
立春を過ぎて半月と少し、昨日は春節。
新春の訪れの実感。
この冬を越して、この初春は何かしら感慨深い想いでいっぱいで何か不思議な心地がしています。
私はよく中国人に間違われるのですが、東京生まれ東京は多摩川流れる狛江の町育ちで高校1年生で中国上海を知る前までは、本当にごく普通の日本人で、気が強いのか、という割りには泣き虫な少年でした(今でも泣き虫ですが・・・)
私の両親の家系では父は山形蔵王が先祖の出自で長野~深谷~東京品川に生まれました。
母方の出自は祖母が岐阜、祖父が愛知県一宮で東京で父と出会い、両親、私の姉兄妹、父方の祖母、伯母など、そして父方の祖母が他界して妹が生まれ、母方の祖母や叔母が来たりして、とても賑やか・・いや騒々しい!?家庭に生まれ育ちました。
休日には深谷、夏休みは長期間で愛知の一宮、岐阜の揖斐に行き、伝統日本の土地で過ごしていました・・
それが33年前から中国武術世界に入り、30年前に「中国」を知り、いつも頭の中には中国があり、憧れは「中国」「武術」「老師」
恥ずかしいけれど「中華料理」
そして永遠に続く、寂しげな「ひとり旅」への楽しみや憧れ・・
祖国日本は大好きです、しかし何かしら少年の自分は、まだ誰も知ることのない「変化」や「刺激」を求めるようになり、いつも訪れる中国はその「変化」や「刺激」
そして「活気」と「思想哲学」「歴史文化」を訪れる毎に、毎年毎年と枯渇することは一切なく溢れる泉の水のように私に常に与え続け、続けてくれました。
「あれから30年」
この数年、そしてこの冬は何か不思議です。
日本の産土神が「お前は、今この日本で、とにかくいい仕事をやれ」
そんなことが、私の勝手なイメージでの空想世界のことですが、流れ行く風が私に伝えてくる気がしました。
この冬は、やたらと私が「中国」を知る前の思い出の数々や、自分が素朴な日本人であった頃の記憶がよぎります。
「思えば遠くへ来たもんだ」
本当に、そんな心境です。
「この先どこまでゆくのやら」
が私の「日本的感覚」
困ったことで、中国に鍛えられた感覚では、
「この先、どこまでもあるから、何でもやってみよう、如何しよう、さて明日は何しよう!」
「ああ~。不思議な二重人格・・」