東京散歩の途中

世の中の多くの方々と接しながら、想うことで、自分自身の、生まれ持った性格に不思議に感じることがあります。

普通世間、一般常識と、呼ばれるものに言うことを聞いて、それを信じて、それが絶対に正しいと考えている人は多く、

私も少年時代から、そうしたものに疑念を持っていました。

だからこそ、自分自身の生き方や考え方の選択方法はある意味で「自己中心」的世界観を大事にして来ました。

そして実践、行動、そこから得た心身の感覚。

本音からすると、何故か、

暗黙のうちに、

みんながみんな「同意見」に同調しないと許されず、

「自由」が認められているはずなのに、「自由」が認められていない、って変ですね。

それは「考え方」「生き方」に自由がない、ということでは!?

そんなことを思いました。


今、自分自身の今までを振り返ると、面白可笑しいことがたくさん走馬灯のように思い出されます。

自分が一番好きなもの、

それは、

「心身に こそ健全、明るく、楽しく、元気よく」

生まれ持った性格ゆえに、

この状態で今までに、ずっといつも朝昼晩、自分のテンションを高く、より毎日を充実することだけを考えて過ごしています。

世間をいろいろと見渡すと、

普通世間、一般常識と、呼ばれるものに言うことを聞いて、それを信じて、それが絶対に正しいと考えている人が、身体から、あるいは眼から、表情から、

「幸福感」や「笑顔」を感じられる方々は実際に多いのかな、と想うことがあります。

最近は、これ以上は言いません。

「それぞれだから」です。


自分が、大事にする感覚「心身に こそ健全、明るく、楽しく、元気よく」

こうして強調する理由は、

「心身に こそ不健全、暗い、つまらなそう、元気なし」

が好きではないからで、

彼等は彼らの世界観やアクションがあってこそ、

私は私の世界観やアクションがあってこそ、

それぞれに「自由」