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昨年から今年と私達の武術活動の大きな新展開をと考えたプロジェクトを邁進してやってきました。

今年は無事に、一先ずは目指してきた目標へ努力し、有難くひと段落が出来たように思います。

これからは腰を落ち着けて皆さんと一緒に、日々元気に楽しく総合的な武術活動、あるいはエンターテイメントやレクリエーション的な楽しみを重視した健身、養生活動も重要視して行っていきたいと思います。

そこで今日は、今年までの活動でもう一箇所、関東人として「縁:ゆかり」ある場所へ参詣したいところがあり、行ってきました。

思えば私は東京、というよりは武蔵国多摩の地域に生まれ育ちました。

生まれた場所は狛江市ですが、家の数百メートル先のすぐ近くには市の境界線があって、そこからは調布市でしたので、狛江、調布が私の生まれ故郷になります。

新撰組の近藤勇が調布市生まれの英雄で、6歳から小学校を卒業する月まで至誠館という剣道:天然理心流剣術の道場に通っていました。

中学生になり、思うことあって、今までに行っていた剣道を離れ、中国武術へ転身しました。

理由はいろいろとありました。

そこで中国武術の道へ入り、ひたすらに学びました。

学びの場所もあちこちを訊ね周り、ようやく日本武道館の道場にて来日されている中国人老師、の数々の皆様から学ぶことが出来、

そして本場の中国武術の盛んな地、上海、安徽省と師のつてから、当時は本当は外国人が入ってはいけないようなところでも現地の生徒と一緒に学ぶことが出来てよかったと思います。

私の家は自分が生まれた時点で姉兄と3人に両親、祖母と6人家族でした。祖母が亡くなり、妹が生まれても6人、たまに母方の祖母が来ると7人、という家庭環境でした。

小学6年生ぐらいの頃までは比較的裕福な生活でしたが、市政に関連していた父の事業が傾いてから経済的には大変になりました。

中国への留学は1985年の春の高校生~スタートし、剣道を辞めた時点から 父との約束で、武術を学ぶ費用はアルバイトなどで自費を溜め 無理やりにでも時間や費用を融通して毎年あるいは隔年でも1ヶ月~2ヶ月ほど学費、や滞在費、中国国内移動の運賃での費用のやりくりで続く限り滞在して行っていた経験でした。

28年前の16歳から知り始めた本場中国(共産・社会主義時代)での、ずっと継続してきた武術訓練は厳しかったけれども、朝から晩まで学べる嬉しさでいっぱいで疲れも知らず滞在していた時はいつも無我夢中でした。

大学を卒業して、とにかく仕事をしなければならない年齢になった時でも、とにかく無茶して時間を作っては行きました。

若い時分には何とかしてでも、武術の合間にとりあえずは何とか仕事をやって置いて、普通世間様 一般の周りから文句やイチャモンをつけられないようにという処世の時代でした(今はこういうことがなくなりましたから、いい時代です)

日本国内の競技会で好成績を挙げられるようになってから、フィットネス業界の方からスカウトを受けました。

そしてそのまま仕事を転身して、現在に至ります。


「人生、時間があっという間に過ぎた」

とよくいいますが、

私において、そういうことはまったく「ありません」

武術の稽古は時に厳しい時は長くも、短くも感じます。

楽しいこともありますが、

楽しくはなく、ただひたすらに辛苦な時間の連続がひたすらにあるだけ、ということもありました。

今現在、過ぎ去った時空や、今ある時空を感じる時間や場所を堪能するひと時が好きです。

今までの自身の持つ時間で、最も多く時間を費やし、実践してきた中国武術の技芸を修練し続け、中国思想哲学でも、道家思想、道教、仏教、儒教を幅広く学び、

更に易経、風水、中医学、そこから伝統気功の導引を学び、道教の祖、老子、荘子、武将の曹操、そして五禽戯を創始した華侘の故郷亳州を3度に渡り、訪問し、体得できてから、

そんな時間を、いつしかゆっくりと感じられる場所は、あれほど若かりし時に憧れ、好きだった中国ではなく、

日本、特に私にとっては故郷、関東地方、武蔵国であることを、ここ数年の経験にて悟りました。

横浜の地に14年前に移り、想いのままに歩いた、鎌倉、三浦半島、江ノ島、そして大山。

今日は、大山と同じく「修験道」の地であり、幼少の頃から、亡き父から連れて来られていた高尾山、薬王院、そして高幡不動尊を参詣しました。

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$中国武術 カンフー 横浜武術院 日本華侘五禽戯倶楽部のblog-土方歳三


鹿島の剣の技を受けて、江戸幕末に創始された天然理心流剣術は調布出自の近藤勇と、高幡不動尊を菩提寺とした土方歳三でこの多摩の地を郷にして隆盛させた日本剣術でした。

私は、すべてのすべてで今、武術人生の一里塚に辿りつけた感謝の想いがあり、ここに参詣しました。

また武芸振興における新たな目標が出来たこともあり、先日の鹿島神宮、香取神宮に参詣し、ここ新撰組にゆかりある高幡不動尊にもご報告とご挨拶をと参詣しました。


何でもあり、やり放題で、ストレス・スプリンクラーの如く、毎日の日々にありとあらゆる欧米文化も入り混じり、乱れた現代日本社会の風潮があります。

中国においてでも何でもあり、になっていて、

今や、中国武術、や太極拳を嗜む人間でも、日本人でも東洋文化のしきたりを簡単に破り、やるべきことを忘れ、やってはいけないことを平然とやってのける品位の低い輩をたまに感じますが、

日本社会の伝統文化の伝承における、今においてでも重宝にされている日本人:武士意識にて「恥」として、やってはならないことは「非礼」と「卑怯」の2つの行動です。

「礼には礼を」

そこにある日本の武道精神性から生まれてくる「霊気」という感覚が実はあります。

(中国武術的には霊活性がありますが、これを天地人において、より昇華させられた現象のものと感じています)


今現在の私自身の感覚はとても不思議です。

日本古来の「修験道」は、

老子の道家思想、後に道教教団、武当山道教の道士の実践に合わせて、釈迦如来の教えでの仏教、一流派の禅宗での少林武術の武僧のような勤めに合わせて密教が加わり、

孔子の教えによる儒教:儒学においてでの武士道における精神が加わり、

「中国的要素」を外し、日本の山岳における雄大な大自然の力による「はたらき」に信仰を憶え、そこにすべての力の源を、すべての「生き方」「考え方」

そしてある意味では「死に方」までも自らの精神性にしたものであることを悟りました。

私は、長き中国武術的、太極拳的、気功的、そして中国思想的な世界観にすべてのすべてにまで浸かっていました。

それは、良い意味でも悪い意味でもありました。

最近は八百万の神々を祀る日本の信仰は素晴らしいな、とよく実感します。


今は、不思議な時間が漂っています。

それが、実は日本の魅力であり、始皇帝も憧れ、来ることもできなかった運命。

日本国内での長き歴史の中での武家と公家の対立、武将の対立。ありとあらゆる政の対立。

しかし、

今日、感じたことは、眼の前に過ぎ去る水の流れと同じく、

大自然から受ける外神、自らの内神、そして陰陽二気すべてでの融合。

過ぎてしまえば、ありとあらゆるすべては「無」であり。

そこから生まれるものすべては「有」である、ということです。