日本神話・古事記を描いた、映画「日本誕生」
戦後日本 70年を考えるヒント
聖書の「創世記」を描いた映画「天地創造 The BIBLE」には、7つのテーマで西洋的視点から見える「人間界についてのこと」が描かれています。
その7つは、天地・大自然が出来上がるまでのこと、アダムとイブ、カインとアベル、ノアの洪水、バベルの塔、ソドムとゴモラの町の破壊、そしてアブラハムの活躍です。
「ソドムとゴモラの町の破壊」
そして「出エジプト記」を描いた「十戒」では、
モーセの出自から活躍、出自に戻り、エジプトから追放、
シナイ山に辿り着き、エジプトへの回帰、
エジプトを出て、新たな出発~試練、戒めを授けてから、約束の地への到達。
という4つの展開から成り立っています。
その中でも、
エジプトを出て、新たな出発~試練、エジプトを出て、心の邪な者たちを戒めとして滅ぼすシーンが出てきます。
聖書は三大宗教における聖典であり、すべての考え方の根本になっています。
私達の祖国「日本」が今から70年前に、連合国、現在の国際連合・UNを構成していた政権運営をしていて今生きているのならば100歳~90歳代の権力者たち、その指導者たち、バックアップをしていた財界人たちの 彼らの前に見えた「日本」という国や国民は、
創世記にある「ソドムとゴモラの町」や十戒にある「戒めの為の破壊」をと思い感じたのでしょうか。
そして、それは何故にそう彼らに見えていたのでしょうか。
私達、ありとあらゆる日本国民全体は、当時に国際社会とは、世界を、
どのように見えて行動をしていたのでしょうか。
私達日本国民として、大日本帝国憲法で国民義務として定められていた「勤労、教育、納税」の三大義務は、
新しくなった戦後憲法に、そのまま引き継がれて「今日」を迎えてきています。
その中で、現代日本社会での老若男女は今現在に毎日、何に興味を覚えて生きて日々を過ごしているのでしょうか。
毎日に行き交う人々の顔・表情。
姿勢、話される会話の内容。
興味を持っているもの、趣向、思想哲学などの考え方、そこからくる行動。
財界、政治家たちの行動、
国民意識の在り方、表現や精神性・・
私は時折、語学感覚から来る脳における「思考」について考えることがよくあります。
それはストレートな視点から出来てきて、その場的感覚での「英語脳」
五感と時空的な総合的視点から出来てくる「中国語脳」
両方共、ひらめきが出たら進行形で先行的にどんどんと進んでいく特徴があると思います。
日本人の思考を構成する「日本語脳」感覚からは、その時々での応対後に付け足し、付け足しでと続いていくことがありがちな普通一般的な「日本的考え方」との違いです。
現代社会の日本人の傾向として、自分自身で生きることを止める行為である自殺行為を選択したり、後々に根に持ちやすくなったり、精神疾患が起こりやすい要因は、これと無縁ではないと思います(※時空感覚が後々に残っていく感覚があると思います。私の経てきた体験感覚での中国語脳では、有能な方々は大体に相談や交渉などは、その場、その場で終わることが早いので後々は良ければ好い因果応報結果に繋がることが多いです)
英語圏での思考と中国語圏での思考感覚はかなり近いものがあって「中国語+英語」あるいは「英語+中国語」が出来る人同士では、
精度の高い話し合いや交渉が出来ることは確実に感じることがあります。
しかしながら、日本語のみ、海外感覚なし、
そして常に後ろ手、後ろ手から起こる発想、
企業運営媒体の従業員たちが日々に作り出す、かつての善意がなくなった新聞、雑誌、テレビ番組の造成的マスメディア情報を鵜呑みにしてしまい、
彼らの意見が正しいと思い込むことで、
空想と現実との乖離に気付かない感覚。
そして、サブ・カルチャーともいわれる融合した文化(ある意味では複雑化した文化)内容での映画、雑誌、宣伝媒体メディアからの情報。
各自、組織的な責任感覚の有無、などなど。
完全欧米化してしまった、あるいは人によっては望んで進んだ戦後生まれの10代、20代、30代、40代、50代、60代での各世代での現代日本社会人的意識や表現方法などの感覚において全般では、
確実な理由や原因が完全に証明される以前の感覚なのに、日々に流され続ける「~と思われる」「~とみられる」とかの「報道側の人間からの所感を含んだ言葉」が最期に付け加えらえているのが普通な日本国内でのマスコミ企業たちの報道姿勢の影響で、
誰が、何時、何を、何処で、どのように、感じているのかが、時空的にも対象や具体性においてでも不明瞭に見えてくることがよくあります。
私は私自身の経験で過ごして観てきた実際の感覚、
30年間で毎年見てきた日本と中国の変遷。
英会話のための特訓とフィットネスの勉強、戦後日本の生活環境のすべてに大きな影響を与え続ける米国文化を心身のリアルで知ろうとの理由で2度訪問した、同盟国アメリカ。
そしてヨーロッパ西洋諸国、新たな勢力になったアジアやアフリカ、中近東。
昨日は今年2015年がスタートした最初の週末で、新聞記事やニュース情報をいくつか調べていました。
解ったことは、ようやく動き始めたところ、まだ今のところは判明してはいないけれど、後に動き出せるところ、人・・
マスメディアからの洗脳で今からも、これから8ヵ月後にきっと大変になるであろうと予測される真夏のさなかにであっても気付けないであろう、あるいはまたあらたな洗脳を受けるであろうと感じられるような人々・・
私は今、戦後生まれの日本人として、誇りある人間になりたいと考え行動をしていくためには「旧型思考」革新や融通の利かない人達に近付いていては、
新たな発展は生まれない確信を、この年末年始で、今年からの展望を信念と具体的実践・アクションをもう確定し、動き出し始めました。
「冬を越す前に考えておきたいこと」は大事なことだと感じています。
ひと先ずは、フォロー感覚が重要と考えていて、
己自身への発展意識から来る自身からの積極的なアクションがあれば積極的に、消極的であれば消極的に、
「気付いた人」には気付けた感覚へ同調し、「気付けない人」には気付けない感覚へと同調し、
今年からは、ずっと中国との往来で鍛えられてきた私の得た「発展的先行感覚」はひと休みにして、
どちらかといえば皆さんへの「発展的後ろ手感覚」を始め、積極し過ぎず、消極し過ぎず、
普通一般にありがちな日本的時空な理解度の進行具合いを見計らって、行動をしていきたいと思います。
戦後日本 70年を考えるヒント
聖書の「創世記」を描いた映画「天地創造 The BIBLE」には、7つのテーマで西洋的視点から見える「人間界についてのこと」が描かれています。
その7つは、天地・大自然が出来上がるまでのこと、アダムとイブ、カインとアベル、ノアの洪水、バベルの塔、ソドムとゴモラの町の破壊、そしてアブラハムの活躍です。
「ソドムとゴモラの町の破壊」
そして「出エジプト記」を描いた「十戒」では、
モーセの出自から活躍、出自に戻り、エジプトから追放、
シナイ山に辿り着き、エジプトへの回帰、
エジプトを出て、新たな出発~試練、戒めを授けてから、約束の地への到達。
という4つの展開から成り立っています。
その中でも、
エジプトを出て、新たな出発~試練、エジプトを出て、心の邪な者たちを戒めとして滅ぼすシーンが出てきます。
聖書は三大宗教における聖典であり、すべての考え方の根本になっています。
私達の祖国「日本」が今から70年前に、連合国、現在の国際連合・UNを構成していた政権運営をしていて今生きているのならば100歳~90歳代の権力者たち、その指導者たち、バックアップをしていた財界人たちの 彼らの前に見えた「日本」という国や国民は、
創世記にある「ソドムとゴモラの町」や十戒にある「戒めの為の破壊」をと思い感じたのでしょうか。
そして、それは何故にそう彼らに見えていたのでしょうか。
私達、ありとあらゆる日本国民全体は、当時に国際社会とは、世界を、
どのように見えて行動をしていたのでしょうか。
私達日本国民として、大日本帝国憲法で国民義務として定められていた「勤労、教育、納税」の三大義務は、
新しくなった戦後憲法に、そのまま引き継がれて「今日」を迎えてきています。
その中で、現代日本社会での老若男女は今現在に毎日、何に興味を覚えて生きて日々を過ごしているのでしょうか。
毎日に行き交う人々の顔・表情。
姿勢、話される会話の内容。
興味を持っているもの、趣向、思想哲学などの考え方、そこからくる行動。
財界、政治家たちの行動、
国民意識の在り方、表現や精神性・・
私は時折、語学感覚から来る脳における「思考」について考えることがよくあります。
それはストレートな視点から出来てきて、その場的感覚での「英語脳」
五感と時空的な総合的視点から出来てくる「中国語脳」
両方共、ひらめきが出たら進行形で先行的にどんどんと進んでいく特徴があると思います。
日本人の思考を構成する「日本語脳」感覚からは、その時々での応対後に付け足し、付け足しでと続いていくことがありがちな普通一般的な「日本的考え方」との違いです。
現代社会の日本人の傾向として、自分自身で生きることを止める行為である自殺行為を選択したり、後々に根に持ちやすくなったり、精神疾患が起こりやすい要因は、これと無縁ではないと思います(※時空感覚が後々に残っていく感覚があると思います。私の経てきた体験感覚での中国語脳では、有能な方々は大体に相談や交渉などは、その場、その場で終わることが早いので後々は良ければ好い因果応報結果に繋がることが多いです)
英語圏での思考と中国語圏での思考感覚はかなり近いものがあって「中国語+英語」あるいは「英語+中国語」が出来る人同士では、
精度の高い話し合いや交渉が出来ることは確実に感じることがあります。
しかしながら、日本語のみ、海外感覚なし、
そして常に後ろ手、後ろ手から起こる発想、
企業運営媒体の従業員たちが日々に作り出す、かつての善意がなくなった新聞、雑誌、テレビ番組の造成的マスメディア情報を鵜呑みにしてしまい、
彼らの意見が正しいと思い込むことで、
空想と現実との乖離に気付かない感覚。
そして、サブ・カルチャーともいわれる融合した文化(ある意味では複雑化した文化)内容での映画、雑誌、宣伝媒体メディアからの情報。
各自、組織的な責任感覚の有無、などなど。
完全欧米化してしまった、あるいは人によっては望んで進んだ戦後生まれの10代、20代、30代、40代、50代、60代での各世代での現代日本社会人的意識や表現方法などの感覚において全般では、
確実な理由や原因が完全に証明される以前の感覚なのに、日々に流され続ける「~と思われる」「~とみられる」とかの「報道側の人間からの所感を含んだ言葉」が最期に付け加えらえているのが普通な日本国内でのマスコミ企業たちの報道姿勢の影響で、
誰が、何時、何を、何処で、どのように、感じているのかが、時空的にも対象や具体性においてでも不明瞭に見えてくることがよくあります。
私は私自身の経験で過ごして観てきた実際の感覚、
30年間で毎年見てきた日本と中国の変遷。
英会話のための特訓とフィットネスの勉強、戦後日本の生活環境のすべてに大きな影響を与え続ける米国文化を心身のリアルで知ろうとの理由で2度訪問した、同盟国アメリカ。
そしてヨーロッパ西洋諸国、新たな勢力になったアジアやアフリカ、中近東。
昨日は今年2015年がスタートした最初の週末で、新聞記事やニュース情報をいくつか調べていました。
解ったことは、ようやく動き始めたところ、まだ今のところは判明してはいないけれど、後に動き出せるところ、人・・
マスメディアからの洗脳で今からも、これから8ヵ月後にきっと大変になるであろうと予測される真夏のさなかにであっても気付けないであろう、あるいはまたあらたな洗脳を受けるであろうと感じられるような人々・・
私は今、戦後生まれの日本人として、誇りある人間になりたいと考え行動をしていくためには「旧型思考」革新や融通の利かない人達に近付いていては、
新たな発展は生まれない確信を、この年末年始で、今年からの展望を信念と具体的実践・アクションをもう確定し、動き出し始めました。
「冬を越す前に考えておきたいこと」は大事なことだと感じています。
ひと先ずは、フォロー感覚が重要と考えていて、
己自身への発展意識から来る自身からの積極的なアクションがあれば積極的に、消極的であれば消極的に、
「気付いた人」には気付けた感覚へ同調し、「気付けない人」には気付けない感覚へと同調し、
今年からは、ずっと中国との往来で鍛えられてきた私の得た「発展的先行感覚」はひと休みにして、
どちらかといえば皆さんへの「発展的後ろ手感覚」を始め、積極し過ぎず、消極し過ぎず、
普通一般にありがちな日本的時空な理解度の進行具合いを見計らって、行動をしていきたいと思います。