山道


私は武芸ひと筋に生きてきました。

剣道を6歳から6年、13歳から32年間中国武術を修練しています。

2年前から新しい日本刀、木刀、竹刀で行う剣術を編み出し、日に日に稽古に打ち込んでいます。

何故に武術ばかりに打ち込み続けたか、という理由は今になると明白です。

現代日本ストレス社会で受け続ける「ストレス:精神的不快感」を自身の中で打ち破り、心身が爽快になれることを10代で気付き、今日まで朝から晩まで武術のことか、伝統思想・哲学に関連するものしか興味をもたない人間になりました。

今になって判ったのは少年時代から、まだ学を身につける前でしかも現代の先端の医学的根拠にも基づいても最良のものであることを本能的に心身で理解していたことで、

誰に何を言われても言うことを聞かなかったことが幸いしています(笑)

思えば「正直者が馬鹿をみる」なんて言葉を平気で多くが言っている世の中の連中の姿に気付くべきでした。

仕事は武術の指導ですから毎日が充実しています。

長い時間が経ち、ここ数年で指導先で多くの皆さんからの健康不安からくる懸念という「気がかり」について多くの質問を受けることが多かったです。

元々は伝統中国医学の教養が専門なので、そこからお話ししていましたが、やはり心底皆さんの答えにならないことがあり、

縁あって現代日本医科学を自身で学ぶようになりました。

日本の医科学界の集めた日本国民全体の膨大なデータから分析し、生活習慣病という「病」の正体が判明した時は多くの意味で「大発見」でした。

そこから日本の医学界の問題も判ったし、自身がとても長い疑問の中で思い続けていた答えを見つけ出した時は大きな感動さえ思いました。

武芸に生きる者ができることというのは断然判り易いです。

相手が実力の内容で敵にならないことが判ったら、断然こちらが優位になるのです。

あるいは「見えない敵」が現代日本社会ではとにかく多く、いつの間にか「敵」が出来ているはずなのだが、姿がなく、

何処の誰だか判らないうちに精神的疲労を蓄積してしまい、いつしか自身の心や身体が力尽きてしまうようなこともあると思います。

これは私の経験でも痛感していました。

今までは知ることもできなかったし、誰も教えてくれることのなかった現代日本社会のしくみや構造がだんだんと明確にわかってくると「敵」は誰で何処にいるのかが見えてきます。

実は、これらの敵は物質的なものでなく形而上学的空間にあり、

いろいろなかたちをしていたりしますがひと度にその敵の姿を見つけられれば、それを解消・消滅させてしまえば解決ができます。


手品:マジックのトリックが判れば意味のないものに見えるのと一緒です。

武術に打ち込んできたことに比べれば、案外答えを見つけるのは容易だったのが意外です。

この春から指導ではいつもそのタネ証しも入れることにするようになりました。

そうすることで皆さんの安心感はぐっと上がったことに嬉しく思います。

逆に皆さんの心配や不安を教えてもらえたからこそ、その姿を探し出し、見つけ出して処分したら自身での大いなる発見にもなり、感謝を感じます。

親切心から人々の仇討ちの相手を探していたら、自身の仇討ちをするべき相手と一緒だった感じです。

芸事はすべて「道」です。

自身の前に道がないからあきらめる人は多く、あるいは道を歩くに疲れて辞めてしまう人もあります。

私は歩みを止めない。

生涯のすべて歩き続ける決意の下に生きてきた人間です。

辞めた人が出ても、馬鹿にしてくる人があっても進みます。

足を引っ張る人間には引っ張らせました。

こちらは引っ張らず、片足になったら片足で歩き続けました。

「道」は歩き続けた後ろに出来るもの。


最近は何か楽になりました、体力がついて柔軟性もついたのかも知れません。

しかしまだまだ旅路は続き、まだまだ足を引っ張られるかも知れないし、からかわれることもあるだろうから、

道理に従い、無理せず、自然に行きたいと思っています。

「道法自然」