今日は立春、これからは「春の気配がこれからゆっくりと立ち始め、冬の寒気がゆっくりと落ち着いていく」時候に移ります。
従って、今後は少しずつ湿度が上がるようになり、空気中の水分が含まれて来るようになると、そこから初めて空気の質もやや和らいだ感触になって、今までに小寒から大寒、そして立春と一年間で一番寒気が強く、最高気温も太陽が出ても1桁代でしたが、ようやく来週ぐらいには最高気温が13度ぐらいになる日も出て来ると、
梅の花も更に咲き始め、半月後「雨水」ぐらいには満開になっていくことでしょう。
1ヵ月後の「啓蟄」で大地の土も緩み、そこから地中深く眠っていた生き物たちが地上に出て来ると、そこでようやく春らしい風情も起こるようになるので、春ももう少しです。
もうこれからが冬の後半、春への入り口です。陽射しも明るくなってきたので、その明るい気持ちを大事にしたいものです。
最近によく感じることですが、中国との長き往来を繰り返してきて、やはり「時間が経つ」時々を、30年前の中国から見続けて、同じ時間の30年間の日本とを見ながら、
そこに学び身に着けたすべてのものが、私において中国のいう「非物質的遺産」日本では「無形財産」の宝物に感じています。
学んだものは当然に技芸、技法、技術理論、思想哲学、中国伝統医学などですが、それに加えて「比較文化論」というものを身につけたと思います。
やはり16歳で中国に馴染み、そこから毎年にライフワークから仕事として、今までにずっと往来を繰り返してくると、
「日本的視点」と「中国的視点」の立場を感じ、そして今現在は「両面を含ませた視点」という3つの視点を考える習慣になりました。
「日本的視点」で「中国」を見ると違和感を感じることがあり、「中国的視点」でやはり「日本」を見れば、やはり奇異に感じるものも出てくると思います。
最近はインターネットの時代になり、調べものをよくしていると、中国人旅行者の日本観光における「所感」が綴られており、
それを拝見すると、やはり「そう見えるだろうな」と私も「中国的視点」からは思います。
それに下に日本の方々がまた感想を述べているのを拝見すると、やはり中国を知らない一般「日本人的視点」には「そう感じるだろうな」と思い、
両方の観点から、「何故に、どんな理由があって、相互にそういう意見に感じるのだろうか」を考察してみました。
そうすることで判明したことがあり、相互の視点の感想に学び、感謝の念を感じました。
私の所感として、
「日本的視点」は「部分的」に意識を集中し、「中国的視点」は「全体的」に意識のポイントを合わせる感覚が習慣になっているのだ、
と、歴史文化的な相違の宿命、あるいは言語脳における関係にあることへ気付きました。
これは日本語で話すことによる「日本語脳」あるいは中国語を話すことによる「中国語脳」との意識構造にも関係していきます。
日本語は、主語に目的語、目的格補語と繰り返し繋げて話しが続き、動詞と主語との繋がりが不明瞭になりやすく、人によって時々話しの内容が解らなくなったりすることに関係しています。
※例:私は今日は学校へ行かない。本当は学校が好きで行きたいのだけれど、先週から先生が変わってから嫌いになった。友達との関係はいいのに、どうしたらいいだろう。やっぱり学校には行きたくない。
というように、主語は自分だけれども、目的語が学校、先生、友達、とあり、動詞はどの目的語と結びつきで最終的な落ちになるのかあ不透明で解決策へ行くにはどれから入ればいいか、が不明瞭になります。
こういうこともあって、日本人は精神的に自分自身で参ってしまうことにも関係していると私は感じます(多くの物事で意見が分かれることは、こうしたことに関係しています)
ちなみに中国語なら、英語の文法とも似ていて、
「今天、我不去学校、教師有問題。朋友的関係好」となるので、
解決策は「教師」に一番最初に行くので、複雑なものにはなりません。
つまり脳の構造的に考えてみると、中国語的感覚では「その場その時」でどんどんと「完了」して続いていきます。中国でのビジネス交渉などは感覚はドライに見えそうですが、常に目的語と動詞が明確にやりとりするなので結果に問題がなければ展開はうまくいくことが多いです。
日本語的感覚やビジネスなどでの日本的習慣は「責任者」の判断で後々に、付け足し付け足しでいく習慣があるので「完了」は後々にまで完結せずに何かしら「残しもの」が起こりやすいと思います。
そういうことで日本人の習慣では交渉などにおいて明確な答えを先に言わず、後で付け足すことで「後腐れ」の問題が起こりやすく、
中国語脳での会話では「スッパリ」とそこでいつも終わり、という感覚で、こういうことも日本人と中国人との相互間でのコミュニケーションがうまくいかない要因があると思います。
(※こうした感覚は日本人の方から改善していくほうが遥かに楽です)
私は10代から中国式交渉術には長けているので、今までに何の問題にもなったことはありません。むしろ今までに沢山恩恵をもらったのは、こういうことも関係していると思います。
おそらく、政治家の外交政策や財界人の交渉も、おそらく中国の人達と「これを」やっているように感じることがあります。きっとそれで意思不通になって「うまくいかないこと」を日本に帰ってマスコミとか学者を使って八つ当たりしているように見えていることがあります。
話は戻って、日本の環境は、
海に囲まれた日本列島は、周りが完全に水に囲まれていて、空気において年間において必ず「清浄化」される風土環境があって、そして必ず船がないと歴史的に見ても「日本」には来られないということがあり、大量の民族移動がユーラシア大陸とは違って、行えない歴史的事実があります。
そして日本からも中国へは小野妹子の遣隋使や吉備真備の遣唐使のように選ばれた優秀な者でないと行けなかった、ということがありました。
そして歴史的にみて交流は唐以降は比較的「漢民族の皇帝」の「宋」や「明」などの王朝とは交易も交流もうまくいき、「漢民族ではない皇帝」の王朝「モンゴルの元」「満州族の清」とはうまくいかなかった傾向にあったと思います。
一方中国大陸は、日本の26倍の国土、政府認定での民族は55族、人口も今は10倍以上、ロシア、モンゴル、中央アジア、東南アジアと隣接し、常に歴史的に紛争や対立などの問題の絶えない環境にあります。
私は中国国内で行ったことのある場所は、一番多いのが上海、次に安徽省、北京、山東省、次いで浙江省、江蘇省、湖北省、四川省などです。
以前は国内移動で飛行機は料金が高く、いつも寝台列車に乗って移動していました。
やはり車内では、大体お互いに乗り合わせてから数分で互いの出自を紹介し合い、そこから10数時間とか1泊2日、2泊3日とか一緒にいます。
その時にはやはりいろいろと会話がはずみ、お互いの意見交換をして楽しい移動時間になります。
そして武術隊の練習や健身気功の学習の時に教わる時の先生方からの視点からの指導や助言の数々から、
「中国の先生方はこういう観方」をしているのだ、というのもとても勉強になりました。
そして一緒の食事や、空いた時間での会話、テレビや本、新聞を見ながら事象においての所感のやりとりとかにも、
今でも、よく思い出すのですが、一般中国の方とは、また違った「視点」を先生方はしている共通点が解りました。
基本的に、普通の日本人の視点では「部分的」になりやすく、ポイントから入って更にポイントへ移行していく傾向があるように感じます。
一方、中国人の視点は「全体的」になり、先ず大まかに全体のすべてを掴んでそこから、入る部分を探し、そしてそこから掘り下げていく、ように感じます。
ですから考え方の根本は正反対になるのは当然だと思います。
しかしながら、私の場合は、まだ少年の時に、中国を知ったので、「そうか、その手があったか」と理解し、「それは使える」と今までにすべてにおいてやって来てしまいました(笑)
ですから、私の持つ「視点」というのは、
「部分的」に気付き、それが「全体」における何の部分を構成するか、を考え、
そこから「全体的」に意識を向けるか、「部分的」に意識を向けるか、を判断し、
慎重に意識は進めます。
そして流れが出来てきた時に「全体的」に意識を向け、「部分的」なものについて判断をしていきます。
これは今までに結構役立ち、昨年までの武術活動における中長期的計画は、これに基づいています。
つまりは、こうして考えてみると、昨年ずっと一緒にやってきた私の先生方の現在の視点を推察すると、
常に「全体的」に達観していて、「部分的」である私が動くのを見ていて、「部分的」に質の高い集中協力を継続して行ってくれて全体的に繋がるようにして下さったように感じています。
つまりは、そうすることで「部分的から全体へ」という日本の歴史的潮流を見抜いていたのでは、と思っています。
そう考えると中国の歴史は「全体を抑えて部分へ」となっていき、日本は「部分部分を抑えて全体へ」という宿命の基に動くようになるように思います(稲作や古墳文化の広まりもそうです)
ですから、展開は「中国は外側を抑えたら有利」「日本は内側を抑えたら有利」になります。
この応用で、私達は着目をしておきたいのですが、
何故に日本は「精神性障害」を起こしやすいかは、ここに関連していて、
精神面である「内側」「心」や「精神」を抑えられたり、奪われたりしたら自身のすべての司令塔である「脳」が抑え込まれます。
「脳」が抑えられたら、「全て:すべて」が抑えられてしまいます。
日本の武道も剣術は相手の隙を打ち、流鏑馬は急所を打ち抜き、柔道や合気道の源流の柔術は関節を極めるのは、同じだと思います。
ゆえに私は何気なく、中国の往来で身に着けた「外側」感覚があって、兵法的な直感で「内側」を狙ってくる敵には隙を見つけた「外側から速攻に攻めたり」「自分の内側を狙われる前に敵の内側を落とす」本能が育ちました。
ですから、この現代日本社会の中ででも「精神性」を崩されることがなく今日まで有意義に生きてきたことへ、多くの多くに感謝をしたいと思います。
※最近では更に高度を上げ、内側も外側も無く、例えると「精神的軟体動物化」という術を編み出しました(笑)
実は現在の中国事情ですが、今年は2011年から行ってきた「第12次五ヵ年計画」の仕上げの年で、私の視点から見ていると今の中国政財界は目標達成があって全体的に安定をしており、
次回の計画準備に入っている印象を受けます。
私は今までがとても長い期間がゆっくりだけれど精神面にはハードだったので、精神力の再構築のためにしばらく穏やかにしていたいので、新しい中長期計画は来年の今頃ぐらいから準備したいと考えています。
感じているのは、ここ10数年戦争によって多くの負債を抱えたアメリカを抑えて、負債もあまりなく投資先との展開を考えれば、
実質経済の世界一は中国になっており、これからのアジア~ユーラシアでの発展計画の流れ(全体)の方向性が完成し、昨年の北京APECではロシアやアジア各国首脳との実際の調印を行いました。
次は実行に入るのにあたり、質の高い仕事や作業(部分的)が求められてくる必然性を感じれば、日本の中小企業は部品の輸出や協力体制が出来れば、大いにチャンスではないか、と感じているのですが、
日本国内におけるグローバル政財界(全体)が、そうしたチャンスを持っていきそうな気もしていますので、したたかに頑張りたいと思います。
従って、今後は少しずつ湿度が上がるようになり、空気中の水分が含まれて来るようになると、そこから初めて空気の質もやや和らいだ感触になって、今までに小寒から大寒、そして立春と一年間で一番寒気が強く、最高気温も太陽が出ても1桁代でしたが、ようやく来週ぐらいには最高気温が13度ぐらいになる日も出て来ると、
梅の花も更に咲き始め、半月後「雨水」ぐらいには満開になっていくことでしょう。
1ヵ月後の「啓蟄」で大地の土も緩み、そこから地中深く眠っていた生き物たちが地上に出て来ると、そこでようやく春らしい風情も起こるようになるので、春ももう少しです。
もうこれからが冬の後半、春への入り口です。陽射しも明るくなってきたので、その明るい気持ちを大事にしたいものです。
最近によく感じることですが、中国との長き往来を繰り返してきて、やはり「時間が経つ」時々を、30年前の中国から見続けて、同じ時間の30年間の日本とを見ながら、
そこに学び身に着けたすべてのものが、私において中国のいう「非物質的遺産」日本では「無形財産」の宝物に感じています。
学んだものは当然に技芸、技法、技術理論、思想哲学、中国伝統医学などですが、それに加えて「比較文化論」というものを身につけたと思います。
やはり16歳で中国に馴染み、そこから毎年にライフワークから仕事として、今までにずっと往来を繰り返してくると、
「日本的視点」と「中国的視点」の立場を感じ、そして今現在は「両面を含ませた視点」という3つの視点を考える習慣になりました。
「日本的視点」で「中国」を見ると違和感を感じることがあり、「中国的視点」でやはり「日本」を見れば、やはり奇異に感じるものも出てくると思います。
最近はインターネットの時代になり、調べものをよくしていると、中国人旅行者の日本観光における「所感」が綴られており、
それを拝見すると、やはり「そう見えるだろうな」と私も「中国的視点」からは思います。
それに下に日本の方々がまた感想を述べているのを拝見すると、やはり中国を知らない一般「日本人的視点」には「そう感じるだろうな」と思い、
両方の観点から、「何故に、どんな理由があって、相互にそういう意見に感じるのだろうか」を考察してみました。
そうすることで判明したことがあり、相互の視点の感想に学び、感謝の念を感じました。
私の所感として、
「日本的視点」は「部分的」に意識を集中し、「中国的視点」は「全体的」に意識のポイントを合わせる感覚が習慣になっているのだ、
と、歴史文化的な相違の宿命、あるいは言語脳における関係にあることへ気付きました。
これは日本語で話すことによる「日本語脳」あるいは中国語を話すことによる「中国語脳」との意識構造にも関係していきます。
日本語は、主語に目的語、目的格補語と繰り返し繋げて話しが続き、動詞と主語との繋がりが不明瞭になりやすく、人によって時々話しの内容が解らなくなったりすることに関係しています。
※例:私は今日は学校へ行かない。本当は学校が好きで行きたいのだけれど、先週から先生が変わってから嫌いになった。友達との関係はいいのに、どうしたらいいだろう。やっぱり学校には行きたくない。
というように、主語は自分だけれども、目的語が学校、先生、友達、とあり、動詞はどの目的語と結びつきで最終的な落ちになるのかあ不透明で解決策へ行くにはどれから入ればいいか、が不明瞭になります。
こういうこともあって、日本人は精神的に自分自身で参ってしまうことにも関係していると私は感じます(多くの物事で意見が分かれることは、こうしたことに関係しています)
ちなみに中国語なら、英語の文法とも似ていて、
「今天、我不去学校、教師有問題。朋友的関係好」となるので、
解決策は「教師」に一番最初に行くので、複雑なものにはなりません。
つまり脳の構造的に考えてみると、中国語的感覚では「その場その時」でどんどんと「完了」して続いていきます。中国でのビジネス交渉などは感覚はドライに見えそうですが、常に目的語と動詞が明確にやりとりするなので結果に問題がなければ展開はうまくいくことが多いです。
日本語的感覚やビジネスなどでの日本的習慣は「責任者」の判断で後々に、付け足し付け足しでいく習慣があるので「完了」は後々にまで完結せずに何かしら「残しもの」が起こりやすいと思います。
そういうことで日本人の習慣では交渉などにおいて明確な答えを先に言わず、後で付け足すことで「後腐れ」の問題が起こりやすく、
中国語脳での会話では「スッパリ」とそこでいつも終わり、という感覚で、こういうことも日本人と中国人との相互間でのコミュニケーションがうまくいかない要因があると思います。
(※こうした感覚は日本人の方から改善していくほうが遥かに楽です)
私は10代から中国式交渉術には長けているので、今までに何の問題にもなったことはありません。むしろ今までに沢山恩恵をもらったのは、こういうことも関係していると思います。
おそらく、政治家の外交政策や財界人の交渉も、おそらく中国の人達と「これを」やっているように感じることがあります。きっとそれで意思不通になって「うまくいかないこと」を日本に帰ってマスコミとか学者を使って八つ当たりしているように見えていることがあります。
話は戻って、日本の環境は、
海に囲まれた日本列島は、周りが完全に水に囲まれていて、空気において年間において必ず「清浄化」される風土環境があって、そして必ず船がないと歴史的に見ても「日本」には来られないということがあり、大量の民族移動がユーラシア大陸とは違って、行えない歴史的事実があります。
そして日本からも中国へは小野妹子の遣隋使や吉備真備の遣唐使のように選ばれた優秀な者でないと行けなかった、ということがありました。
そして歴史的にみて交流は唐以降は比較的「漢民族の皇帝」の「宋」や「明」などの王朝とは交易も交流もうまくいき、「漢民族ではない皇帝」の王朝「モンゴルの元」「満州族の清」とはうまくいかなかった傾向にあったと思います。
一方中国大陸は、日本の26倍の国土、政府認定での民族は55族、人口も今は10倍以上、ロシア、モンゴル、中央アジア、東南アジアと隣接し、常に歴史的に紛争や対立などの問題の絶えない環境にあります。
私は中国国内で行ったことのある場所は、一番多いのが上海、次に安徽省、北京、山東省、次いで浙江省、江蘇省、湖北省、四川省などです。
以前は国内移動で飛行機は料金が高く、いつも寝台列車に乗って移動していました。
やはり車内では、大体お互いに乗り合わせてから数分で互いの出自を紹介し合い、そこから10数時間とか1泊2日、2泊3日とか一緒にいます。
その時にはやはりいろいろと会話がはずみ、お互いの意見交換をして楽しい移動時間になります。
そして武術隊の練習や健身気功の学習の時に教わる時の先生方からの視点からの指導や助言の数々から、
「中国の先生方はこういう観方」をしているのだ、というのもとても勉強になりました。
そして一緒の食事や、空いた時間での会話、テレビや本、新聞を見ながら事象においての所感のやりとりとかにも、
今でも、よく思い出すのですが、一般中国の方とは、また違った「視点」を先生方はしている共通点が解りました。
基本的に、普通の日本人の視点では「部分的」になりやすく、ポイントから入って更にポイントへ移行していく傾向があるように感じます。
一方、中国人の視点は「全体的」になり、先ず大まかに全体のすべてを掴んでそこから、入る部分を探し、そしてそこから掘り下げていく、ように感じます。
ですから考え方の根本は正反対になるのは当然だと思います。
しかしながら、私の場合は、まだ少年の時に、中国を知ったので、「そうか、その手があったか」と理解し、「それは使える」と今までにすべてにおいてやって来てしまいました(笑)
ですから、私の持つ「視点」というのは、
「部分的」に気付き、それが「全体」における何の部分を構成するか、を考え、
そこから「全体的」に意識を向けるか、「部分的」に意識を向けるか、を判断し、
慎重に意識は進めます。
そして流れが出来てきた時に「全体的」に意識を向け、「部分的」なものについて判断をしていきます。
これは今までに結構役立ち、昨年までの武術活動における中長期的計画は、これに基づいています。
つまりは、こうして考えてみると、昨年ずっと一緒にやってきた私の先生方の現在の視点を推察すると、
常に「全体的」に達観していて、「部分的」である私が動くのを見ていて、「部分的」に質の高い集中協力を継続して行ってくれて全体的に繋がるようにして下さったように感じています。
つまりは、そうすることで「部分的から全体へ」という日本の歴史的潮流を見抜いていたのでは、と思っています。
そう考えると中国の歴史は「全体を抑えて部分へ」となっていき、日本は「部分部分を抑えて全体へ」という宿命の基に動くようになるように思います(稲作や古墳文化の広まりもそうです)
ですから、展開は「中国は外側を抑えたら有利」「日本は内側を抑えたら有利」になります。
この応用で、私達は着目をしておきたいのですが、
何故に日本は「精神性障害」を起こしやすいかは、ここに関連していて、
精神面である「内側」「心」や「精神」を抑えられたり、奪われたりしたら自身のすべての司令塔である「脳」が抑え込まれます。
「脳」が抑えられたら、「全て:すべて」が抑えられてしまいます。
日本の武道も剣術は相手の隙を打ち、流鏑馬は急所を打ち抜き、柔道や合気道の源流の柔術は関節を極めるのは、同じだと思います。
ゆえに私は何気なく、中国の往来で身に着けた「外側」感覚があって、兵法的な直感で「内側」を狙ってくる敵には隙を見つけた「外側から速攻に攻めたり」「自分の内側を狙われる前に敵の内側を落とす」本能が育ちました。
ですから、この現代日本社会の中ででも「精神性」を崩されることがなく今日まで有意義に生きてきたことへ、多くの多くに感謝をしたいと思います。
※最近では更に高度を上げ、内側も外側も無く、例えると「精神的軟体動物化」という術を編み出しました(笑)
実は現在の中国事情ですが、今年は2011年から行ってきた「第12次五ヵ年計画」の仕上げの年で、私の視点から見ていると今の中国政財界は目標達成があって全体的に安定をしており、
次回の計画準備に入っている印象を受けます。
私は今までがとても長い期間がゆっくりだけれど精神面にはハードだったので、精神力の再構築のためにしばらく穏やかにしていたいので、新しい中長期計画は来年の今頃ぐらいから準備したいと考えています。
感じているのは、ここ10数年戦争によって多くの負債を抱えたアメリカを抑えて、負債もあまりなく投資先との展開を考えれば、
実質経済の世界一は中国になっており、これからのアジア~ユーラシアでの発展計画の流れ(全体)の方向性が完成し、昨年の北京APECではロシアやアジア各国首脳との実際の調印を行いました。
次は実行に入るのにあたり、質の高い仕事や作業(部分的)が求められてくる必然性を感じれば、日本の中小企業は部品の輸出や協力体制が出来れば、大いにチャンスではないか、と感じているのですが、
日本国内におけるグローバル政財界(全体)が、そうしたチャンスを持っていきそうな気もしていますので、したたかに頑張りたいと思います。