$横浜武術院・日本華侘五禽戯倶楽部のblog-哲学堂公園


今から20年前、私は大学生でした。

1988年に東洋大学に入学して、苦学生でもあったので、アルバイトを掛け持ちで、
同時に武術の練習もして、武術競技のスポーツ選手として競技会に出場していました。

予備校生の時から、板橋区の高島平というところで一人暮らしをするようになり、ちょうど全日本太極拳協会の事務局員をしながら中国から来てくださった先生方の付き人をしながら、武術も学んでいました。

途中で全日本太極拳協会が分裂して解散してしまいました。

私は途方にくれましたが、すぐにまたアルバイトを見つけて何とか頑張りました。

その頃大学のオリエンテーションで中野区の哲学堂公園での屋外授業に出なければならなかったのですが、

そしてその頃は本当に生活が苦しくて、当時一度家を出て一人住んだ板橋区の高島平から哲学堂までの往復運賃がなくて、行けなかったことがありました。

東洋大学、哲学館を創始した井上円了先生をずっと尊敬をしていました。

しかし、このオリエンテーションに行かず、今までにとても心残りな想いが実はあり、

今日は24年を経て哲学堂公園へ行って参りました。


哲理門の入り口に立ってすぐにピンと想ったのは「これは、試される」と感じました。

これは鎌倉の禅寺と同じインスピレーションでした。

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この天狗と幽霊に例えた四行の門に書かれた文章は、養生と哲学の究極のレベルのことを書いてあることが私はすぐに判然しました。

これをオカルトとか意味不明、という場合はその時で答えは自身でそのレベルだという認識を各自に得させてしまう、ということなのです。


そして中盤あたりで気付いたのは「違う、問いかけられている」と感じました。

一度見終わってから、もう一度入り口に戻り、周り全体を見てから、

もう一度、いろいろな角度から巡り直しました。

「深い、そして凄い」

これが井上円了先生へと改めて感じた所感です。

帰途に着く前にもう一度入り口に戻り、拝礼をしてきました。


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(哲学堂公園 六賢堂には、東洋的哲学人として、日本の聖徳太子・菅原道真、中国の荘子・朱子、印度の龍樹・迦毘羅仙の六人を「六賢」として祀ってあります)

井上先生は満州で逝去されましたが、その六賢堂に祀られていた荘子、

そして老子、華侘の故郷の亳州に入り、日本人として初めて伝統気功の華侘五禽戯を学び、日本に持ち帰ることが出来て今は普及活動を行っていて、

そこで想ったのは、井上円了先生が「ようやく来たね、頑張れよ!」

そんな声を聞いた気がしました。


横浜武術院・日本華侘五禽戯倶楽部のblog-哲学堂公園5

横浜武術院・日本華侘五禽戯倶楽部のblog-哲学堂公園4


「時空を超えて、先生の意志を継いで頑張ります!」と思いました。


帰り道に、その大学生の時に働いていて、大学卒業後もしばらく働いていたもうなくなってしまった新宿の高層ビルの職場の跡を見てから、

すぐ近くの都庁の展望台に上がり、昔自分が見ていた職場での同じ景色を見ながら思い出に浸りました。

「もう20年が経ったのか・・」

20代から40代まで、というのは「道に生きる者」にとっては、とても大事な修練を重ねられる時期なのだと本当に実感を思います。


「少年老い易く、学成り難し」というのは真実です。

真実を思考して実践し続ける、これが哲学だと改めて思いました。

$横浜武術院・日本華侘五禽戯倶楽部のblog-都庁からの眺望