

最近は古代・日本の祖先に自身への思いがあって古事記と日本書紀に再び興味があり、先週も日本の武神でもある鹿島神宮と香取神宮を詣でて参りました。
自分が思った、とにかくこの日本・関東地方で街に根付いた武術活動を活発にできる拠点・名所になれる場所が出来たらと思い続け、13年前にこの地へ移り住みました。
有り難いことに、初めて地元に根付くことを経験できたこの地域では2~3年ほどで既に活動がうまくいきました。
それからだんだんと気付いたのですが、この辺りでは熊野神社と諏訪神社と杉山神社を囲む神社神道の根強い地域になっていたことです。
そして古事記・日本書紀にも関係する神社が位置的には、ここから東には先週参詣した鹿島神宮と香取神宮があり、西方面には大山の阿夫利神社となり、南には江の島神社があり、北には芝大神宮があって結界のようにできています。
今日はまた古事記と日本書紀にゆかりある上総と三浦半島を繋ぐ走水神社を参詣してきました。



走水神社の創建は、景行天皇80年(110年)、日本武尊:ヤマトタケルノミコトが東征の途上、大和から古代東海道を通り、浦賀水道を渡る際、自分の冠を村人に与え、村人がこの冠を石櫃へ納め土中に埋めて社を建てたのが始まりと伝えられています。
上総国(房総半島)へ船出した日本武尊は、海上で暴風雨に遭い、后であった弟橘媛:オトタチバナヒメが海へ身を投じることにより竜神の怒りを納め暴風雨を鎮められました。
数日後、海岸に弟橘媛の櫛が流れつき、村人は旗山崎(御所ヶ崎)に社を建てて櫛を納めました。この社が弟橘媛を祀る橘神社でしたが、明治18年(1885年)に旗山崎が軍用地になり走水神社境内へ移され、明治42年(1909年)に合祀されました。
こうして関東地方の歴史を振り返れば、とても長い歴史があり、今の自分の周りの誰しも何らかの縁があるのではと最近ふとよく思っています。




先ほどは今から1900年ほど前に、この海を日本武尊が渡ったのか、という地に立っていろいろと想いを馳せていました。
本当にそのお陰様でこうして頑張れることへ感謝の想いと浄化するための御祓い、そして皆様たちの幸いをと願い、そして今世界のあちこちで乱れている中でも、この歴史ある長き正しき秩序を守ってきた美しき日本を護り給えと祈念してきました。
