今日は1月29日木曜日、太陰暦では十二月十日。


十二月十日の月

十二月十日の月明かり


その月や川面に照らされた月明かりを見ていて、そうか今年2015年度の太陰暦での満月十二月十五日は来週の火曜日、

その日は現代日本での「節分」か・・

暦は東洋と西洋で異なっても満月は同じはず。


その前日は日本人なら、誰しも知っている赤穂浪士の討ち入りの日。

よく聞かれることですが、太陽暦12月14日(あえて数字を変えて表現しています)に、レッスン前の会員さん同士での会話の内容から、

「今日は泉岳寺での義士祭ね、あの当時は赤穂浪士の討ち入りには雪が降っていたみたいなのに今は降らないのね・・・やっぱり日本も異常気象なのかしら・・・」

こういう時に、

私は「あの~、古来日本は飛鳥・奈良時代から江戸時代までずっと太陰暦であって、西暦という言葉通りに西洋の暦グレゴリオ暦で明治維新で採用されたので、日本の歴史文化は太陰暦を見たほうがいいですよ」

そうコメントをすると人によっては「!?」という顔になって、

団塊の世代ぐらいの特に年配男性の方々からには「何言ってんの、こいつ・・」みたいな目付きをされてから、いきなり「ノーコメント」で、その場を「プィッ」っていう態度をされた事がよくありました・・

(今でもたまに、まだあります・・)







赤穂浪士(あこうろうし)は、元禄15年12月14日(1703年1月30日)

深夜に旧主浅野長矩の仇である高家吉良義央の屋敷に深夜に討ち入り、吉良義央へ仇討ちを果たした、元赤穂藩士大石良雄以下47人の武士の物語です。

討ち入りの指導者、大石内蔵助良雄は「国家老 1500石 譜代」享年45。

辞世の句は、

「あら楽や思ひは晴るゝ身は捨つる浮世の月にかゝる雲なし」



今年2015年は、戦後70年目になり、昨年も今年も変わらずに現代日本社会の構造や事情はいつも複雑で、

実は、私は赤穂浪士が好きで、大石内蔵助には、少年の頃から、精神面において「日本人として」という生き方や考え方の中では、とても大きな影響を受けていました。

昨年のちょうど今頃に、赤穂浪士、大石内蔵助が主君への想いのためと自身の生き様にすべてをかけて「行いを為した」大石が享年45歳だったことを知り、

同年で生命を果てた大石の生き様や想いのことを、

私もふと感じ、この年は人生45年めの「想い」のために、生き様にすべてをかけて頑張ってみよう、という思いで昨年2014年が始まり、先月には終わりました。

私は関東人なので、今こうして考えてみると主君というのは私の家系での関東地方での「水の豊かな風土」そして「普通の人々」のような気がしています。

日本も2000年ある長い歴史の中で、古墳時代、大和朝廷成立以降は、やはりずっと長き多くの利権争いの中で民が巻き込まれ、

悩み苦しみ、繰り返され、

権力や利益を求める人達だけでなく、

いつしか心の平和をもたらすはずの、

仏教界でも多く起こった、論争や対立、

中国へ渡った、弘法大師 空海、道元、

そして最近に縁あって崇敬の念を持つようになりました一遍上人などの「想い」

ある意味では、日本に長く続く懊悩を克服するための「処世術」を体得したいがために往来を、

長く続けた中国大陸と老師、の皆様からの御蔭で身につけられた様々な技能や思想哲学は私自身において宝物であり、それを授けてくれた「中国」は総合的な意味でも師匠でもあります。

この一年間は、凄く短くて、そして、凄く長かった気がしました。


来週2月2日月曜日が312年前の十二月十四日に赤穂浪士の討ち入り。

2月3日が節分、満月。

2月4日が立春。

その満月が真っ暗に消えた2月18日が本当の「大晦日」

2月19日が「春節」


312年前とは違って、今は「自由」「多種多様化」「何でも有り」

しかしながら、論争や論議も焦点が何をやっても合わず、懊悩に懊悩が生まれ続けやすい「環境」があるように、よく思います。

現代日本社会は複雑で「日本人らしさ」というものも、抽象的で曖昧になり続けた昨今の戦後70年めを「様々な事象」から感じています。

赤穂浪士から見ると、現代日本人たちの生き方や考え方、

そして「政」は、雲の上から皆様方から「如何の様に」見えるのだろうか、と感じることがあります。