今年2015年は、私が今から30年前の16歳で中国武術、カンフーの本場の中国上海へ初訪問をしてから、ほとんど毎年に往来を重ね続け、

自分自身の人生で、今年の今日までにとても重要視して一番大切にしてきたことでした。

当時に日本人が毎年中国へやってきて、本場の武術学校に一般中国人の皆さんたちとずっと一緒で、同じ宿舎に泊まり 何でも一緒に生活し、

朝は6時半からのランニング、朝食、午前の練習、

お昼ご飯、お昼寝タイム。

午後の練習、そして夕食、娯楽の時間、あるいは飲み会、そして就寝という単純生活パターンというのは、1990年代の半ばぐらいまではほとんど毎年に変わらずでした。

ある意味では、中華人民共和国における「社会主義」らしい生活パターンを、私は16歳から覚え、

毎年に1ヶ月から長くいても2ヶ月の期間での留学生活が、とても好きでした。

あまりに楽し過ぎて、大学を卒業しても就職をしないで、20代半ば過ぎまでは「その生活パターンをすること」だけが毎年の楽しみにしていました。

そしてだんだんと、日本国内で「中国式生活」の実現だけを考えて、「やりたくないことはやらないで」「やりたいことだけをやる」という信念を貫き、実行し今日までに至り、こんな「人間」になってしまいました(笑)

冷静に振り返れば、

普通世間一般の日本における生活パターン、考え方、ありとあらゆる日本人の皆さんの感覚では、「不衛生」とか「理解不能」「意味不明」と思われるものは、とにかくたくさんあり過ぎるほどだと思います。

自分は10代半ばで「固定観念」の生まれる前に「中国大陸」を知り、日本と全く異なる世界が楽しくて、

19歳から中国語を自在に話し、何処へでも行きたいところへ行き、やりたいことをやり、

屋外での屋台などでの食べ物が大好きで(これは、今でも変わりません)

朝なら手作り肉まんや、塩味風味で菜の花のような野菜の入った饅頭。

あるいはショーロンポーや揚げパン、ワンタン、北京なら、また手作りのラーメン、毎朝の外での食事が好きで、当時の人民に混じり、一緒にしゃがんで座ってほおばって、

まったく人に気遣いをせず、

でかい声で中国語で話して、先生方にもざっくばらんで何も遠慮なく、話したいことを話し、

学びたいことを学び、

武術隊での訓練は選手と一緒で容赦なく、むしろ「日本人」を試されていたのかな、

なんて思いながらも、鍛えられるだけ鍛えられ、

それから、飲む時には飲んで、

伸び伸びとした生活が好きでした。


先ず一番初めの1985年の時に先生方から、「成澤、お前は飲め!」と酒を勧められました。

私は先生に「20歳になるまで酒は飲んではいけないんです」と答えたら、

「お前、それは誰が決めたんだ」と返され、

「あの~、日本の法律で定められているんです」

「お前、ここは中国だ。中国には中国でのルールがある」

「はい・・」

「中国に酒においての年齢規定などはない!」

「はぁ・・」

「ここは日本ではなく、中国だ。飲め!」

「はい!」といって飲みました。

そこからガンガン飲まされ、初めてベロンベロンにまで酔っ払いました。

そして帰国後に、それから両国の違いや文化の異なる部分で考え方や行動パターン、判断の仕方において考え、相互間において応対していくようになりました。

あれから「30年」

世界人口総数が70億人で、

中国は人口14億人で世界一、米国は3億人、日本は1億2700万人。

日本はさほど変化はありませんが、中国は10年ごとぐらいで革命的な変化があって、思えば「それが中国」でもあり、

変化と変遷、ありとあらゆるものには信用ができないし、人も信用ができる者同士だけが、うまくいくような構造になっていき、

それが極端的になれば「汚職」とも普通の日本人感覚なら言うと思うし、

ほどほどで微妙ならば「人間関係」や「コネ」重視、と言うと思います。

私は思えば、常に「コネ」の良質な関係の中にあるので、一度も嫌な目にあったことはないし、

16歳から知っている中国なので、危ない経験は一度もなく、何時だってものすごく質の高い生活パターンで過ごすことができて今でもそれが続いていました。

逆に、コネもなく、日本的な資本主義ペースや方法では、相手側から好かれることがなければ、いいチャンスは来ないし、

情報も不足して、あれだけの多くの人間がいる社会では難しいので、やはり最近ここ数年で普通の日本人感覚では成功することは困難だと感じます。

つまりは言葉も判らず、骨折り損のくたびれ儲けを異国で経験すれば、それは「嫌い」になるのは当然だと思いました。

私が大いなる「勘違い」をしていたことに、最近やっと気付きました。

「私のような日本人が出来てしまったこそが、有り得ない・・」

当然に大企業でも政府:政権の外交も同じで、イメージは悪いものが多くて、良いものはないと思います。

私は逆でイメージは「良いもの」が多くて、「悪いもの」はほとんどなく、

頭に来たことがあったら「その場」で喧嘩して、スッキリしておしまい、なので後腐れもありません。

こうして考えてみれば、

私の感覚と現代日本社会の普通の人の認識は変わるのは当然で、

そうか、皆さんは「やられたのか・・」という所感を持ちました。


そういうこともあって、私は日本人ですから、中国人的感覚と日本人的感覚をあわせながら考えて、

太極拳や健身気功、中国武術全般のこれからの活動の中では、

日本的感性、そして中国的感性と両面の善し悪し、考え方の違いなどを含めた、

「比較文化研究」をこれからは力を入れて行っていきたいと思います。

これは今年からスタートする面で「私にしかできないであろうユニークな企画」の展開だと思いました。

とにかく、頑張ります!


おそらくは私の正反対で似たような存在や感覚のお持ちであろうと思う、日本で頑張っている「宋文洲」さん。