欧米化し過ぎた現代日本社会の世間で現象では一時期にお金を払えば何でも買える、

なんてかつてのアメリカの大富豪ハワード・ヒューズが言った「私に金で買えないものはない、たとえ大統領の椅子さえも」のような風潮が日本でも一時期2006~07年ぐらいにもありました。

私の信条では「お金で買えるものは、所詮お金で払える数字で換算できる程度のもの」だと思っています。

物事は強気で後ろ盾があって豪語すれば、何とかそれらしく聞こえるものです。


しかしそれに簡単に同調するような人々は真の教養の乏しい人たちが大体は引っかかるものです。

私は思うに「能力の持たなくて、金をいささか持つだけの人たちがそうなる」ということに気付いています。

所詮人間の能力なんて、みんながみんな機能は大して変わりません。


蝉は蝉であるように、鳩が鳩であるように、あるいは鮪が鮪であるように。


等しく生きていれば、何の優劣は基本的にないものだと思っています。

しかし人間は裸で生まれてくるので、苦労して努力して能力を身につけた者が心身的強者になれるものと思います。

それをお金を得ることからの仕事で、能力ある人が、

力を貸すか貸さないか、雇われるか雇われないか、教われるか、教われないか、ということは実際には「買える」という表現ではとても実は不適格だと思います。

「金を払っても能力は身につかない」これだけは真実です。


世界中にも名の知れた大富豪と呼ばれる不自由な人々が存在しています。

私は彼らに気の毒に思うことがよくあります。

私が彼らの行動や言動おいて感じているのは、

大富豪になれるお金と名声をくれるのと、自分の今までに身につけた能力を天秤にかけたら、即刻、一切を迷わずに

「自分の能力」の価値の方が遙かに高いと思っています。

何故なら、自身のひたすらにおいて行ってきた努力の積み重ねで身につけてきた能力のおかげで、この自分の一生涯において心身の不安において悩まされるような煩悩の要因では、

今後の自分自身に起こり得る可能性はとても低いと実感しています。

これは、毎日の活動の実践で一緒に居る皆さんもこれを共感してもらえると思っています。


そして、何よりも、自由、のんびり、好きなことを楽しめる毎日の生活。

そして「長き歴史ある業」や苦労は当然に宿命として受けるけれども、

「日本人」であること。

これだけで感謝と幸せを思うのです。