今から20年前に自分は20代半ばでした。今からこの20年間を振り返るとすべてにおいていい修行の数々だったことを思います。

時代によっては多くの暗黙の規制があって「・・・しなければならない」「・・・こうするべきだ」というルールが作られていて、それ以外の選択の余地はない、というような風潮や傾向がありました。

私の世代でもこうした影響力はかなりありました。

自分は今から思えば28年前から中国との往来を繰り返すライフワークを送ってきました、それは自分がかつての遣隋使や遣唐使のように大陸で優れた技能を身につけたいという理由からだけでした。

誰から言われたことではなく、自分がそうしたいという生き方の道を歩いてきました。

やっぱり途中で多くの世間体や常識というような壁にぶつかった時期もありました。

その時にはかなりの勇気が必要でした。

周りに自分のような生き方をした人の例を他に見たことがなく、ただ単独で検問を突破してしまった感覚でした。

突破してしまった時にはやはり何かしら罪人になってしまったような後ろめたさを思うこともいくつかありました。

しかし若き頃から繰り返し中国大陸で学んできたことの中で思ったことは国が違えばルールも違う、それにどの国でも時代が変われば常識も考え方も変わる、そういうことをこの28年間で身近に感じながら考えるようになったことも影響していると思います。

世には規制というルールがあって、それに遵守することが要求され、それが常識化されていきます。

しかしルールというものは、本来は誰しも相互不可侵で守られるべきものを相互の安心や繁栄などが保たれようとするために出来てくるものです。

それがいつの間にか現代でも政府行政というのはある一部分の企業など片方だけに都合が良いようにしていくために出来ていくものや、逆に更にひどくなって片方が有利になって片方は永続的に不利にしていくもの、が存在していることに気づけるようになりました。

または強要してやらなければいけない雰囲気をもマスメディアなどの宣伝媒体を利用して作り上げられていることも実はあって、しかしながらそれらはただの任意なだけであることが多いことでした。

つまりは戦後日本はGHQに骨抜きにされ、不利でも文句が言えないような感覚の押し付けがあり、それに逆らうと常識外れというレッテルを貼られて、貼られてしまうと、周囲から掟破り扱いされ不遇にされてしまうことがありました。

政府が外交などで外国政府から受け入れさせられた不遇さを国内にも振り撒いていたことだったのも判ります。

戦後68年間が経った今日、日本はある意味で国民が力を取り戻しつつある感覚があります。

それはやはり日本にも長い歴史があり、その歴史的強みもまだ日本人の中には残っていて、その力をより高めていこう、というムーブメントを思います。

世界は今大きな勢いで動き始めている実感があります。

戦勝国側とは国連や様々な世界機関を作って表向きは善良を装い、裏ではやりたい放題の悪行の政治をしているとしか思えない西洋諸国らの政府は今までは植民地などから収奪してきて裕福なはずなのに金融危機を起こしたりしている現実に目を向けると震災からも立ち直り強くなって頑張ろう、というこの国民の気概に誇りを思います。

今までの日本を振り返るとみんながみんな試練の連続であったと思います。

今はっきり判ることは、現代日本社会国内では、価値観が相互にまったく受け入れられないジェネレーションギャップもあると思うし、逆に世代間を越えてよい面を共に共有し合って発展できることもある時代になっています。

自分の20年上で今60代の方々が20年前が今の自分と同じ世代で20代の自分が様々な生活習慣、や考え方、仕事の方針などなどをよく見ていました。

10年上で今50代の方の特徴も10年前の時のことを憶えています。

そして自分の同世代を見ています。

20年経って判ったことは、意志を押し通して本当に良かった、と思うことが本当にたくさんありました。

時代によって白を黒といい、黒を白という時代があります。

「白を黒」と簡単に言う人もたくさんいましたし、「白なんだけれど、黒かな~」となびく人もたくさん見てきました。

「白は白であって黒は黒」と言い続けられる勇気、あるいは想い続けられる勇気は大事だと実感します。