戦後68年めの今日の日本では誰も教えてくれない疑問のことで、自分から調べて考えなければならないことがたくさんあります(解って納得できればそこでようやく対策が生まれます)

一つわかっていることは欧米人でも中国人でも語彙の違いがあるのでそれらを理解していないと後々大変になっていくことはたくさんあります。

(政治家が外交でミスをすることがかなりあると感じています)

例えば「自由」という言葉。


日本は自由がある、そんな感覚は誰でも知っていると思います。

しかし英語における自由、という意味合いはフリーダムとリバティと2つあります。

「フリーダム; freedom」と「リバティ; liberty」は、ともに自由と訳される。

現在、この2つの語はほぼ同じ意味で用いられるが、その意味合いは微妙に異なっている。

フリーは古英語の「frēo」に由来する。

これは古インドヨーロッパ語の「prijos」や「prēy-」、あるいは古ドイツ語の「frijaz」に起源をもち

「好む、愛」の意味を持つ。

北欧神話のフレイ、フレイヤも同じ語源による。古アイルランド語の「ríar」はウェールズ語の「rhydd」と対応し現在の「free(自由な)」に直接対応している。古代ギリシア語では「πρᾶος(praos, 温和で、優しい)」気ままさや傲慢さが含意される場合がある。

一方でリバティはラテン語「liber」は

「社会的・政治的に制約されていない」「負債を負っていない」

という意味で、英語の「liberal(形:自由な)」や「liberty(名:自由)」の語源となった。

こうしてみていくと、

今の日本では「「好む、愛」の意味のフリーダム」はありますが、

「社会的・政治的に制約されていない・負債を負っていないという意味のリバティ」のことを考えてみると間接的においてリバティは足りなくて、それをしっかりと得るためにはかなりの努力が必要な時代だと思います。