昨日、上海から戻りました。

また今回も、5月の武術班のツアーに引き続き、新しく総編した健身養生班での研修ツアーを行い、充実したイベントになりました。

※毎度、毎度のことながら、恩師、花妙林老師。

私以後の後進にもと、将来への関係でも信頼できる、若き韋剣老師に感謝!!


第1回 復旦大学武術協会 研修ツアー 

いつものことながら、またまた楽しすぎて、

先ず何処から紹介するかを今現在整理しています。


とにかく、またまた絶好調です。


とりあえずは、来年2015年の私達の武術活動でのメインイベントは、

7月17日(金)~21日(火)にシンガポールで開催される中国武術の国際大会(武術競技会・国際武術段位考試会)です。

そして、今までの活動項目も重要になります。


「龍身蛇形太極拳」



2011年に龍身蛇形太極拳が上海市浦東区の非物質文化遺産として登録されました。

龍身蛇形太極拳の流伝は初代楊式太極拳創始の楊露禅から2代目楊班候の内在意識から来る身体操法を重視した楊式太極拳小架式を学んだ満州族の全祐の学んだ太極拳の技法が、呉監泉が受け継ぎ呉式太極拳が生まれました。

呉監泉と同じく全祐に学んだ老架式太極拳の技法が同世代の上海市浦東地区の常遠亭に受け継がれ、常遠亭、その2代目常雲傑と伝承され、その技法は大架式に変化し、龍形太極拳と称されるようになりました。


そしてその龍形太極拳の馬殿臣から瞿荣良へ伝承され、上海市武術協会の王培锟、冯如龍との総編を経て、今日の基本架、軟柔架、勁架となる龍身蛇形太極拳を創始しました。

これまでの太極拳は陳式太極拳は河南省、楊式太極拳は河北省、孫式太極拳は北京。

上海市はこうしたそれまでの普及活動に上海特有の文化精神を持つ体育運動として2011年に上海市の非物質文化遺産として登録しました。

一昨年の2012年の上海国際武術博覧会、香港国際武術大会、2015年シンガポール国際武術大会での正式項目となり、上海流儀の太極拳として現在普及に力を入れています。

花妙林老師もこの龍身蛇形太極拳の指導者として瞿荣良老師と共に活動を行っており、横浜武術院は日本での普及指導を開始しました。


「馬王堆導引術」





馬王堆導引術について

中国湖南省、長紗市郊外の馬王堆にある漢の時代の墳墓が発掘されたのは1972~74年のことです、それを「馬王堆漢墓」と呼び調査をしました。


ここには漢代初期の三基の墓があり、発掘調査の結果、葬られていたのは、長紗国の丞相 利蒼(二号墓)その夫人 辛追50歳(一号墓)その子息30歳(三号墓)

であり、調査の結果、埋葬の時期は紀元前186年から160年にかけてのものと見られています。

二号墓は保存状態が悪かったが、一号と三号墓は地下の宝物庫と称せられるほど見事な副葬品で埋まっていたことでした。


夫人の遺体が生きているかのような姿で発掘されたことが世界中の注目を集め、以後馬王堆といえば真っ先にこのことが話題に上るようになりました。

しかし豊富な副葬品の数々は、それ以上に多くのことを教えてくれたのです。


2100年以上前、前漢といえば日本の邪馬台国の卑弥呼が出現する前であり、弥生時代の後期に相当し、 その当時の中国の文化水準と地方有力者たちの豪華な生活を感じることが考古学上でも重要な意味を持つのです。

三号墓の墓主は男性であったので、武具なども納められていたが、貴重なことはここから大量の木簡、竹簡、帛画が発見されたことです。

現在も整理作業は続いているのですが、この中には老子などの哲学、歴史、医学、軍事、天文、占術などにも及ぶものであり、この馬王堆から出た帛画は全部で5幅出土し、4幅が三号墓からにあり、この中に男女の行う古代の健康体操を行っている絵画が44種あり、それが馬王堆導引図として世に出たのです。


その図に描かれた運動から後代に研究された導引の術であり、2世紀頃、後漢の華侘の編み出した五禽戯の誕生にとつながっていくのです。


「導引」とは、

「導気令和:気を導いて和やかな感覚に心をしたがわせ」

「引体令柔:体を引っ張るように伸ばしていくことで柔らかくできる」

の意味で用いられ、後の時代に「功法:はたらきを高めるわざ」として

「気功」という名称が使われるようになりました。


健身氣功‧馬王堆導引術

動作順序

起勢   預備式 (燕息) 

第一式  挽弓  (振手 挽弓) 

第二式  引背  (引背痛 痛明) 

第三式  鳬浴  (鳬浴 堂狼) 

第四式  龍登 

第五式  鳥伸

第六式  引腹  (引腹中 飛燕) 

第七式  鴟視  (踢腳) 

第八式  引腰  (引腰痛) 

第九式  雁飛  (引頭風) 

第十式  鶴舞  (鶴譚)  

第十一式 仰呼 

第十二式 折陰 

収勢