

今日はこれからの世界経済を牽引する、アジア政財界のことでの取り決めを決定する、北京APECで日中首脳会談が執り行われます。
どのくらいの内容で、日本政府がどのような姿勢で行うのかを注視しています。
今回は今後21世紀型に入る前段なので、とても重要です。
今朝は、私の思う「歴史認識」について、夕方にはマスコミの流す報道での方向性の前に、一早く記述をしておきたいと思います。
(夕方には、あぁ、またいつものことか。あるいは異なるかが、楽しみです)
その前に一つ。
私達は何気なく行う行為に、実は無意識的に影響を受けています。
例えばジャンケンというものに「最初はグー。ジャンケンポン!」とやりますが、
「最初はグー」は要らない、と思います。
何故なら、そこで無意識的な中で動揺を誘うことがあるからです。
マスコミ報道も同じで、最初に報道企業、あるいは政府:政権に有利になるように影響を与えようとするシンクタンクが「最初はグー」をやって、ジャンケンをしないで、
同一単語をテレビ、新聞、雑誌、インターネット側に並べて国民への洗脳意識工作を行うからです。
教養にボキャブラリーが少ないと、そちらへ簡単に誘導されていきます。
冷静に考えれば、世間に精神妄想性障害を起こしやすい原因は、そこにあることに「気付いて」頂きたいと思います。
※最近の分析で解ったことは、よく聞かれる日本人的な「○○がぁ~」は同一単語でマスコミ報道から、多くの洗脳を受けており、自分自身でのその時に直感で気付いた本心・本音を言いたいけれど適切な単語自分自身の中に見つからないので、とりあえず「主語+がぁ~」で始まり、そこから展開できないもどかしさが内面を苦しめるのだと、見えています。
「歴史認識」
よく中国政府側が「歴史認識」という言葉に端を発し、そこから政府、財界の人間たちと「話し」を進めようという時に、必ずといっていいほど、
日本の報道関係者は「最初はグー」をやります。そこにある特定した単語へ誘導し、日本国民の意識操作を行い、政府系シンクタンク研究者や学者が入れ知恵して、洗脳方向へ持っていきますので、
私は、それらとは違い、独自の見解を述べたいと思います。
先ずヨーロッパ中心に考えていた大航海時代においてでの東洋人的立場、そして日本人立場から世界史で起きた出来事から見て考えていきたいと思います。
「マルコ・ポーロの「東方見聞録」などに描かれた「東洋の富」にあこがれを抱いたヨーロッパ諸国は、オスマン帝国のある陸路を避けて、海路から海を通ってアジアへやって来た」
この歴史的事実が、これからの21世紀型の日本を含む、アジア大発展の基本原則になっていることを知って欲しいのです。
(この時点からで、日本人一人、ひとりの、それぞれの「歴史認識的立場」が西洋側にあるのか、東洋側にいるのか、あるいはどちらかでもないのか、を自らで決定付けるのです)
日本は室町時代、中国は漢民族の明王朝だった頃に、キリスト教王国のポルトガル王家は北アフリカのイスラム勢力を滅ぼそうと考えて行動を起こし、バスコ・ダ・ガマが ムガール帝国(インド)へ1499年に到達し、
同じくキリスト教、スペイン王国のマゼランは1519年にフィリピンへ到達し航路を作り出しました。
ポルトガルはインドのインド西海岸を1510年に占領し、総督府を建て、支配を始め、1511年にマレーシアのマラッカを占領し、更にインドネシアのモルッカを占領しました。
スペイン王国は、1521年に中南米に侵略し始め、アステカ王国を滅ぼし(虐殺)1533年にはインカ帝国を滅ぼして殖民地にしました。
アステカ王国とインカ帝国の国民は奴隷として働かされ、アフリカから奴隷として人々を連れてきて過酷な労働をさせ銀山などの発掘までさせられました。
そしてヨーロッパから入ってしまった(輸入)天然痘が広まり先住民たちは苦められました。
こうして16世紀半ばには、スペイン王国は巨万の富を築き上げられました。
そして有名な「三角貿易」が始まり、
金や象牙をアフリカからヨーロッパは奪い、南米大陸からタバコ、綿花、砂糖:サトウキビ、とうもろこし、ジャガイモ、を奪いました。そのことがあって初めてヨーロッパは食文化の発展につながったのです。
ヨーロッパからアフリカへは日用品と武器提供。
ヨーロッパから南米大陸は毛織物が与えられました。
アフリカからは南米大陸へと多くの人間たちが連れて行かれて労働者として働かされ、そのことでアフリカは荒廃しました。
こうしてヨーロッパはフランス、イギリスも発展し、空前の繁栄を手に入れることができたのです。
その後15世紀、植民地帝国を築いたスペインは繁栄し、宮廷の贅沢による浪費、侵略戦争での疲弊、宗教抗争が起こり、オランダ独立戦争が起こり、
1648年にネーデルラント連邦共和国としてオランダは独立しました。
そこからオランダ商人は北米アメリカ大陸、南米大陸、アフリカ南部、インドにて東インド会社を設立。
そこからジャカルタへ進出。1624年に台湾を占領。
そして日本には鎖国をしていた江戸時代に長崎出島へ入り、貿易でやってきました。
それから後、
ポルトガル、オランダに続いてイギリスが東インド会社を設立し、ビジネスの名目で入植し始めました。
強引なイギリスのやり方にインド人たちは不満を抱き、1857年にセポイの反乱を起こしますが武力で鎮圧し、
巻き込まれたムガル皇帝を擁した後に帝制を廃させ、ビクトリア女王を皇帝とする1877年にインド帝国として成立させました。
そしてイギリスは中国、満州族皇帝の清王朝に近づき、広州で貿易を開始しました。
イギリス貿易の始めは南米から奪った銀を清に、清からは紅茶、絹、陶磁器との貿易でしたが、次第にイギリス支配のインドから清にアヘンを密輸し、清朝に普及させました。
清朝政府はアヘンの広まりに憂慮し、林則徐を派遣しアヘンを没収、廃棄しました。
そのことを理由にイギリスは武力を以て清王朝へ挑み、軍隊を差し向けました。
これが1840年のアヘン戦争です。
そして今度はフランスを連れてアロー戦争を起こして北京を占領、1860年の北京条約締結後のそれからの中国は英国とフランスの侵入を認めることになりました。
それからイギリス、フランスは広州の近くの香港。
長江沿いに上海、南京、武漢、重慶と商社と商館を建て、中国の欧米化を推進させたのです。
日本へは江戸時代末期にはアメリカ合衆国は既にイギリス、オランダからの移民があって産業も輸入し、蒸気機関の船を動かせるようになり、太平洋横断を行い、ペリーは1853年に4隻の船で日本浦賀へやってきました。
日本は1868年に明治維新を迎え、イギリス、ドイツとの提携で欧米化を推進し、1889年に大日本帝国となり、アジアでの主権国家となりました。
そしてロシアは新疆ウィグルで1881年に起きたイスラム教徒の反乱を理由に清王朝に入ってきました。
19世紀後半の国際社会は、帝国主義から始まった世界中での利権争いになり、
それは第1次世界大戦、第2次世界大戦と続き、
戦後69年間の今日まで実は根幹は同じなのですが、複雑に複雑化して今現在の国際情勢が存在しています。
アジア太平洋の夢
習近平さんのコメント
「われわれには、アジア太平洋地域の夢を、同地域の諸国民のために創造し実現する責任がある」と表明。そのような夢は「アジア太平洋全体の共有する運命に基づくもの」であり、「中国はすべての隣国と仲良くやっていきたい」
今日の夕方から夜からは、日本国内でまたあちこちで盛大な
「多くの人が集まってうるさく議論する」という意味の、「喧々囂々(けんけんごうごう)」「侃々諤々(かんかんがくがく)」
が始まると思いますが、
私の大事にしている「歴史認識」は、先ずここから考えることを重視しています。
こうしたことからの私の視点は、日本では室町~江戸。そして欧米化した明治維新、戦後の日本を素直な感覚で将来を考えること。
中国はどういう立場でヨーロッパを見ているか、ロシアはどうか。
インドはどうか。
東南アジア諸国はどう思うのか。
現代のアジア大繁栄の時代の到来です。
BRICS銀行、アジアインフラ投資銀行。
そして今設立しているトルコから中央アジアと中国を結んだシルクロードにちなんだ「シルクロード基金」
本当の中国の実力を国際経済の記事から確認
北京APEC。