
最近、あるイギリスの経済学者が、「日本に必要なのはコンセンサスよりサイエンスへ」というコメントを見て、本当に全くその通りだと実感しました。
この時にピンと来たことは、私の身につけて来た長き「中国武術的思想」での考え方や実践方法を行う場合は根本的に「道理に則ったサイエンス」を一番重視し、
世間一般にありがちな「感情的なコンセンサス」になる方法や「やり方」には興味も関心も持ちませんでした。
感じたのは、世間の多くの人々は何かと「感情的」になりやすく、判断力や分析が出来ないほどに激昂することもあるのは、
常識といわれる「コンセンサス」に従っているはずなのに、うまくいかないことに自身で解らなくなってしまうことへの恐怖感だというものが正体なのであろう、と
私個人的な視点からは見えています。
ちなみに、コンセンサスとサイエンスの意味ですが、
コンセンサス(consensus)
意見の一致。総意。複数人間が合意すること。
国や企業などの組織的な政策などについて言うことが多い。
合意形成(ごういけいせい、英: consensus building)とは、ステークホルダー(多様な利害関係者)の意見の一致を図ること。特に議論などを通じて関係者の根底にある多様な価値を顕在化させ、相互の意見の一致を図る過程のことをいう。
特に国民全体の合意形成をはかることをナショナルコンセンサスと、合意形成を図る過程のことを合意形成過程とも言う。
サイエンス(science)
1 科学 学問。
2 自然科学。
こう書くと難しそうな印象を持たれるかも知れませんが、解りやすくくだいてみれば、
各時代ごとに、政権がマスメディアを通じて日常的に印象操作を徐々に日々行い続け、民主主義という言葉を用いてまで作り上げる「常識」というものが実は「コンセンサス:総意」というものになっていくのです。
つまりは、私がよく例えで申し上げる一例で、「耐震偽装マンション販売」や「食品偽装」「捏造ダイエット」そして最近の病院、医者、薬の問題になった「詐欺的医療行為」に引っかかる人が多いのは、
時代の作り上げた「コンセンサス」に載せられやすい人達であったから、という結果を証明をしているのです。
「何でこんな世の中なのか」「どうして生きていて辛いのか」
人々で、こんなことを想うことも多かろうと感じています。
私自身も20代の頃に大いに悩み考えた時代がありました。
後に専門の中国武術をフィットネス業界での仕事に移し、とにかく今までに眼前の仕事に打ち込んできました。
今になって思うと前例のない仕事で大変なことばかりの連続でしたが、本当によかったと思います。
冷静に分析してみれば、
来年は戦後70周年を迎え、今から世界中で様々な企画の準備が為されています。
私達の日本をゆっくりと考えてみれば、
この日本を作ってきたことで何でも知っているはずなのは、
今現在の70~80歳ぐらいの政財界の人達で、その「コンセンサス:総意」に従って「現代日本社会」が出来上がったという事実です。
しかしながら、従来通りの考え方を変えて、
自分自身にとって、一番ベストな生き方を「選んでできる時代」になった良さが実はあります。
「道理に則ったサイエンス」から確実な感覚で、行っていけば、
これからの時代は大いにチャンスがあると思っています。
謂わば、
「織田がつき、羽柴がこねし天下餅、座りしままに食うは徳川」
「年配世代がつき、中年の代がこねし天下餅、座りしままに食うは、これからの代」