今年度から日本国内では、先ず行っていない武術活動での試みをたくさん行っています。

私は普通に日本という国に生まれ育ちました。

小学生の高学年ころから興味を持ち始め、中学生になってから武術の道を志し、28年前の高校生の時に初めて中国を訪れ武術専門学校で学ぶことができました。

それからというもの、私の頭の中はずっと中国へ行くことと練功する武術のことで頭がいっぱいで、それは時間が経った今でも性質は変わりましたが、基本的には変わっていません。

日本から出ずにいた他の人たちからには私が何を見て、感じてきたか、なんてまったく理解ができないと思いますが、

それは何が良かったのか、と言うと学び舎の武術館の中はいつも人々たちの活力と活気に満ちていて、みんながみんな眼を生き生きとさせて、個人個人がそれぞれの想いを胸にさまざまな拳術や刀剣棍槍など武芸十八般の技を高めるために真剣に打ち込んでいる空間だったからです。

私は今でもその空気が好きで、今の練習の雰囲気も日本人だって、きちんとした正しい練習方法を行えば同じ空間になれることを今から27年前の日本での学び舎であった日本武道館の道場での経験で身体で知っていたからです。

それは自分が今でも稽古で技に打ち込む時も、指導に携わる時も、いつもその活力ある空間の中に生き生きと生きていることにしか興味がなくなりました。

時にとても厳しいことも平然と言うし、普通世間一般の日本人から見れば非常識な人間に映る、とも思います。

しかし私は昨日も練習の指導の中でも言いました。

この現代日本社会の中で羊のような生き方だけはしない。

私も一時期は普通に職に就いて武術と両立していた時代はあります。

しかしながら現代日本社会の人工的な箱庭空間の中で生きるだけの人生は辞めました。

羊飼いの言うことを聞いて、あちこちに使いまわされ、飼い主の都合の良い時に、処分されるような存在にだけはなりたくない。

全体主義でいつもまとめられ、個性を奪われ、あるいは個性を伸ばす訓練をさせてもらえることもなく、没個性が普通になっていく、

そうなると、自分にはない個性を持つものを妬んだり、足を引っ張ったりする人間関係がこの現代日本社会の老若男女全体にはびこる空気がまったく好きではありませんでした。

時期を見てフィットネス業界へ移籍し、随分と時間はかかりましたが限りなく自分がかつて中国での武術館での生活に近いかたちをゆっくりとですが構築出来てきています。

今現在、若き練習生の話を聞いたり、あるいはいろいろと察してみると、あまりそれは変わっていないことを感じます。

むしろ時代の空気全体に「やる気」を感じない、ことを私はよく指摘します。

私はこれまでに「やる気ないムード」とか「お調子者にわかファンのムーブメント」とかにまったく興味を持たずに来ました。

それが私の長く時代に負けずにやって来れた「反骨心」を築いたと思います。

確かにここまでに来るには、とても私自身にしか知らない苦悩の連続を乗り越えてきたことや、時代に流されずに来た孤高の思いがあります。

若者にはできるだけ伝えて、やっていることを見せてやっていきたい、と思うからです。

世の中には、言葉だけ、頭の中だけで判っているつもりの「半可通」がとても多いのを感じます。

私の信条は、できるなら、行えるはず、知っているなら、表現できるはず、

もし力がまだ足りないことが判ったなら、その力の足りなさを自ずから知って努力して、成し遂げれば良い、こう考えています。

いつも周りの人たちの様子を見て、みんながやればやる、みんながやらなければやらない、興味を持たなければ持たない、

こんな羊的人間になってしまったら最終的に大きなチャンスを自身から掴むのは可能性としてもとても難しくなると思います。

ならば馬鹿だとか、頭がおかしい、とか言われても、後に自身の可能性を高めて、精進していけば必ず、大きな達成感が得られるし、

人として生まれ、生きてきて楽しく良かった。

といつも心から思える可能性の高さを目指す実感を大事にしたいのです。