哲学堂公園

最近思うには、本当に世の中が随分と便利になって、凄い時代になったなとよく実感をします。

しかしながら、そんな中でも私自身が少年時代から優先して大事にしているものは、

自分の「身体:心身」が一番で、次が「時間」です。

ずっと昔からいつも練習場には一番に入り、最後までいます。

その時間の中で技の修練に打ち込み、空いた時間には思想哲学の書物に触れ「武の道」について想いを寄せている時間を持ちました。

それが一年、3年、5年、10年、33年間。

思えば今こうして中国武術を生業にして生きていくようになったか、を考えたらとてもシンプル過ぎて「解り易いな~」という自分が可笑しくなりました(笑)

少年時代から世の中の風潮や傾向は「いい学校に入って、いい会社に入って、出世して、定年になったら好きなことを何でもやるのがいい」と時代は嘯いていました。

周りの同級生も普通当然に右に倣えで、多くが「正しい」と疑いもなく、そちらの方向へ行きました。

率先して時代の風潮に忠実な人を「エリート」とか名づけて呼んでいました。

有り難いことに両親は押し付けず「自分の行きたい道へ行けば良い」と言ってくれました。

「おおっ!」と喜んで大いに勇んで進んだら、そこは「茨の道(笑)」

何もチャンスはなく、先行く人もなく、あるいは先に進んだ人の挫折の嘆きや亡骸を見るだけでした。

でも先天的な父親、母親譲りの感覚で「まぁ、いいや。何とかなるだろう」と意識を決め込んでいました。

そうするうちに、仕事は無くても「身体」と「時間」はあったので、よし「武術だ」と武術のことばかり考えて、技の修養に打ち込んで、

想い考えることがあれば、中国の伝統思想哲学を読み解いて、身体のことにも関心が高かったからこそ伝統中国医学の勉強を行いました。

「そんなことやってお金になるの!?」「そんなので食っていけないよ」周りからは、いつもそういう言葉を投げかけられました。

「まぁ、いいや。気にしない、気にしない」

1990年代のことです。

バブル絶頂、湾岸戦争、地下鉄サリン事件・・

様々な事象が私たちの前にありました。

一番の理解者でもあった同門の師兄弟はオランダへ移住し、彼は彼の道へ進みました。

ここでお互いに試練の街道を行くことが始まり、

私は人口1千3百35万人いて、日々の大勢の人々の雑踏激しく行き交い、賑やかで華やかな都会の真ん中で、

一人精神修養の日々が始まりました。

何かしら「黒目の動かないサイボーグ人間たち」に違和感を覚え、フィットネス業界へ入り、

一番首都に近い、地方の横浜へ拠点を移し、

遊行上人のように「踊り念仏」や「法を説く」が如く、

日々に身体で訴え、言葉でメッセージを伝え、に伝え、今日まで何とかやって来れました。


仏教医学の言葉に「六根清浄」というものがあります。

「眼根:視覚」「耳根:聴覚」「鼻根:嗅覚」「舌根:味覚」「身根:触覚」そして「識根:本能的直感」

真冬を経て、これらは磨かれ、今の時候のような初春に「六根清浄」を経て、清清しくなってこそ、人心の乱れた世の中へでも、自身の心身は磐石な姿で応対ができて、

我が道を有意義に進むことのできる「能力」の根本になるものです。


今年は戦後70周年の記念すべき年が始まっています。

私は日本でも21世紀時代の始まった実感を感じています。

今までに戦ってきた「もの」は何であったかも理解しています。


今は、その「時代の魔物」に対して、何も蟠りもなくなりました。

「時代の魔物」にも寿命が来たようで、

「時間」と「心身:肉体・精神」を大事にしなかった不摂生のことが、自らの寿命や精神の力をどんどんと縮めてしまったように見えます。

思うと心身の「不摂生」や知性を高めることを怠るというのは、親孝行というような意味合いでの「孝行」という言葉で「自分孝行」をしなかった報いになってしまったことが、皮肉にも最新医科学でのデータ分析結果から明らかになっています。


時間は過ぎました、正しいか、そうではないか、は時間が過ぎて万人が理解でき、正しさを体得できた者は、また時の流れに乗ることができるだけです。

今でもこの瞬間の1秒、1秒間にも時間は過ぎていきます・・


私自身が少年時代から優先して大事にしてきた、武芸を通じて高められた自身の「身体:心身」と「時間」が身近に信頼ある心強い味方であり、

「孤高の精神修養」こそが最大の武器であったことを感じています。

普通一般の皆さんが好きな呼称「カンフー」とは「時間」「能力」「腕前」の総合的な表現として使っているものが、いつしか名称化されたものです。

私には私の「功夫」があり、私の過ごしてきた時間と思考が「功夫」を築き上げ、これは生涯の無形文化財であり、

これがあるからこそ信頼ある「身体」で、未来にも期待のできる「時間」が待っています。

そこに楽しみや喜びの種子がいつもあります。


便利な世の中になってスマート・フォンを持って探しものをしていても、

「六根清浄」の「眼根:視覚」「耳根:聴覚」「鼻根:嗅覚」「舌根:味覚」「身根:触覚」そして「識根:本能的直感」を高めることはできないし、

「功夫」を築けられるのか、どうかも定かではないように見える時があります。


川の水の流れは、絶えず流れ続け、時間は常々に過ぎていく・・

世の多くの方々を見かけると「身体が痛い」「時間が無い」「自由が欲しい」とよく文言を耳にします。


「そんなことやってお金になるの!?」「そんなので食っていけないよ」

投げかけられた、そんな言葉が今でも耳に残っています。

「時代の魔物」の正体・・