今朝は先ほど午前中に日本刀を持って日本剣術・兵法剣術の稽古をしてきました。先週末ぐらいに一度背中から肩の範囲を少し痛めてしまったので6日ぶりの自分自身への稽古です。

今朝はもう痛みは完治して、結構いい感覚で動けました。帰り道は蝉時雨もなくなり、少し弱い声で鳴く蝉が数匹いる感じでした。

この夏はかなり稽古を重ねてきました。

私の武道暦は剣道から始まり、中国武術へ移り長い時間をかけて武術の身体を築きました。この春にもう一度日本武術へも里帰りを果たし、日本刀の運剣をするようになりました。

中国武術での十八般武芸を磨き、伝統気功の導引や五禽戯を経て健身気功も修めてきました。

数年前から、ふとこの身体感覚で日本刀を持つと今はどういう動きができるのだろうか、と想っていました。

3月に木刀を用いた剣術をやるようになってから、もの凄く新鮮な感覚で動く楽しみが大きくなりました。

中国武術で作った柔軟性、機動力、反射神経で少年時代の6歳から12歳までに剣道でやってきていた技をすべて思い出して木刀で動いてやってみると、身体がまだ覚えていて今までにない心地好い感覚を発見しました。

それからまた多くの古武道の諸流派を調べて研究し、中国武術で磨いた套路感覚を活かして新たな剣術を創編できました。

4月に念願の日本刀の居合刀で自分にとてもぴったりな刀と出会ったので、それを入手してから毎日握ってきました。寝る時もすぐ枕の横に置いて眠っています。

日本刀がお守りになる、という感覚が解りました。

古来の日本の武士の剣術では竹刀や木刀で相対する稽古はとても重要ですが、

腰に刀を挿して、居合いと立会いにおいての抜刀術において相手に反応していかに早く動き剣を扱うか、という稽古をする重要性が判りました。

山に篭って剣の修行をしてきたのは、集中力を切らさずに反応をいかに高めるか、という感覚の稽古だったのだろうと思います。

最近よく実感するのは生涯の時間でほとんどを武術の訓練、練習、修行、練功にかけてきて本当に良かったと思います。

武術で総合的な動きが出来るようになり、太極拳でしなやかな動きができるようになり、導引や気功で人間の身体機能のシステムを更に知るようになり、養生の学問を通じて人間の身体を四季においていかに健全さを堅持できるかを理解できました。

こうして思えば、私はあまり物にも興味がなく、普通の人のようなレジャーとかにもあまり関心を持たず、

ずっと武術ばっかりしてきた理由が判りました。

それは自分という人間での生涯の中ですべてを充実させて生きていくためには人間の持つ不安や心配の要素のすべてからいかに抜けられるか、ということの身体感覚の完全なる向上方法や術を体得することでした。

今年はようやくそれらを実感できるようになり、自分にしかわからないことなのかも知れませんが大きな幸福感を思います。

普通の人々は年をとればとるほど心身への心配とかを想うようですが、今の私の感覚なら、

自分の仕事は経済的に裕福になれるようなものではないですが、定年退職もないし、好きなことを一日中やって日々元気でいられます。

今指導している方の中では最高齢が90歳の方がいます。

自分も死ぬ前の日まで指導で動いて、自分の稽古で動いていれば仕事は生きている間はずっとできます。

資本主義経済の世の中を見ていて、感じるのは、

お金で買えるものは誰であってでも買える。

自分がずっと長い時間かけて身につけたものは、本当の宝物。

富裕層なんていっても買えるものを持っているだけ、

こうした武芸の技や養生の智慧や功法があれば、いつも身体は調子が良いし、

食事もおいしいし、よく眠れる、私の住む地域には温泉もあります。

この楽しみも武術を修めてきた中で得られる幸せな感覚です。

もし自分が豪勢な屋敷に高級車、お金がいっぱいあったとしても、武術感覚がなかったら大きな不幸に感じてしまうだろう、と思っています。

世の中が乱れ、世界情勢もおかしくなっていますが自分は武術があるので幸せです。

あるいは嫌なことがあっても武術に打ち込んでいれば、嫌なことはなくなります(心身においての浄化の効果は大きいです)

今の自分は中国武術に日本武術。

本当に有り難いです。天地人に大いなる感謝!