしてここで総合的なサポートシステムが出来ていくことで、質の高いトレーニングが行えるようになり、医学サポートが着くことで安心した武術普及システムが出来ています。
海外では多くが体操などのスポーツ専門チームが武術競技を早くから関心を持ち、2001年の北京五輪を誘致し、そこから活発になっていました。そしてエキシビジョン大会の2008年北京五輪武術競技会の設営の確定が決まった頃にはもう本格的な活動に入っていました。
現在のヨーロッパやアメリカ、東南アジアはこうした流れに合わせて相互発展に結び付けて行きました。
(※日本国内は、大体「何が日本では欠けているか」を多くが理解しているだろう、と思うので皆さんの「これからの活動」の質にすべてが懸かっている、と言っていいと思います)
こうした経験の中で、私は日本での運営には「武術隊式トレーニング・チーム」はもう1985年から始めていました。そのために「ソフト」はかなり早くから確立出来ていました。
その当時の中国では文化大革命の影響で「青年教師」という名で、
年配教師ばかりを重視する傾向だけでなく、有能で斬新で温故知新を体現できる若い教師を育成する時代で、今から思うと自分もその中国武術界の中で育てられた不思議な縁を感じます。
振り返ると2001年から始めた武術活動はこうした改革的なアクションの現われだったのだ、と今更ながらに感慨深いです。
そのために私たちは先ず研究院としてはじめ、ありとあらゆる中国式な普及指導で試験的に実践を繰り返すことが前半の5年だったと思います。
そのためにフィットネス業界での指導とインストラクター養成、そして武術隊、太極拳教室との3つで行ってきました。
その中で当時の若者たちから「武術隊」の運営をやってみたいとやらせてみたところ、やはり上記に挙げた理由で自発的な運営が難しくなっていく行程を見て理解しました。
やはり私自身の学んだ中国での経験は運営において、非常に重要なことを再認識するきっかけになりました。
私自身は太極拳クラスと健身気功クラスに重点を置き、フィットネスのレッスンで好評なものを、より専門的に深めた内容を指導するようにしていき、ここで活動の基盤が強くなってきました。
そして健身養生班というチーム構成を置き、その方式を取り込んで、2006年から新生の武術隊を新たなに私が領隊兼総教練としてもう一度組織し、2007年から伝統武術国際ルールに合わせた武術選手の育成を始めました。
今の武術班はその第一期で確立出来たチームで非常に感慨深いものがあります。
このチーム育成で私が力を入れてきたのは、先ず興味ある人で専門家を目指し職業で武術活動を行えるように手掛けたことが一つ。
もう一つは武術選手ではなく、日常の生活で健康増進やストレス解消、何時でもその時々で自身のグレードアップを図り、チャンスがあったら以後様々に武術を活かしてみたい、という皆さんが一番メインになっていく活動方針です。
ここで重要なのは日本の今の現状の場合、数の少ない選手は数の多い中から生まれて来る環境にまだなっていないこともあり、
数の少ない選手を大事に、数の多い健身養生班はもっと広めて相互発展になっていく関係になるようにしました。
そうすることで選手は若者が多いので、人生の大先輩である皆さんとも交流し、相互刺激を感じながら地域で一緒にやっていく、という関係を理想にして行ってきました。
やはり現地には現地でやってみないと解らないことを学びました。
これは経験が全てで誰も教えてくれないのです。
(※教えられるものは、今の日本の組織では、後発者は、ただ下部組織の一員になっていくプロセスの連続でしかないのです。自発的繁栄は先ず難しい)
やはり恩師、花妙林老師の行ってきた復旦大学武術協会のシステムが一番勉強になりました。
我々の場合、運営の中心は武術班と健身養生班があって、そこにスクール教室、フィットネスの教室、野外教室が加わり、武術班から競技会に参加をする年は武術隊を組織し、
武術隊選手は競技会、あるいは武術段位取得、技能検定の等級合格を目指して頑張り、大会終了後(または中国研修ツアー後)皆さんへ経験や所感の多くを報告し、
それらを受けて、また相互に今後の活動のヒントやきっかけにして、また皆さんで一緒に楽しく活動していく、という流れの実現化をできました。
やはり今の日本の環境からすれば「やりたいこと」「なりたいもの」は常に流動しています。
その流動の中で「武術活動で、全てに応用できる」というものを確立しました。
そうすることで、頑張れば若者の持つ懸念である学校在学中での打ち込むものにしたりすることや、卒業後のことや、就職難もクリアでき、
年配の皆さんの「無縁社会」というものにも無縁になります。
人生、大事なものは「縁」であり、
私を支えてくれたものは「中国の縁」「武術の縁」「地域の縁」でした。
本当に感謝の念を感じます。
(※現代の日本社会は何かしら、政府与党内閣の政策は全部これらがなくなるようなことを方策として、やろうとしているように見えますが、彼らは「無縁」ゆえに無謀な政策しかできないように思います・・・)
やはりインターネット社会になり、多くの情報を得られるようになってきたことは今後益々中国武術の普及や発展に繋がっていくことと思います。
そこで、私の経験から感じることは武術競技選手の所属する「武術隊の独立」というのは、とても大事になってきます。
日本国内の運営組織は機構的に「協会」を創設して、各教室を増やし、全体的な総数を増やして存在感を高め、そこに価値を置くようにして更に会員を増やす、というシステムを持っています。
日本国内ではそうした協会が手配して「武術隊」を組織し、太極拳会員さんのお子さんやお孫さんを選手として育成していくような傾向があります。
一つモデルを作ると、やはり日本人は海外に特に今の安倍政権が敵視政策を行う環境では中国へ行く、ということはかなり少ないこともあり、当然日本式モデルを踏襲して行っていく傾向があります。
私の所感では、そういうパターンでは大体が20歳以降は他のスポーツや他の世界に憧れるようになり身内世界から卒業していく人が多くなっていきます。
他の競技アマチュア・スポーツ組織にも、そうしたパターンはありますがメジャー競技であれば、他からもどんどん転向組や新しく興味を持つ人が加わるので全体的な総数は増加するので問題はありませんが、
2006年以後に難度競技の普及の準備を始めて、海外勢からスタートの出遅れた日本国内の武術競技界は、大体、今の武術競技選手での年代は進学、就職という問題に直面するので、近い将来的にこうした流れになっていくと思います。
その中で、私の思う感想では日本国内では「武術隊の独立」というものが重要になってくると思います。
本場中国では、各省、市、地区に武術協会があり、各省に武術隊があり、市と地区から選抜された選手は質のよい衣食住の環境を与えられて、毎週末に給料が与えられていました。
優秀な選手は競技会でランキングに合わせてボーナスが貰えました。
選手を引退すると、とても有能な者は省の協会の職員に抜擢され指導者、など経営陣に入ります。
そして日本では全く知られていないと思いますが「武術隊」の構成は先ず「領隊:監督」「高級教練:名誉師範」「総教練:ヘッドコーチ」「副教練:サブコーチ」「隊長選手」「一般選手」となっています。
その他は上海や北京とかの体育大学に進学し教学法などの専門技能を学び武術理論も教わります。そして大学武術隊の選手として活動したり、指導者として働くようになったりして、そこから有能な者は大学武術協会の職員になり、審判員や研究員になり、
武術競技の現場に出たり、医科学チームに入ったりしてここで総合的なサポートシステムが出来ていくことで、質の高いトレーニングが行えるようになり、医学サポートが着くことで安心した武術普及システムが出来ています。
海外では多くが体操などのスポーツ専門チームが武術競技を早くから関心を持ち、2001年の北京五輪を誘致し、そこから活発になっていました。そしてエキシビジョン大会の2008年北京五輪武術競技会の設営の確定が決まった頃にはもう本格的な活動に入っていました。
現在のヨーロッパやアメリカ、東南アジアはこうした流れに合わせて相互発展に結び付けて行きました。
(※日本国内は、大体「何が日本では欠けているか」を多くが理解しているだろう、と思うので皆さんの「これからの活動」の質にすべてが懸かっている、と言っていいと思います)
こうした経験の中で、私は日本での運営には「武術隊式トレーニング・チーム」はもう1985年から始めていました。そのために「ソフト」はかなり早くから確立出来ていました。
その当時の中国では文化大革命の影響で「青年教師」という名で、
年配教師ばかりを重視する傾向だけでなく、有能で斬新で温故知新を体現できる若い教師を育成する時代で、今から思うと自分もその中国武術界の中で育てられた不思議な縁を感じます。
振り返ると2001年から始めた武術活動はこうした改革的なアクションの現われだったのだ、と今更ながらに感慨深いです。
そのために私たちは先ず研究院としてはじめ、ありとあらゆる中国式な普及指導で試験的に実践を繰り返すことが前半の5年だったと思います。
そのためにフィットネス業界での指導とインストラクター養成、そして武術隊、太極拳教室との3つで行ってきました。
その中で当時の若者たちから「武術隊」の運営をやってみたいとやらせてみたところ、やはり上記に挙げた理由で自発的な運営が難しくなっていく行程を見て理解しました。
やはり私自身の学んだ中国での経験は運営において、非常に重要なことを再認識するきっかけになりました。
私自身は太極拳クラスと健身気功クラスに重点を置き、フィットネスのレッスンで好評なものを、より専門的に深めた内容を指導するようにしていき、ここで活動の基盤が強くなってきました。
そして健身養生班というチーム構成を置き、その方式を取り込んで、2006年から新生の武術隊を新たなに私が領隊兼総教練としてもう一度組織し、2007年から伝統武術国際ルールに合わせた武術選手の育成を始めました。
今の武術班はその第一期で確立出来たチームで非常に感慨深いものがあります。
このチーム育成で私が力を入れてきたのは、先ず興味ある人で専門家を目指し職業で武術活動を行えるように手掛けたことが一つ。
もう一つは武術選手ではなく、日常の生活で健康増進やストレス解消、何時でもその時々で自身のグレードアップを図り、チャンスがあったら以後様々に武術を活かしてみたい、という皆さんが一番メインになっていく活動方針です。
ここで重要なのは日本の今の現状の場合、数の少ない選手は数の多い中から生まれて来る環境にまだなっていないこともあり、
数の少ない選手を大事に、数の多い健身養生班はもっと広めて相互発展になっていく関係になるようにしました。
そうすることで選手は若者が多いので、人生の大先輩である皆さんとも交流し、相互刺激を感じながら地域で一緒にやっていく、という関係を理想にして行ってきました。
やはり現地には現地でやってみないと解らないことを学びました。
これは経験が全てで誰も教えてくれないのです。
(※教えられるものは、今の日本の組織では、後発者は、ただ下部組織の一員になっていくプロセスの連続でしかないのです。自発的繁栄は先ず難しい)
やはり恩師、花妙林老師の行ってきた復旦大学武術協会のシステムが一番勉強になりました。
我々の場合、運営の中心は武術班と健身養生班があって、そこにスクール教室、フィットネスの教室、野外教室が加わり、武術班から競技会に参加をする年は武術隊を組織し、
武術隊選手は競技会、あるいは武術段位取得、技能検定の等級合格を目指して頑張り、大会終了後(または中国研修ツアー後)皆さんへ経験や所感の多くを報告し、
それらを受けて、また相互に今後の活動のヒントやきっかけにして、また皆さんで一緒に楽しく活動していく、という流れの実現化をできました。
やはり今の日本の環境からすれば「やりたいこと」「なりたいもの」は常に流動しています。
その流動の中で「武術活動で、全てに応用できる」というものを確立しました。
そうすることで、頑張れば若者の持つ懸念である学校在学中での打ち込むものにしたりすることや、卒業後のことや、就職難もクリアでき、
年配の皆さんの「無縁社会」というものにも無縁になります。
人生、大事なものは「縁」であり、
私を支えてくれたものは「中国の縁」「武術の縁」「地域の縁」でした。
本当に感謝の念を感じます。
(※現代の日本社会は何かしら、政府与党内閣の政策は全部これらがなくなるようなことを方策として、やろうとしているように見えますが、彼らは「無縁」ゆえに無謀な政策しかできないように思います・・・)