1985年春 徐文忠老師の来日された時

1986年 徐老師のお譲様の徐淑貞老師

安徽省武術隊出身 朱多娟老師と共に1985年上海体育学院の武術館にて

1986年 来日された楊承冰老師

徐文忠老師の動画 おそらく1980年頃
私は1984年の秋に杜進老師に師事し、そして杜老師からの紹介で上海におられた師爺で1985年から指導を頂いた徐文忠老師、は私の一生涯で、ただひたすらに憧れている武術家です。
ちょうど今から30年前、今での普通世間一般の皆様が感じるのと同じように、戦後の現代日本社会の風潮における「ストレス:精神的不快感」に当然朝から晩まで影響を受け、
「ああ、こんな世の中は嫌だ!」と、国家への不満というより行政の影響からくる人間社会の考え方へとずっと思っていました。
しかし、1985年の初訪問した中国、上海で徐文忠老師にお会いし、武術を学び、上海体育学院でも当時の国家制定での中国武術のスタンダードスタイルでの武術訓練を受けることができました。
その後すぐにGW期間に合わせて協会が招聘し、徐文忠老師、張品元老師(徐淑貞老師のご主人)馮正宝老師と来日され、日本でも指導を受けられました。
私は最初で最後に感動し、身近で学ぶことのできた真の武術家でした。
徐老師は何故か、私に関心を持ってくれて、本当に多くを与えてくれました。
私はよく練習中で当時の日本人では難度動作の適切な指導をできる人はなく、よく無茶をして動作の着地の失敗から怪我をすることが多かったのですが、徐老師が来日されていた時でも、
膝に大怪我した時も、すぐに推拿で治療してくださり、膝周りでの吸い玉による療法で本当に早い回復ができました。
世の中は今でもそうですが、日本国内では行政組織や企業体のほとんどが拝金主義の従事者であり、何かに理由をつけては「金払え」と迫ってくる世の中や追随する人々の考え方に辟易していました。
当然に当時は団塊の世代の皆さんが日本社会では絶好調な時代でもありました。
汚い手を使ってでも「勝てば官軍」
長いものに巻かれない方が不利、寄らば大樹の陰に近寄らない方が不利。
私達の世代の人間も言葉は適当に濁しながら、そういう彼等に追随する人間たちが圧倒的に多かった時代です。
私は、そういう人を人とを思わない人間達には「盾をつく人間」でした。
当然に、若造ゆえに、あまりいい結果にはなりませんでした。
そんな中で、徐文忠老師は私に武術への考え方や思想においてもいろいろと多くのアドバイスと指導をしてくださり、私は大いに嬉しかったので、教わった意識や技芸を一生懸命に打ち込みました。
1986年には夏に安徽省武術隊で特訓を受け、その秋すぐには楊承老師と瀋陽体育学院の穆秀傑老師が来日し楊老師には武術の全般での特訓、穆老師からは通臂拳の指導を受けました。
その後にお嬢様の徐淑貞老師と何福生老師が共に来日され、両老師からも武術を学びました。
そして1987年に徐文忠老師と楊承冰老師が再来日され、大学浪人時代でしたが時間は比較的いっぱいあったので、入試直前以外ではいつも朝から晩まで先生方と一緒の生活で本当に充実していました。
1988年になり、王金香老師と妹さんが来日され、とても賑やかな生活になりました。
自分は大学に受かりましたが、とにかく先生方とのライフワークを充実させるよう授業をサボったりしながら、時間をいつも作って武術ばっかりしていました。
日本にいながらも多くの人たちから「生き甲斐」を与えられることもなく、感じることもなかったのですが、中国武術家の徐老師の存在や指導が当時の私へ大きな生き甲斐とチャンスを与えてくれたのです。
これは今でも、絶対に忘れません。
私の武術における方針はすべて徐文忠老師に学んだことです。
一時期、ある武術のコーチから私が徐老師から学んだ武術技芸について軽い言葉で難癖をつけられたことがありました。
私はその人の姿勢や態度に憤慨し、その人との活動の縁を自分から絶ちました。
学んだ武芸を尊んで生きること、というのは、こういうこともあることだと思います。
私は、今世の中で何が起ころうとも私の中で最優先して、ひたすらに生きていける想いや智慧、技能があります。
その中で一生涯に目指せるものがあるのは力強く、心強さがあります。
徐老師はそれを先生の姿勢で身体で目で言葉で生き方で、1985年の戦後40年が経ち70歳過ぎになった時点でも日本人の私に武術の素晴らしさを教えてくれました。
私の中に老師は生きていて、私の中にある意味では「乗り移って」生きていられるような気もします。
今、徐老師が健在であったなら、105歳になっていると思います。
その老師のへ100年過ぎへの記念の想いに、
あるいは私が今は亡き師の想いと、同じく今は亡き父の想いが、今の私の中で融合しているような感じがします。
この春は、先日行った上海での研修ツアー期間で花妙林老師からの縁から王金香老師にご連絡をとって頂き、26年ぶりに再会を果たし、とても感動しました。
あまりの、嬉しさの連続に今は何も怖いものはまったくない感があります。
私は私だけでなく、多くの老師の授けてくださった技や想いの力が今の私の強みになっています。
そして私が少年時代より身につけた日本の剣術、神道:日本民族古来の魂が更に私を強くしてくださった感覚があります。
「想い」ある人間は強くなれます。

1986年 徐老師のお譲様の徐淑貞老師

安徽省武術隊出身 朱多娟老師と共に1985年上海体育学院の武術館にて

1986年 来日された楊承冰老師

徐文忠老師の動画 おそらく1980年頃
私は1984年の秋に杜進老師に師事し、そして杜老師からの紹介で上海におられた師爺で1985年から指導を頂いた徐文忠老師、は私の一生涯で、ただひたすらに憧れている武術家です。
ちょうど今から30年前、今での普通世間一般の皆様が感じるのと同じように、戦後の現代日本社会の風潮における「ストレス:精神的不快感」に当然朝から晩まで影響を受け、
「ああ、こんな世の中は嫌だ!」と、国家への不満というより行政の影響からくる人間社会の考え方へとずっと思っていました。
しかし、1985年の初訪問した中国、上海で徐文忠老師にお会いし、武術を学び、上海体育学院でも当時の国家制定での中国武術のスタンダードスタイルでの武術訓練を受けることができました。
その後すぐにGW期間に合わせて協会が招聘し、徐文忠老師、張品元老師(徐淑貞老師のご主人)馮正宝老師と来日され、日本でも指導を受けられました。
私は最初で最後に感動し、身近で学ぶことのできた真の武術家でした。
徐老師は何故か、私に関心を持ってくれて、本当に多くを与えてくれました。
私はよく練習中で当時の日本人では難度動作の適切な指導をできる人はなく、よく無茶をして動作の着地の失敗から怪我をすることが多かったのですが、徐老師が来日されていた時でも、
膝に大怪我した時も、すぐに推拿で治療してくださり、膝周りでの吸い玉による療法で本当に早い回復ができました。
世の中は今でもそうですが、日本国内では行政組織や企業体のほとんどが拝金主義の従事者であり、何かに理由をつけては「金払え」と迫ってくる世の中や追随する人々の考え方に辟易していました。
当然に当時は団塊の世代の皆さんが日本社会では絶好調な時代でもありました。
汚い手を使ってでも「勝てば官軍」
長いものに巻かれない方が不利、寄らば大樹の陰に近寄らない方が不利。
私達の世代の人間も言葉は適当に濁しながら、そういう彼等に追随する人間たちが圧倒的に多かった時代です。
私は、そういう人を人とを思わない人間達には「盾をつく人間」でした。
当然に、若造ゆえに、あまりいい結果にはなりませんでした。
そんな中で、徐文忠老師は私に武術への考え方や思想においてもいろいろと多くのアドバイスと指導をしてくださり、私は大いに嬉しかったので、教わった意識や技芸を一生懸命に打ち込みました。
1986年には夏に安徽省武術隊で特訓を受け、その秋すぐには楊承老師と瀋陽体育学院の穆秀傑老師が来日し楊老師には武術の全般での特訓、穆老師からは通臂拳の指導を受けました。
その後にお嬢様の徐淑貞老師と何福生老師が共に来日され、両老師からも武術を学びました。
そして1987年に徐文忠老師と楊承冰老師が再来日され、大学浪人時代でしたが時間は比較的いっぱいあったので、入試直前以外ではいつも朝から晩まで先生方と一緒の生活で本当に充実していました。
1988年になり、王金香老師と妹さんが来日され、とても賑やかな生活になりました。
自分は大学に受かりましたが、とにかく先生方とのライフワークを充実させるよう授業をサボったりしながら、時間をいつも作って武術ばっかりしていました。
日本にいながらも多くの人たちから「生き甲斐」を与えられることもなく、感じることもなかったのですが、中国武術家の徐老師の存在や指導が当時の私へ大きな生き甲斐とチャンスを与えてくれたのです。
これは今でも、絶対に忘れません。
私の武術における方針はすべて徐文忠老師に学んだことです。
一時期、ある武術のコーチから私が徐老師から学んだ武術技芸について軽い言葉で難癖をつけられたことがありました。
私はその人の姿勢や態度に憤慨し、その人との活動の縁を自分から絶ちました。
学んだ武芸を尊んで生きること、というのは、こういうこともあることだと思います。
私は、今世の中で何が起ころうとも私の中で最優先して、ひたすらに生きていける想いや智慧、技能があります。
その中で一生涯に目指せるものがあるのは力強く、心強さがあります。
徐老師はそれを先生の姿勢で身体で目で言葉で生き方で、1985年の戦後40年が経ち70歳過ぎになった時点でも日本人の私に武術の素晴らしさを教えてくれました。
私の中に老師は生きていて、私の中にある意味では「乗り移って」生きていられるような気もします。
今、徐老師が健在であったなら、105歳になっていると思います。
その老師のへ100年過ぎへの記念の想いに、
あるいは私が今は亡き師の想いと、同じく今は亡き父の想いが、今の私の中で融合しているような感じがします。
この春は、先日行った上海での研修ツアー期間で花妙林老師からの縁から王金香老師にご連絡をとって頂き、26年ぶりに再会を果たし、とても感動しました。
あまりの、嬉しさの連続に今は何も怖いものはまったくない感があります。
私は私だけでなく、多くの老師の授けてくださった技や想いの力が今の私の強みになっています。
そして私が少年時代より身につけた日本の剣術、神道:日本民族古来の魂が更に私を強くしてくださった感覚があります。
「想い」ある人間は強くなれます。