鷺


現在の日本人の平均寿命は男性80歳、女性86歳です。

自分の年も、その真ん中を大きく過ぎて、少年時代、青年時代を振り返り、今を想うと感慨深く思う数々があります。


1987年の春、高校3年生で大学受験に失敗し、高校卒業間際に担任の教師に呼び出され、

進路について聞かれました。

担任「お前の卒業後の進路だが何をするんだ」

私「あ、俺武術やります」

担任「武術、何だそれ。お前、俺が聞いているのは進学するか就職するか、どっち何だって聞いているんだよ!」

私「だから、俺は武術をやります。進学も就職も大丈夫です」

担任「訳が判らねぇ。もういい、帰っていい」


それから武術をやりながら予備校のセミナーに通い、翌年に大学に進学し、武術ばかりやっていました。

1990年の秋に2ヶ月ほど勝手に学校を休み、中国へ行って特訓を受けて帰って来ました。

それからの自身にとっての武術はより充実し、中国のトップクラスで同じ訓練をこなし、自信が大きくなりました。

しかしながら、学校を休んだことが原因で多くの単位を落とし、懲りずにまた翌年に中国へ行ったりしたことが結果として2年間留年しました(笑)

大学では6年間学び、私個人としてはいいモラトリアムでした。

当時は「本当に、バカですね~」といつも言っていましたが、今から思うと確信犯だった気がします。

大学生時代にホテルマンのアルバイトをしていて、そのまま卒業後もしていました。

卒業前から「是非、社員に」という話が何回も聞かれました。

当時でもう「アシスタント・キャプテン」以上の仕事をこなしていて、社員という仕事の立場に興味を持てませんでした。

国内競技で成績を残し、フィットネス関係者の何人かと知遇を得て、ある会社に入社し、今の地元横浜のスポーツクラブへ着任しました。

思うと会社という法人組織もいろいろで、実はやり方次第で何でも出来る、ということを知りました。

2年ほどで運営会社が倒産し、フリーランスで仕事をするようになりました。

ここでよかったことは、日本社会の資本主義の構造やしくみを理解出来たことでした。


そして、武術活動の運営は法人事業ではない方が良いと悟り、

仕事での武術と、活動での武術とを分けて行うようにしました。

今から思うと、高校の担任が、

「進学するか、就職するか」という二者択一のことを聞かれ、自分は両方、

いや、それ以上が出来る、という確信を未熟者ながらも思い、未来を察知し、

考えていたことを、担任は「訳が判らねぇ」と言っていたことです。

今の日本の現況は実は、もっと多くの有望な若者たちが育っていることを実は思っています。


自分は「芸道に生きる、という人生」を選び、今随分と時間が過ぎて本当に良かったと思っています。

不快に思う方があるかも知れませんが、既成概念であるモデルに沿ったライフワークを選択し、

ずっと会社通いが全ての人生で、心身が健康で、生き甲斐ある人生を送って来た方に、あまりお目にかかったことがありません。

(※個人がそれを好きな場合はいいと思います)

何でも、芸事に目覚め精進すると、感性が敏感になり、人間関係や未来への展望に感覚が磨かれて、嫌なもの避け、より良いものばかりに意識が向かうように思います。

逆に、芸事に勤しんでいるのに、心身が不健康になり、精神性に問題があるな、と思う人も沢山見てきました。

「現代日本社会の問題」というのは、そこに集約していると思います。


茨の道を歩み、不甲斐無い思いをしながらも、芸道に生きている方々は、皆が皆充実している共感のあることを思うことがあります。

形あるものは壊れる、物質を得るため、ただその場その時だけの享楽に生きて、そこに真の充実感は遠いように思います。

逆に遠くなっているからこそ、無理矢理に自己洗脳をしているように思える人を感じます。

武術に携わっている人でも、そうした方々をよく見ます。


人間、行動はよく似ていきます。

あるいは、芸道に純粋に生きている方々も、よく似ています。


人間、誰でも最後は灰になり、

自分の意識がなくなった瞬間に人生は終わります。


それから先なんて、もう何もないのだから心配なんか無用だと思っています。

思うに、多くの人々は「芸道」などに進んで、己を知ることが出来なかったから、

自分に自信がなく、依存心が強くなるから、

多くの心配や不安を作り出すのかも知れません。


私の所感では、戦後の日本社会では、ある理想のような作られた既成概念モデルへ己から歩んでいって不健康になり、

拝金主義に走り、名誉欲へ溺れ、

そうした人間たちを量産していく環境になっていたと思います。

 
今世界は新しい時代へ移行しています。

今日本国民全員が時代に試されている、そんなことを思います。