
今年に入ってから、何かと不思議な感覚ばかりを感じています。
人との縁での旧い再会や新しい出会いの様々です。
自分の人生で、かつては「自分は何者か」と思っていた感覚が実は違って「自分は元々、こういう人間なのだ」
つまりは「私は私なのである」という事実から考えるようになりました。
私の性格は元々従順でおとなしい性格で、闘いというのは好きではなく、その反面に気性の強さがありました。
だんだんとこの現代日本社会で生きていくうちに「処世術」として多くを中国の伝統文化に学ぶようになり、気付けば中国思想哲学である「儒学、道家思想、仏家思想」そして兵法を学び、
中国武術界にも深く入り込み、次第に中国との一員のようになるのか、と思えば次第にいつかしら時間が経つうちに、
ここ数年で気付けば日本武道の原点に立ち返り、自身の宗派真言宗で私の守り本尊は不動明王であり、そうした文化がとても愛着が沸き起こるようになり、
日本武道神の鹿島・香取の両大明神に詣でるようになり、私の父が尊んだ郷里の深谷市の英雄である鎌倉武士の「畠山重忠」そして近代日本を作った実業家の「渋沢栄一」にまた大きな関心を持つようになりました。
私は以前に「中国大陸との何らかの縁があるのかも知れない」と思っていたのですが、父が他界してから多くの家系のことをたくさん知るようになり、調べるようになりました。
そうして判ったことは、私の家系と「中国」とはまったく関係も縁がなく、
母もよく言っていた通り「突然変異」を起こしただけの人間だったという事実でした(笑)
でも振り返れば、最近学んだ日本医科学的観点や自身が何度も往来した中国での長き学びの数々は、
このリアルタイムの現代日本社会の中で何があっても、健全に生きていけるための「処世術」を創始しようと考えていたことの「事実」を思います。
私の家は武家の末裔で、父の代でお家騒動があって東京に出てきて、そして私が生まれ、上の兄姉と妹、両親と祖母と住んでいました。
独学で中国武術を始め、16歳から中国との往来を毎年にするようになり、中国ではとても気に入ってもらえるようになり、
学びたいものはすべてご教授して下さり、本場の選手と一緒に同様の訓練を受け、後に同年代だったチームメートや先輩たちが武術専門学校の指導者になれば、
また同じように仲間に入れてもらえて太極拳や健身気功など理論と実技、中国武術史なども学べるようになりました。
残念に思うことだけれども少年時代から今もそうですが、日本の資本主義システムが苦手で、いつの間にか「芸道」に生きる皆さんの職業の仲間入りをして、今現在に至っています。
しかしながら、ふと気付いた時に自分は一番生きたい「生き方」をするようになっただけであり、
国の主義やシステムというのは圧倒的多数に影響を及ぼすだけであり、
自身が努力すれば、世間一般常識がどうかとか、資本主義がどうか、とか社会主義がどうか、とか政財界がどうか、
ということにこだわるよりも自身が馬鹿にされてでも、自身の想いに忠実であれば、日本では大いに実現できることであり、
いい意味での現代日本社会を実感しています。
少年時代や20代での青年時代に悩み続け、苦しんだ過去、
ふと気付けば、自身の望む位置に自然についていた、何か不思議な想いがこみ上げてきます。