今日も一日、武術三昧の一日を過ごしました。

振り返るに、私もこの現代日本社会の一人として今までに過ごして来た時間の数々を思うことがしばしばあります。

時折、様々な皆様から 私は一体、「誰からの影響を受けているのか」

というような感覚での質問を受けることで、思い出されることがあります・・


私は東京都世田谷区の隣にある小さな狛江市というところで生まれ育ちました。

両親、姉兄妹の6人家族で、少年時代には伯母も近くに住んでいて、母方の祖母も愛知県からよくやってきて長逗留していたので、少年時代には、いつも賑やかな家庭でした。

経営者であった父は、社交家でもあり 職業男社会での人間関係では人気者でした。

私は今思うにその血を引いているのだと、この頃よく感じています。

私が幼少から憶えていることですが、

日々の私に与えられたのは「日本神話」である、日本書紀や古事記にある大国主命や、ヤマトタケルノミコト、などの伝聞の書籍や、桃太郎、かちかち山、花咲じじい、牛若丸、一寸法師、などの日本昔話を語る絵本とレコードなどで知ったお話の数々です。

父は、兄と私を連れて よく行った場所は地元の伊豆見神社、深大寺、高幡不動尊の三箇所でした。

私は本当に恥ずかしいことですが、幼少の時分からよく謂う「問題児」というレッテルを貼られ易い人物でした。

思うに、自身が望んで善良なる人様に迷惑をかけることを望んで、厄介事を起こすような「問題児」になることなどではありません。

「遣る瀬無い事」「理不尽な事」

あるいは、それを知人であっても、友人であっても、そういう流れに「同調」して、「私自身:こちら」側に、そいつがどういう理由か訳だか知らないが、

誘導するようなことが善しとするように、親切だか不親切だか、本人は判っていないのだが、明らかに

善良ではない流れに、載せ様とするような時のこと、を感じた時には、

自分でも判っているけれども止められない「強烈な一発」を「そいつ」「そいつ等たち」には、世の中での個人的な意識や思いですが、善意を守りたい故にはかまします。

そんな性分ですので現代日本社会的な、建前上で、「済みません」「ゴメンナサイ」「申し訳ありません」と申し上げてはいます。

江戸時代での、粋な言葉では「御免」でしょう。

(切り捨て御免、これもあると思います)

小学1年生~6年生まで稽古事をして過ごしていました。

週に2回の剣道、同じく週に3回の水泳、そして習った割りには今でも書く文字は汚いのですが、書道。

この過ごしてきた果てに、その「自身」が選んだ「中国武術」の道へ中学1年生に進みました。