私は個人的に日本からみる、中国やアジア諸国との長い期間からも歴史認識のことについてよく考えています。

思えば16歳の時に初めて中国上海に行った時から始まって今までにずっと往来を何度も繰り返してきた直接的な中国との関わりでの経験も深くなっています。

経験的に日本武道での研鑽を通じ、中国武術の修練を通じ、東洋思想哲学の様々を学びながら今現在、歴史的過去、そして未来の我々の時代のことをよく考えます。

時が経てば、10代の時に考えていたこと、20代、30代で思うこと、そして今40代の半ばになると当然自国への愛国への想いは強くなるし、

関心を持つことも歴史的な出来事をさまざまな角度から考えるようになります。

私が考えるに、中国政府がよく言い出す「歴史認識」というものでは、きわめて中国的な言葉にできないほどの想いも察しています。

一般的に歴史認識といわれる場合は戦後におけるアメリカ、イギリス、旧ソ連、そしてまだ中華民国での連合国側から都合よく日本占領のための策略から作られた政策があって、それにいつまでも日本は準じていなければならない、という意味合いでのことです。

私は先の戦争のことは個人的にいつも調べては考えています。

その中で私が考えることは、江戸末期の1840年のアヘン戦争で満州族の清朝はイギリスに負けて北東アジア地域にまで進出を許し、そこからどんどんと欧州諸国からの進出・植民地化がありました。

我が日本は北東アジアを安定を願い、不安定な時代をまとめたかったことのためでの軍事的行動は自国を欧米からの進出から守る自衛のための手段であってアジアを安定させたいことを考えていたからのことです。

プライドの高き4千年間で培われた中華思想からではアジアで唯一日本だけに戦争で負けたことに悔しさがあるのは察することは確かにできます。

不都合に思うことがあっても変わらぬ過去の事実は変えられないことはどの国ででもあるものです。

そして孫文は長き中国の皇帝制を終わらせて、人民のための国:中華民国を建てる革命、そして成立のために日本へやってきて協力を求め、日本はその援助を行って協力をしてきました。

それが最終的には中国内においても野心家たちの利権争い、諸外国の思惑からきた協力体制などが絡まりすべてにややこしい展開となり、その安定をすることができず、結果的にはアメリカ、イギリス、の理不尽なABCD包囲網、ソ連にやられました。

そのことゆえ歴史認識とはここではあまりにも複雑な関係で日本だけが戦後に悪者にされてきました。

日本人には自虐的歴史観を植えつけられ、精神的にも武装解除教育のようなものをさせられましたが、この67年間は耐えに耐えて国民の利益をアメリカやイギリス、中国やロシアなどの海外に渡し続け、もう思うに責任を果たしたように思うこともあります。

戦後日本国で、日本人が日本人の無力化・無能力化を図る仕事をしてきた人間たち、協力してきた連中たちに富を与えたシステムには嫌悪感や不快感を私は今でも思います。

そもそも歴史観でみれば中国が清王朝の時にだらしなくなってしまったからこそ、ここまで多くが巻き込まれた事実も今の共産党政府は必ず歴史的事実は知っているはずなので、

そこについてでも歴史認識とするべきと思います。

日本は西洋近代化を無理をしてでも単独で成し得たからこそ、中華民国の成立と近代化において協力したことも考慮に入れるべきとも思います。

今は中国でも共産的社会主義から資本的社会主義へ転換し、ロシアもソ連が崩壊し自由主義経済へ移行しました。

思えば日本だけがお人好しで海外から利用され続けていくことだけに合点がいかないことも多くの日本人は感じていることだと思います。

これからの日本人たちはもっともっと本音を発言し、政治家ができないのなら国民意識から変えていき、もっと智慧をつけ精神的肉体的に強くなっていくことが大事だと思います。

私は考えるに、日本は今年から150年前の1868年に明治政府になって西洋文化を取りれてきました。

今の日本には、もうこれ以上に西洋文化は必要のないところにきています。

つまりは150年で必要な西洋文化はもう取り入れ終わったということです。

現在は欧州や米国の経済危機に付き合わされて厄介にさえ、感じることすらあります。

私の信条でもある「武士は食わねど高楊枝」

それもできない、今の財界は中国に稼ぎを依存することになって私は個人的に情けないとも思います。

変わり行く現代中国や現代日本に両方とも同時に残念に思うことはあります。


私にできることは、日本人としての歴史的な強みを尊び、高めていく人々を増やすこと。

どんな時代になった中でも、落ちぶれず、

伝統ある、誇り高き清廉潔白さを尊んだ倫理道徳観を持つ日本精神の向上化を絶えず続けること、だと感じています。

それが私的な歴史認識だと思っています。