便利になった現代日本社会、しかし伝統的日本精神は薄れ、世界中の様々な影響を受け、文化的にもややこしさが生まれ今や全世代的な精神的混乱が見られます。

私はそんな時には古人の云う「日本の心」にふれ、自身の心を浄化することにしています。

私が中国武術、日本剣術などの武芸を多くの皆さんへ奨励したい心地としては世阿弥の著した「風姿花伝」のこの歌にあります。

心地含諸種 普雨悉皆萌 

心地に含む諸々の種は 雨に普ねきことごとくその芽を皆萌す。

頓悟花情已 菩提果自成 

頓に花の情こころをすでに悟れば、菩提の樹に実る果は自ずから成る。



そして新渡戸稲造は「武士道」の中でこう云いました。

義は武士の掟中最も厳格なる教訓である、武士にとりて卑劣なる行動、曲がりたる振る舞いほど忌むべきものはない。

或る著名の武士(林子平)はこれを定義して決断力となした。

曰く「義は勇の相手にて裁断の心なり。道理に任せて決心して猶予せざる心をいうなり。死すべき場合に死し、討つべき場合に討つことなり」



二宮金次郎・尊徳は中国古典の易経から「自強不息」の言葉を引用し日本人の勤勉と誠実さ独立と自尊について、こう述べました。

「天地はたえず活動していて、我々をとりまく万物の成長発展には止むときがない。この永遠成長発展の法にしたがって、休むことをさえしなければ、貧困は求めても訪れない」



そして私の家系にもゆかりのある上杉鷹山は東洋思想の美点を経済道徳の面において富と徳の両者は結果にあり、木と実の相互関係と考えました。

「賢者は木を考えて実をえる。小人は実を考えて実をえない」

そして誓文。

一、文武の修練は定めにしたがい怠りなく励むこと。

二、民の父母となるを第一のつとめとすること。

三、次の言葉を日夜忘れぬこと。

   贅沢なければ危険なし。施して浪費するなかれ。

四、言行の不一致、賞罰の不正、不実と無礼を犯さぬようつとめること。

 

これらの伝統日本人の云う「日本の心」は誰しも心に今でも宿っていることを信じています。