滝


かつて、日本国内では官僚や行政組織が有利だった時代に「寄らば大樹の影」そして「長いものに巻かれろ」という言葉がありました。

この考え方の根本は、は戦後の連合国の占領軍の指導部から始まった指導の配下に基づくものでした。

その言葉通りに「寄らば大樹の影」の下に着き「長いものに巻かれろ」の言う通り巻かれた人達が、かなりの数がありました。

私はこれまでに、少年時代から、これらをすべて拒否してきた人間です。

何故なら伝統的東国文化を重要視する「日本人気質」ではなかったからです。

そのために、細かくいえば米国政府モデルに沿った考え方、方法、システムのすべてを行政のトップである日本政府に押し付けて実施させてきました。

そして、一時期は、伝統日本文化2000年の日本精神、倫理道徳的に反した者のこそ優遇するようにと政財界は行政をも支配下にいれアクションを起こしてきました。

その方法では米国システムへ、色移りする「不倫」した者は有利になり、不倫しない者たちは評価対象外になるのです。

「そうする者たち」へは評価をされない:しないばかりでなく、時期によっては排除目的と末梢するための計画方針からの「嫌がらせ」を受けたり、侮辱されることもありました。

思うに途中からは「嫌われてこそ花」のように思いました。

しかし、武芸に生きる人間は、上達することや、強くなれることが重要なので、実際の強さがなく、誤魔化しにと「数」を頼りにする意識を最優先するような卑怯者人間文化には興味をもたなくなるものです。

というよりは、数多い劣化した人間たちと一緒にいるのは苦痛なので、常に進化できるなら孤高の生き方を遥かに善し、と考えるからです。

今、我が偉大なる祖国日本でも戦後69年間の国民の忍耐と苦労の連続を経て、来年には70年を迎え、そこからは時代は大きく新しき繁栄へと動き始められる、そんな予感を様々な事象から思っています。

そのことを考えて計画し、この春を迎え、4月からはまた大きな前進のためのスタートを始めました。

今、ありとあらゆる現代日本社会のすべてを達観して思うには、

「寄らば大樹の影」

言われた通りに信じてと、大樹と思って寄ってみて、一緒にやってはいたけれど、だんだん枯渇して、枯れてしまい、

逃げられずに、今や一緒は嫌なのに共に枯渇に付き合うはめになってしまった。

とか、

「長いものに巻かれろ」

長いものに就いてみたけれど、長いから、やたらと時間がかかるし、労力は使わされるし、経済的に恩恵はあまりなく、

正直、長けりゃいいってものじゃない。大きいけりゃいいってもんじゃない。

身体もそう、でかくなったら動きが鈍くなったし、コストもかかる。

気付けば、当然に脳の反応も悪くなったようだ、

ああ、コンパクトでキレがあり、動きのいいものがいいなぁ・・


と日本国内の老若男女が直感や本能で思う時代になったようです。

結局「寄らば・・」や「長いもの・・」の時代は終わり、反故になりました。

敗戦投手のような人達はかなり多いようです。


これからの時代。

身動きが軽く、しなやかで、無駄のない、聡明な感覚が重要で、便利になった時代をつかいこなした者たち同士での連合体が最高になると感じています。

「いざ、出陣」