今日の午前中は空いた時間を活かして、わざわざ通勤ラッシュの時間帯に電車に乗ってでも練習場での武道場へと向かい、そこでじっくりと静寂な中において自分自身の稽古をみっちりやりました。
終わってからの爽快さは蝉時雨が響く暑さの中でも何ともなく清々しさを感じました。
いつも多くの皆さんの囲まれている指導での仕事の続く中には、やっぱり自身が昨年の震災を含めて何か大きな事件や出来事があってでも、
孤高での限りない強さを磨いてく時間は武芸者には絶対に必要なものだと思います。
一休みしてからは教室での太極拳と伝統気功五禽戯の指導。
終わればまた、更に清々しい心地での帰り際にふと思いつきました。
誰にも言わずしてもしっかりやれること、充実感の素晴らしさ。
これが私の日々、毎日における課題と達成すべき仕事のすべてです。
感覚は敏感になるので、
「現在・過去・未来」はいつも瞬時に自分の脳裏の中で時空的には浮かび、
そして整理され、ひらめきが多く生まれます。
今何をすべきか、今までに何をやってきたか、
これからの未来にいい形での実現を目指すのに何をやろうか、と考え 実践へと意識は向かいます。
当然に直面する 現在の日本政府、日本社会、政治経済、国際問題、日本の未来。
当然に自身に関連する事柄すべてにおいてのこと。
ありとあらゆる世間の多くを見れば、
「言っていることは正しく見えても、やっていることは間違っていて、それらは最終的結果ではまったく違うこと」
あるいは、
やっていることが結果的真実的に、正しいか、正しかったは、
知らされずして、やっていることは間違いなのだけれども「正しい」ように信じ込まされてやらされているようなこと。
更にひどいのは、正しいように聞かされていても実は、
「言っていることも、やっていること間違っていることをやっていること」
もっと残念なのですが現代によくありがちなのが、
「言わず、実践せず、効果出ず・・」そして結果は「愚痴と後悔、責任転換のみだけが多く出る・・」
こんなことが多いように思います。
人にとって、経済的負担、時間的負担、労力的負担。
この3つが、私はずっと今までに、全てが報われるべきであること「だけの事」を重視してやってきました。
だけれども、
見渡すと、すべてが逆で、
「経済的負担、時間的負担、労力的負担」
すべてをかけて、すべてが不意になる・・
そんな現代日本社会の理不尽さを見ています・・
終わってからの爽快さは蝉時雨が響く暑さの中でも何ともなく清々しさを感じました。
いつも多くの皆さんの囲まれている指導での仕事の続く中には、やっぱり自身が昨年の震災を含めて何か大きな事件や出来事があってでも、
孤高での限りない強さを磨いてく時間は武芸者には絶対に必要なものだと思います。
一休みしてからは教室での太極拳と伝統気功五禽戯の指導。
終わればまた、更に清々しい心地での帰り際にふと思いつきました。
誰にも言わずしてもしっかりやれること、充実感の素晴らしさ。
これが私の日々、毎日における課題と達成すべき仕事のすべてです。
感覚は敏感になるので、
「現在・過去・未来」はいつも瞬時に自分の脳裏の中で時空的には浮かび、
そして整理され、ひらめきが多く生まれます。
今何をすべきか、今までに何をやってきたか、
これからの未来にいい形での実現を目指すのに何をやろうか、と考え 実践へと意識は向かいます。
当然に直面する 現在の日本政府、日本社会、政治経済、国際問題、日本の未来。
当然に自身に関連する事柄すべてにおいてのこと。
ありとあらゆる世間の多くを見れば、
「言っていることは正しく見えても、やっていることは間違っていて、それらは最終的結果ではまったく違うこと」
あるいは、
やっていることが結果的真実的に、正しいか、正しかったは、
知らされずして、やっていることは間違いなのだけれども「正しい」ように信じ込まされてやらされているようなこと。
更にひどいのは、正しいように聞かされていても実は、
「言っていることも、やっていること間違っていることをやっていること」
もっと残念なのですが現代によくありがちなのが、
「言わず、実践せず、効果出ず・・」そして結果は「愚痴と後悔、責任転換のみだけが多く出る・・」
こんなことが多いように思います。
人にとって、経済的負担、時間的負担、労力的負担。
この3つが、私はずっと今までに、全てが報われるべきであること「だけの事」を重視してやってきました。
だけれども、
見渡すと、すべてが逆で、
「経済的負担、時間的負担、労力的負担」
すべてをかけて、すべてが不意になる・・
そんな現代日本社会の理不尽さを見ています・・