
最近いろいろと思うことがたくさんあります。
毎日の新聞やテレビの報道で「中国」の2字が出ない日はありません。
おそらく日本にいらっしゃる中国の皆さんも日々何かと多くの応対で立場的に大変なことであろうとご察ししています。
私は1985年の16歳の時から今までに毎年中国大陸との往来を続けてきています。
今年ももう2回上海を訪れました、秋にもう一度訪れる予定です。
私は民間交流を行う者なので、政治家とも財界とも、まったく関係なく、通訳がいたのは最初の1985年の時だけで、この年でも、今でも教え子たちにも言いますが、独学で覚えた中国語とハートとガッツでとにかく会話を頑張りました。
その後の1986年からはずっと朝昼晩と毎日の生活の中で、自分の意思からの言葉を自身で中国語で会話して、ずっと今までの活動を行ってきました。
近頃、よく思うことがありますが、現代日本人、特に男性は精神と肉体的で全体的に弱くなっている印象を受けています。
政治家たちをあげて、何かあったら「先生に言いつけてやる」みたいな人間たちが多すぎるように感じます。
それは、多くの人達が幼少からそうした雰囲気で育ったからだと思います。
私は幼少の頃から「気が強く」
身体が小さくとも、損をしてでも「やらなきゃならない時には、啖呵をきって、やるべきことをやってきました」
「嫌な目にあった時」「自身が惨めに思った時」「守らねばならぬと思った時」
多くの人間が逃げた時に本能的な直感で、
「よし、俺が相手になって受けて立ってやる!」
という大和魂の気概をもって生活の中で実際にやってきました。
そして中国大陸に渡り本場の武術界の中国人社会の中で揉まれ鍛えられながら今日までやってきました。
日本での武術関係者に感じることはコミックや映画の「ファンタジー世界」の中で生きている人や、中国政府からの援助組織で家臣のようなかたちで行っている人も見ています。
そういう点で私は「リアルタイム」で身近に中国と日本の本当の関係の中で29年間を過ごしてきました。
そしてこれからもまだまだ関係は続きます。
今日は武術院の太極拳班の練習の後に今話題の中国戦闘機と日本自衛隊機の接近のことで質問を受けました。
当然私はこの手の報道が出た時点で状況を調べ考え、私の実際の多くの経験から大体の様子を把握しています。
やっぱり日本国内の報道態勢での流れの中でのお話を聞きました。
その時に私は答えました。
「日本人の頭脳:考え方」で「中国人の頭脳:考え方」を判断するのは不適切になるだけで、逆に「中国人の頭脳:考え方」で「日本人の頭脳:考え方」を判断するのは不適切です。
(単なる報道での単語を流される中で実際の日本と中国での良好な活動での関係を壊す「サイバー戦争」にやっぱり多くが引っかかります)
しかしながら現代中国の政府は多くの社会研究院の中で「日本人の頭脳:考え方」を分析し、多くの方法:手段 シミュレーションを図って実際にいくつもの「テスト」を実際にこのように行っています。
と答えました。
特に現在の中国政府かあるいは人民解放軍のトップは先週の「天安門事件」報道の流れの一件で、靖国参拝は責めなかったのに、
報道機関を使って、結果としては外国からの立場なのに「中国国内の混乱に繋がるような活動をした」というように受け取っていると察します。
これは日本国内で米国政府系のシンクタンクとの共同でいくつか行ったイベントがあり、それを行うことは確かに欧米系民主主義の自由というものがあります。
多くの方々は気付くべきです。
この20年間のいくつかの戦争を起こしたことによって財政破綻を招き独自で財政問題を立て直せない国際連合:連合国の常任理事国の欧州の英仏、米国の3カ国は今や中国とロシアに経済軍事の両面で力負けをしていて頭が上がりません。
「自由」には「責任」がつきものだと、言論で日本でもよくいわれています。
日本では私達があちこちに目にした多くの天安門事件への報道があった中「6月4日」に北京の中南海、人民大会堂の真ん前にある天安門前広場は戒厳令状態にありました。
それだけ欧米系民主主義の方々のソフトパワーやサイバネティックからの挑戦を挑まれていました。
欧米的な自由活動は許す、しかしその「責任」についてを考えたい。
こう「中国当局」筋は考えるのは中国と付き合っていれば一般常識です。
中国政府あるいは解放軍、武装警察隊は国内に封じ込めを完全に行い、彼等からすれば1週間問題が起こさせなかったことへの報復の意味があります。
「三国志」という書物は物語でもなく、今でもリアルタイムで続く現実の連続であるということを知ることは大事です。
(強者の立場になったなら強者の論理で、弱者かと思ったらすべてに本気で自身が有利になるように更に打ってやって出て来るという実行をするのが歴史的な中国権力の真実です)
昨日の報道では英国金融銀行界大手企業のスタンダードチャータードの会長ジョン・ピース氏が中国人民元の決済を後押しする、というニュースがありました。
ご存知の通りに米国の国債の保有国第一位は中国(日本は第二位)で、一度中国政府は胡錦涛国家主席が「米国債を売る」とオバマ大統領とそのオーナー組織体であるウォール街の有名国際企業体を脅したことがあります。
その後に南シナ海でのベトナムでの紛争、そして尖閣諸島も米国オーナー企業体の下僕の日本支部で「暴走老人」「老害」とも、揶揄され国会でも今は何をやりたいのかが判らない無責任かつ時代遅れの「太陽族」石原慎太郎が仕掛けました。
日米同盟というのはそういう意味での活動であり、今や一度破綻した米国政府は巨額の資金がかかる戦争はもうできなくなっており、
中国政府は米国政府にとても大きな貸しがあり、米国には単独で中国へは逆らえなくなっています。
プーチン大統領をトップとするロシアはクリミア情勢の事もあって勢いがあって、先ほどロシア抜きで行われたブリュッセルでの「G7」が終わってから、エネルギー関連のイギリス大企業トップがロシア政府に近づいています。
そしてウクライナ政府がロシアに踏み倒そうとしたガス燃料代を今の時点ででも日本からの支援したお金があるのに毎日「お金が払えないからお願いだからまけてくれ」と交渉を続けている情けない状態で、
大東亜戦争時に日本が援助してインド独立に繋がった縁があり、昨年に天皇陛下訪問、そして安倍首相の訪問でのインド政府との結びつきが強くなった縁があります。
先日、6月9日にはかつて日本大使を務めて日本に長く滞在していた知日派と呼ばれる王毅外相がインドを訪問し新首相のモディ氏と会談を行いました。
今世界はすごいことになっています。
最終的に現在の中国軍機と自衛隊機では何があったのか、と私の直感からすれば報道での「どっちが何をした」という「代弁者」同士での議論のやりとりは、
まったく意味がなく、
中国軍は日本自衛隊に「腕試し」をしているのに 過ぎないのです。
私がずっと付き合ってきた本場の中国武術界でやっていれば、こんなことが起きるのは日常茶飯事で中国人同士では普通の普通の一般感覚で、「中国的」ならば何もこんなに問題騒ぎすること、そのものがおかしいです。
(だから、国防省の代理人の話す文言はそうなります)
2006年の上海国際武術博覧会で私が自ら挑んだのもそうだし、今年の上海復旦大学で練習最終日の詠春拳の自由散手で挑まれ応対したこともまったく同じ延長戦上にあります。
「挑まれたら、やるしかない」
長き戦乱を乗り越えてきた有能な歴史的中国人の持つ感覚の中で、実際リアルタイムで「やるか」と、瞬時に起こり得たことへの応対は、その時のすべてが瞬時での応対感覚を試されるのです。
戦争によって財政破綻を招いた英米仏という欧州の3カ国は今や中国とロシアに頭が上がりません。
米国に載せられて、
「中国政府と日本政府が戦争をやる」と相互が宣戦布告をすれば、
「コミックや映画のお話し」ではなく、
私達は互いに命と財産の全部を懸けて「どっちが死ぬか死なないか」として現実に戦わねばならないのです。
「日本人の頭脳:考え方」で「中国人の頭脳:考え方」を判断するのは不適切になる、という意味はそこにあります。
(※今や日本人の多くがスマートフォンを指先で扱っている、小さなディスプレイ先でのコミュニケーションしかできない、実際の言葉のコミュニケーションが出来ず、メールのやりとりでも不具合を起こす世間一般の日本人の皆さんたちは、こういう意味が判っていますか!? 毎日パートナーのスマホに夢中で歩いて気付かずに電車へ接触して命をも落とし、電車のダイヤが大幅に狂わせられる毎日・・・)
「私は関係ないもんね、とか、私はやらないもんね」
という現代日本人的「甘さ」にも現実には今、このようにして国境付近では実際に試されてきています。
集団的自衛権というのは、いちいちややこしい話しをしていますが、違います。
アメリカ国家は政府を維持するためのお金がなくて中国への借金と利子を払えず、いっそ戦争を起こして踏み倒そうという為での戦争も起こせずになっており、
有事になったら軍事基地のハワイとグアムから出すアメリカ軍兵士の動員が行えず、これから実質的に戦うことが出来ないから、頼むから自衛隊:日本人が我々の替わりに戦いに行ってもらえないか、という意味です。
中国軍は今知りたいことがあると思います。
地域紛争の戦闘が実際に始まったのなら空中戦を先に制するものが勝ちなのは明白で、自衛隊機の性能と兵士の能力、この2つを調べたいのが判ります。
いちいち本当の戦闘には繋がらない、つまらない内容の出来事を報告して国民がビビッてメディアで「ああだ、こうだ」と弱腰になった時点で中国軍の戦闘機の兵士は「ニヤリ」として「いい仕事をした」と思うだけです。
(※みんなで騒いでやっちゃ駄目、ということを本当にメディアを挙げて政治家たちがやっていることに、情けなく思います)
私がこの自衛隊機に乗っていた隊員だったならば、30メートル接近ぐらいでは報告はしても、そこからの相手へのチャレンジには挑みます。
20メートル近づいて、相手運転士の様子を見ます。
10メートル~5メートルになったなら相手兵士と顔と顔を合わせ、覚悟を決めて、そこからはなるようになるだけで勝負にいきます。
(2001年に中国海南島で米軍機と中国軍機同士で、まったく同じような状況の出来事があり、結果的には残念な結果のあった事象がありました、その時とまったく同じです。能力的に負けたら絶対に駄目、そのための軍事演習のはず)
私の普段から言う日本精神とは、こういうことです。
スサノオノミコトとヤマトタケルノミコトは、それをやってきたということです。
「日本人の心意気を行動で示さねばならぬ時」
それが来た時には自分はやります。
「なら、お前が兵士になってやれ」
と言われればきちんとその環境を国が準備してくれれば「俺はやります」
今までやってきたように。
(航空機の運転はやったことがないですが、訓練を受けてやらせてもらえればできるでしょう。砲撃については性格的に向かないですが、どれぐらい難しいかです)