自分が2002年より、上海国際武術博覧会組織委員会に入り、今回の2012年大会まではありとあらゆる多くの面で経験的に大きな収穫がたくさんありました。
今大会初日の開幕式の移動中においてバスの中でアントニオ猪木さんが主宰を務めているIGFの選手団と一緒でした。
ボブ・サップさんや日本の格闘技選手と帯同しているスポーツ新聞社の記者さんらといろいろと話す機会がありました。
最近ダイレクトに感じたのは、先日の7月4日に「236年目のアメリカ独立記念日」を迎えたという報道のことでも想いましたが、
現代日本社会人へ強く大きな影響をもたらせたアメリカという国の世界観というのは、やっぱり歴史が浅く短い中であるからという再認識をすること。
強調すれば、これは現代日本人社会での「アメリカ系文化」の親奉者の方々からは嫌われてしまう事象かも知れませんが、
変わらぬ事実は事実であるということです。
移動中のバスの車内で、彼らから 多くの範囲においてたくさんの質問を受けました。
一つひとつ、真摯にことばを受けているうちに
「こういう方々」にも私たちの立場としても「はっきり」と言っておかねばならぬといくつか想ったのでバスの中で語り始めました。
(やっぱり日本の他のありとあらゆるメディアにも通じることですが、報道する記者という立場であって知識が素人感覚で取材していくのは後に様々な誤解を生む要因になることを思います)
象徴的なこととして、ある新聞社のスポーツ記者の方が
「あの~、普通の大会なら 勝ち負けは決めますよね!?」
「言葉の意味をきちんと把握して意識して、人に質問をしていますか?」
「はぁ、まぁいろいろと知らないことが多いんで聞きたいのですが・・」
「まぁ、いいでしょう」
「大会は、大きな場所で、大いなる目的を持つ人たちが一緒に集う会 それが大会の主旨というものですね」
記者「はぁ~」
ある格闘技選手「そう、なんスよね~」
「勝ち負け」という意識のみを求めていく競技会ということはまたもう一つの概念でもありますが、上海大会は博覧会という感覚があって国際交流の場ということも合せて重視していると思います」
「はぁ、では勝ち負けじゃないんですか」
「競技会は技を競う会で、中国では古来は比べる武術、比武といい 優れた人を奨励するために行うものです」
「はぁ~」
「勝ち負けだけを求めることに中国武術に携る者が捉われないことは基本です」
「・・・」
「あの~、中国武術ってやっぱり強いんですか?」
私「・・・」
そして、この今まででの、ありとあらゆるこういう人たちへの想いがたくさんに駆け巡り続けました・・
「強い、っていうことは どのような概念と了見と 意味でお捉えですか」
「やっぱり リングで闘って強い、とか いろいろあるじゃないですか」
「リング、っていう概念が、そもそも よくある洗脳なんですよ」
「わかりますか?」
「歴史認識においてでは、リング、という世界観も19世紀頃から東洋にやってきた西洋至上主義があってそのボクシング界などで作った西洋的な都合のよい概念の名残なだけです。
日本にも相撲があるのだから日本的なら土俵があるからそこに上がればいいだけのことじゃないですか。ここは中国だから中国語でいう場地へ上がるだけのことですよ」
「・・・」
「自分たちは日本人としての魂を込めて歴史の長い付き合いのある中国で、その場地:つまり日本語でいうところの土俵で正々堂々とやってきました」
「・・・」
「私の想う 日本にすでに普通に万延してしまっているバーチャル・仮想現実的なアメリカ発的感覚というのは、大体いつも身勝手で ご都合主義的理由で物事を考えて 介入主義的方針で かつ干渉主義的で
無責任な立場で 周りへの影響をも気にすることなくどちらかといえば気分屋でいるように感じています」
「ここ中国には、また異なる感覚があり、ご存じの通り今後 国際社会においてでも その欧米的感覚は 現実・実際でも21世紀の世界の列強が変わっていく中ではだんだんと通用しなくなっていくと思います」
「そうなんですか?」
そして「お聞きしたいのですが武術の武 武道の、武 つまりは「武」という言葉の意味をご存じですか?」
記者「!?・・」
「かつての伝統中国のしきたりでは、これを知らずして武術は学ぶことができませんでした」
ある格闘技選手「何だろ・・おお・・」
私「武、という文字は ”止める”という文字と”戈”という その二字で初めて”武”となり その意味と実践があるのです」
「そこに「武」の原点があって、護る・攻める・和平の重要な意味があるのです」
「拳は武力、掌が智力 武は智の下になければならず、真の強さとは忍耐と努力で人生それぞれを生き抜くこと、そういうことなんです」
「これが日本の武士道にも通じる中国武術伝統的な考え方の基本なんです」
格闘技選手「そぉ~かぁ~知らなかったなぁ。いろいろと勉強になりました」
記者「・・・」
「それに日本だって1億2500万人が、誰でも毎日必死に闘っているんです・・」
その後、バスを降り、それぞれの開幕式の準備にかかりました。
開幕式が始まり、各国の代表団の入場行進で さっきまで俯いて座っていただけのボブ・サップさんがライトを浴びるようになってから、
急に笑顔を振りまくようになり、一緒にピーター・アーツさんとかジェロム・レバンナさんととかがはしゃぎだして何か滑稽に感じました。
開幕式会場では、ステージ上には武術と伝統雑技+硬気功のエキシビジョンで盛り上がりました。
思うに、日本によくある大した意味のないノリや根拠のない勢いでの「スタンス」は「今後は通用はしない」
ただ、そんな印象を、私個人は思いました。
確かに現代中国は駄目にもなっていることはある、しかし中国伝統文化の力と現代若者の意識力の融合に強みを感じたのは以下のステージがよく象徴していると思いました。