
漢学とは日本の表記では前漢、後漢という紀元前後での王朝の漢(中国では政権を西安においた西漢と洛陽においた東漢)において成立した文化学問全体を指しています。
日本における漢学の導入は遣隋使、遣唐使から本格的になり、日宋貿易、日明貿易と続き、鎖国後は長崎の出島から入り、
清朝滅亡後にも中華民国建国にも日本とは深く関係があり、戦後の新中国とでもいろいろとあったけれども長い眼で見れば、これもまた一つの関係になっていると思います。
武芸の道を歩むようになって16歳の時から伝統の中国老師について学ぶようになってからは直感として漢学の教養を学ぶ必要性があると気付きました。
それはやはり本物の武術家は漢学そのものの具現化である、ということを感覚的に知ったからでした。
だんだんと本格的になればなるほど「学」は大事だと実感します。
日本国内の学校教育というのは結局は試験での成績を上げるためや合格をするための暗記やテクニックになってしまっているので、
「学問」ではなくなっている印象を受けます。
「学問」とは「問う」と「学ぶ」の繰り返しであり、卒業というものがありません。
逆に世の中に思うことがあれば、「問い続け」「調べ続け」を繰り返せば、何らかの答えは必ず見つかり、そこから「学ぶ」ことが必ずできるようになっています。
現代日本社会での傾向を見ると「問う」ことをあきらめ、簡単な答えを見つけ「ああ、そうか」と感じるだけのように見えてくることがあります。
戦後69年間、来年は70年。
ここ数年は何かしらの節目に世界中が動いている印象を受けます。
私は日本という国に生まれたことを誇りに思っています。
それはやはり日本は西洋ではなく、長き東洋の文化がしっかりと根付いている風土の強みがあるからです。
現代の人間界の風紀が乱れても、やはり先人たちの遺してきた偉大な文化は強く、そしてこれからも根強く続いていくと思っています。
最近実感するのは武士道も儒学からそのルーツを持つものであり、秩序、倫理、道徳が一番重要なものであり、
現代日本社会の問題というのは、正しく「秩序」と「倫理」「道徳」が衰退するものであり、精神性に悪影響を受けるのは当然だと感じています。
国というものを考えるに、「秩序」と「倫理」「道徳」が乱れる時は、すべて「政」が機能していないためです。
政に信頼ができず、多くの民が乱れても、自身が乱れず、秩序を保ち、歴史ある倫理道徳を尊び、自身の心身の健全を保つことが、私は今現在において、とても重要だと実感しています。
そして本質的に考えれば、自身での良好な心身感覚を維持していくには、さほど難しくない時代に来ていて、医科学の進歩で日本人はこれからもまた世界で一番長寿国になっていくので、
程よく「見ざる、聞かざる、言わざる」でおかしなものを感じないようにして、自身で善いと思うものを「見て、聞いて、言って」を行えば、精神的不快感というストレスを受けないようにすれば、ここから先は安全で安心を得られる時代になっていくと思います。
その時に数千年の歴史ある東洋文化が根付き、西洋文化を取り入れた日本は世界で最高になれると思いますし、賢い現代日本人になれると感じています。
(※日本人ではなく、西洋人でもなく、男でもなく、女でもなく、健康でも不健康でもなく、大人でも子供でもない、という精神性スタイルになってしまったら大変なことになるでしょう)