今年の大会まで、ちょうど1ヶ月。
大会組織委員から今年からルール変更があると2週間前に連絡が来て、国際レベル標準の展開の速さに驚かされ、予測意外の大きな展開の変化に応対することになりました。
こんな時に今のご時勢は急な変更通知ができる電子メールやこういったブログ、ツィッターなどで情報発信できることに感謝の思いがあります。
以前だったら状況説明や展開をお伝えするのに非常に手間や時間がかかるものを、しやすくなったことが実は本当のグローバリズムの変化は猛スピードで動いている実感を思います。
昨日は午前の太極拳でも午後の練習でも、既に全体的にとてもいい流れに応対できてきました。
大会に向けてでは要求が高くなったのにもかかわらず、刺激を受けたことで出場メンバーのレベルはかえって上がったのを嬉しく思い、頼もしくなった感じがありました。
2011年は今や上海体育学院武術協会・武術学院の教授にもなった私と同世代の先生方に指導をして頂き、2年前に本当のこれからの全体的な国際武術標準における展開を教えてもらいました。
昨年2012年上海国際武術博覧会では伝統武術ルールにおける大会に次世代の選手を送り出し、いいかたちで迎合ができました。
そして今年の大会。
この2年間の展開はものすごく速く、そしてその今後影響を受ける範囲は大きくなると思います。
横浜武術院を立ち上げたのは、中途半端でいい加減な日本国内の武術標準に付き合っているとおかしくなるので距離を置き、
どの国際スポーツでもあれば当然なことですが、武術は本場中国がまとめていく組織から流れが出来ていき、その主流にいち早く流れを合わせているアメリカやロシア、ヨーロッパの国家連盟組織と同じように完全にレベルを応対できるように体勢を整えました。
これは今現在の国内組織ではまったくできないことで、彼等は逆にガラパゴス化して、身内だけで行う内向型にしてしまったことの、今後の応対不能能力に大きな後悔をするか、
応対できるか、できないか、やるか、やらないか、その最終責務を果たせるか、果たせないかに大きな問題が必ず生じると思います。
のんびりやというのは責務がないから成せる業でもあります。
その趣味ののんびりや系でやっていくことを別に悪いこととは感じてはいませんが、都会などでプロフェッショナルな職業としてやっていれば必ず判ることですが、置き去りになったら最期ということです。
私は中国武術世界における国際標準を10代から理解し、20代からはよりその展開が大きくなったのを現場で感じ、ずっと汗を流し続けて、30代には完全にガラパゴス日本武術界とは距離を置きました。
今になってその距離を置いていたことが本当に良かったことを思います。
「朱に交われば赤くなる」というのは本当で、一時期一部のメンバーたちが少し染まってしまったことがありました。
そのメンバーたちは最終的に染まってしまった自身からの考え違いから来る練習でレベルアップができなくなり、その力不足認識から自身から脱落していくのを見ていました。
正しい文化芸事の姿というのはどの諸芸:書道や絵画などの東洋文化に通じており、技に魂や想いが込められ、それぞれの存在範囲にいて実用ができるものです。
そしてすべての芸事はより活き活きとした生き物のように出てきて動き回り出すほどの霊妙さを感じさせてくれるもので、
それは時空を超え、国や民族を超えて伝わるものです。
武術も文化であり、重みや深さを感じさせてもらえるものでなければならないのです。
連続する軽い技芸、魂を込めるというよりは思い込みで行っているように見える拳術や器械動作を行うのは今やあちこちで巷でも見られるようになりましたが、
未だ多くの伝統文化の判る日本人の方々に評価を与えられていないことですが、それは武術文化が正しくまだもたらされていないようなことの表れに感じています。
(日本国内での武術の普及での一連の問題は組織の背後関係に影響していることを知ることも大事だと思います)
私が影響を受けた1980~1990年代の中国ではまだ素晴らしい武術家がおり、多くの武芸活動を拝見し、その中でも指導を受けることができました。
日本に戻ると平和で四季折々の日本の良さを思いますが、人間社会を見ると政治経済・外交を利用することを考えている拝金主義者、利己中心主義者。
いい加減で出鱈目なことばかりを吹聴する人たち、行動と実践が伴わない人たち、常に人を利用する人間たち、これらが普通でした。
武術や太極拳や気功を行う者や組織が多くあり、日本と中国を往来し修練をし続けた自分の眼に映るのは、かなりいい加減なものばかりに感じました。
そして日本へやってきて活動を始める中国の方々も多くなりました。
これらはまとまるように思えて、まとまっていなくて、互いに利用しあうだけの関係で結局は何もまとまらず、基準もどこにあるのか、ないのかが明確で具体性の欠けたままで今現在の今日に至りました。
そこでたまに日本の鎌倉時代における仏教論争のことを思い出すことがあります。
私の家では真言宗の仏教を信奉し、父はその寺で眠っています。私個人としては弘法大師空海と道元禅師を崇敬しています。
日蓮は多くを罵倒したことはやり過ぎに思うこともありますが、その気持ちは判ることがあります。
私は日本人として、中国本土とは歴史的な深い交流があって漢字や道教文化、仏教文化、衣食住の生活文化がもたらされたことに喜びを思うことがあります。
武術文化も、普通一般日本人での行う武芸の深化のための普及活動において日々尽力しています。
今年度はひとつの大きな試練になっていますが、これを乗り越えた時に今までにないほどの大きな収穫がもたらされるだろうということを今感じています。
フィットネス業界といいかたちで連携できれば横浜と神奈川、関東首都圏を拠点に今後の大きな展開になっていくだろうと感じています。
そのための礎を築くための今だと感じています。
先行き挑戦する者を見届け、後に続き、そして更に共に発展し、そこへ必ず後から続いて来る者たちが必ず多くなるはずでしょう。
春に種を撒き、夏に大きく育て、秋に収穫する。
とても偉大なる自然の中の営みに準じ、この1ヶ月を頑張りたいと思います。
大会組織委員から今年からルール変更があると2週間前に連絡が来て、国際レベル標準の展開の速さに驚かされ、予測意外の大きな展開の変化に応対することになりました。
こんな時に今のご時勢は急な変更通知ができる電子メールやこういったブログ、ツィッターなどで情報発信できることに感謝の思いがあります。
以前だったら状況説明や展開をお伝えするのに非常に手間や時間がかかるものを、しやすくなったことが実は本当のグローバリズムの変化は猛スピードで動いている実感を思います。
昨日は午前の太極拳でも午後の練習でも、既に全体的にとてもいい流れに応対できてきました。
大会に向けてでは要求が高くなったのにもかかわらず、刺激を受けたことで出場メンバーのレベルはかえって上がったのを嬉しく思い、頼もしくなった感じがありました。
2011年は今や上海体育学院武術協会・武術学院の教授にもなった私と同世代の先生方に指導をして頂き、2年前に本当のこれからの全体的な国際武術標準における展開を教えてもらいました。
昨年2012年上海国際武術博覧会では伝統武術ルールにおける大会に次世代の選手を送り出し、いいかたちで迎合ができました。
そして今年の大会。
この2年間の展開はものすごく速く、そしてその今後影響を受ける範囲は大きくなると思います。
横浜武術院を立ち上げたのは、中途半端でいい加減な日本国内の武術標準に付き合っているとおかしくなるので距離を置き、
どの国際スポーツでもあれば当然なことですが、武術は本場中国がまとめていく組織から流れが出来ていき、その主流にいち早く流れを合わせているアメリカやロシア、ヨーロッパの国家連盟組織と同じように完全にレベルを応対できるように体勢を整えました。
これは今現在の国内組織ではまったくできないことで、彼等は逆にガラパゴス化して、身内だけで行う内向型にしてしまったことの、今後の応対不能能力に大きな後悔をするか、
応対できるか、できないか、やるか、やらないか、その最終責務を果たせるか、果たせないかに大きな問題が必ず生じると思います。
のんびりやというのは責務がないから成せる業でもあります。
その趣味ののんびりや系でやっていくことを別に悪いこととは感じてはいませんが、都会などでプロフェッショナルな職業としてやっていれば必ず判ることですが、置き去りになったら最期ということです。
私は中国武術世界における国際標準を10代から理解し、20代からはよりその展開が大きくなったのを現場で感じ、ずっと汗を流し続けて、30代には完全にガラパゴス日本武術界とは距離を置きました。
今になってその距離を置いていたことが本当に良かったことを思います。
「朱に交われば赤くなる」というのは本当で、一時期一部のメンバーたちが少し染まってしまったことがありました。
そのメンバーたちは最終的に染まってしまった自身からの考え違いから来る練習でレベルアップができなくなり、その力不足認識から自身から脱落していくのを見ていました。
正しい文化芸事の姿というのはどの諸芸:書道や絵画などの東洋文化に通じており、技に魂や想いが込められ、それぞれの存在範囲にいて実用ができるものです。
そしてすべての芸事はより活き活きとした生き物のように出てきて動き回り出すほどの霊妙さを感じさせてくれるもので、
それは時空を超え、国や民族を超えて伝わるものです。
武術も文化であり、重みや深さを感じさせてもらえるものでなければならないのです。
連続する軽い技芸、魂を込めるというよりは思い込みで行っているように見える拳術や器械動作を行うのは今やあちこちで巷でも見られるようになりましたが、
未だ多くの伝統文化の判る日本人の方々に評価を与えられていないことですが、それは武術文化が正しくまだもたらされていないようなことの表れに感じています。
(日本国内での武術の普及での一連の問題は組織の背後関係に影響していることを知ることも大事だと思います)
私が影響を受けた1980~1990年代の中国ではまだ素晴らしい武術家がおり、多くの武芸活動を拝見し、その中でも指導を受けることができました。
日本に戻ると平和で四季折々の日本の良さを思いますが、人間社会を見ると政治経済・外交を利用することを考えている拝金主義者、利己中心主義者。
いい加減で出鱈目なことばかりを吹聴する人たち、行動と実践が伴わない人たち、常に人を利用する人間たち、これらが普通でした。
武術や太極拳や気功を行う者や組織が多くあり、日本と中国を往来し修練をし続けた自分の眼に映るのは、かなりいい加減なものばかりに感じました。
そして日本へやってきて活動を始める中国の方々も多くなりました。
これらはまとまるように思えて、まとまっていなくて、互いに利用しあうだけの関係で結局は何もまとまらず、基準もどこにあるのか、ないのかが明確で具体性の欠けたままで今現在の今日に至りました。
そこでたまに日本の鎌倉時代における仏教論争のことを思い出すことがあります。
私の家では真言宗の仏教を信奉し、父はその寺で眠っています。私個人としては弘法大師空海と道元禅師を崇敬しています。
日蓮は多くを罵倒したことはやり過ぎに思うこともありますが、その気持ちは判ることがあります。
私は日本人として、中国本土とは歴史的な深い交流があって漢字や道教文化、仏教文化、衣食住の生活文化がもたらされたことに喜びを思うことがあります。
武術文化も、普通一般日本人での行う武芸の深化のための普及活動において日々尽力しています。
今年度はひとつの大きな試練になっていますが、これを乗り越えた時に今までにないほどの大きな収穫がもたらされるだろうということを今感じています。
フィットネス業界といいかたちで連携できれば横浜と神奈川、関東首都圏を拠点に今後の大きな展開になっていくだろうと感じています。
そのための礎を築くための今だと感じています。
先行き挑戦する者を見届け、後に続き、そして更に共に発展し、そこへ必ず後から続いて来る者たちが必ず多くなるはずでしょう。
春に種を撒き、夏に大きく育て、秋に収穫する。
とても偉大なる自然の中の営みに準じ、この1ヶ月を頑張りたいと思います。