自分が生涯「武芸者」としてやって行こうと決めた時、綱渡りにおいて「命綱なし」でずっと渡世を生きていく、ということを誓った時でした。

普通の人にとってそれは「普通」ではなく、「それが」自分にとっては普通のことでした。

元来、武芸に生きていく、ということは、今よりも遙かに命の軽かった武家政権の鎌倉時代から近世の江戸時代までの武士の時勢・時代において

この日本ではそれが元々「普通」であったことに準じていく生き方をすることが自分にとっては「日本人らしい生き方」のようにも感じていました。

私達の一年に一回の祭典の交流会を無事終えてから、この気持ちは正しいとより確信をするようになりました。

明日、衆議院解散となり、今回は多くの国会議員たちが不安をもってそれを迎えるようですが、それはある意味でとても良いことだと思います。

財界人たちもまたそのような傾向があります。

この現代日本社会でも思い上がり物欲に溺れた、資本主義経済が終焉を迎え、私は好感を持って感じていることがあります。

世の全員誰しもが「命綱」を外せ、誰もが誰にも甘えられずに「依存」もできない。

「自力」

それがすべてです。


「2012年問題」とも言われていた、アメリカ政府の指導者、中国政府の指導者が決まり、

今や世界中のあちこちのリーダーたちも「これからどうなるかが判らない時代」あるいは「戦国時代」に突入するのかも知れない。

だからこそ面白くなってきた、時代はこれからだ。