フランスの作家、フランソワーズ・サガンの小説のタイトル「悲しみよ、こんにちは」をもじって、まったく逆の発想で「楽しみよ、こんにちは」なんて、してみました。

「悲しみよこんにちは」は、出版と同時に世界的なベストセラーとなり、小説の内容はサイモン&ガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」に影響を及ぼしたそうです。



(和訳 歌詞)

暗闇よこんにちは 僕の古い友
また君と話に来たんだよ
なぜなら幻影がそっと、這って来て
種を残していった 僕が寝ている間に
そしてその幻影 それは僕の脳に植えられている

まだ残っている
沈黙の音の内側に

休みのない夢の中 僕は独り歩いた
丸石を敷いた狭い通りなんだ
街灯の丸い光の真下
僕は襟を立てた 寒さと湿気のためさ
その時僕の目を刺した それは、きらめくネオン・ライト

それは夜を割くと
触れたんだよ 沈黙の音に

そして裸の光の中 僕は見たよ
1万もの人々 あるいはもっと
人々は話している 口も利かず
人々は聞いている 耳も貸さず
人々が書いている歌は 声の出る幕はなくて

誰一人勇気を出して
破らない 沈黙の音

「愚か者達よ」僕は言った「君達は知らないんだよ」
「沈黙は癌が広がるようなもの」
「僕の言葉を聞くんだ 僕が教えてあげるから」
「僕の手を取るんだ 僕が手を伸ばすから」

でも僕の言葉は 沈黙の雨音が落ちるよう・・・
そして、こだました 沈黙の井戸に

そして人々は頭を垂れ祈ったよ
彼らの作った「ネオンの神」へと
そしてネオンサインはきらめき警告を出す
その言葉の中に かたち作られる
ネオンサインは言った「預言をなす者による言葉は書かれている 地下鉄の壁に」
「安アパートの廊下に」

そして、ささやいた
沈黙の音に


人生というのは、山あり、谷あり。

特に日本という国も日本神話の基である、

古事記、日本書記から始まり、歴史的に見て、老若男女、喜怒哀楽、苦があれば楽があり、

あるいは、楽があっても一転して「苦」になり、

意外にまた、素直な真心があれば、また一転して「楽」に、なるような陰陽逆転劇が日々にあちらこちらで、いっぱい繰り広げられてきているように感じることがあります。

「天は見ている」とは、そういうことを指すのかな、なんて思うこともあります。

やっぱり、すべての物事というのは、

「起こるべくして、起こり」

「成るべくして、成る」

偶然のようにみえても、必然的であり、

必然的なものが、偶然に起こる。

そんなものなのかも知れません。

今年2014年は2月の春節に上海を訪問し、上海万博が終わり、経済的に充実した活気のある上海の街を案内を花妙林老師がして下さり、

空いた早朝の時間や午前中は、自分の足で久しぶりに1人で、自由に思い立ったところへバスに乗って移動したり、新しくなった地下鉄に乗ったりして、距離や移動時間を計ったりしたかったので、いろいろと今年から始める定番研修ツアーの企画の準備のための下見をしてきました。

途中、懐かしい1980~90年代頃までと、あまり変わっていない場所の光景を見つけた時は、嬉しく想い、そこで佇んでみて、

当時の記憶の邂逅を楽しみました。

やはり人間、楽しかった頃の思い出や、またこれからの未来への期待や希望、あるいは夢というものが大事で、

現代は世界中で、何かしら「ストレス:精神的不快感、あるいは苦痛」を真面目であればあるほど、抱かされるはめになり、

言葉上や、イメージでは「資本主義」「民主主義」「グローバル・スタンダード」は良い面をマスメディアでは強調しますが、

日本国内もビジネス資本主義社会的システムの中では企業はブラック化するのは必定で、その中でも私達は何かしら多くの勉強をして、

処世術を創っては、何とかしのいでいるのが、普通なのだと思います。

私は今年「花妙林」老師に、また大きな影響を受けました。 

花妙林老師

花妙林老師と韋剣老師

黒龍江省武術協会と合同練習




実は、花老師は、一時期には高度な能力を身につけながらも、チャンスに恵まれず、苦労に苦労を重ね、辛苦と忍耐を経ながら、しかしながらも不運をもまた自分自身への栄養分のように吸収し、

それをもまた、自身へのエネルギーに変えて発想の転換で好転させました。

そうして花老師は、世の中の風潮や傾向に対して、

決して、何もかも、めげずに、負けずに努力を続け、今現在での現代中国社会での処世術を身につけ、バリバリ上海人的流儀で成功していました。

私は、またそれを学びました。

意外なことに、それは毎日の生活の朝昼晩で「楽しみ」を増やせるようなことを連発して仕事を楽しくする、という発想と実践でした。

「つまらないこと」「くだらないこと」「不愉快なこと」「無意味なこと」の中で、何かしら一つでも感じたら「楽しくなれる実行」を2つ企画して実践する。

そうすると引き算で「2-1=1」で楽しみが一つ。

次にまた、ストレスを感じることが「2つ」できたら、楽しくなることを「3つ」企画して実践する、そうすると引き算で「4-2=2」で更に楽しみが二つ。

そうなると、ストレスを感じる前にプラス&プラス思考で、

前もって、楽しみを先に3つ企画して「更に楽しさ」の貯蓄を始める。

そうしてプラス思考の貯蓄があって、余裕が出て来ると「ストレスレベル2」がやってきたとしても、楽しさ貯蓄が「5」あると、

引かれても、余裕で「3」残り、更に「楽しさ数値2」を増やし、プラス思考での「楽しさ貯蓄」「5」に戻し、

ストレスレベルが、かかってくる前に「楽しさ貯蓄」を更に「2」増やしておくと、

イメージとしては「ストレスレベル2」が、また性悪ストーカーの如く、再びやって来ても、

楽勝で「出直して来い!」という感じで追い返すようなことにすらできるようになりました。

今や、世界・国際的常識で、

「米国 ウォール街の鬼」「英国 シティの鬼」

彼等の下僕。

現代的な「日本の鬼」「鬼の中の鬼」


今までに、こいつらが「鬼=悪」の根源。

この「鬼」関係者。

まだ少し早いですが、鬼が入ろうとする前に「鬼は~外!」と豆をぶつけ、

「ひぇ~」と逃げた後、

こっそり鬼が逃げて、鬼が家へに帰った後に、

逆に鬼の家に向かって鬼の家の外から、

「鬼は~内、もう2度と出てくんな!」と、

形而上学的には、マシンガンに詰めた「豆鉄砲」で、大雨が屋根に当たって響くが如く、

打ち鳴らせるようなこともできるようになった感じです。

そうして、もう2度と鬼は、ウンザリして、こちらへは来たくはなくなるような、処世術を身につけられた感じがあります。

いつだって、これからも、来年もずっと目標としては、

「楽しみよ、こんにちは!」