ようやく上海の国際大会出発まで2週間をきりました。
3ヶ月間のトレーニング計画をかけてきた仕上げはいいところまできていると思います。
残りの時間は先ず身体面全面での回復状態を基盤に、戦術的な最終調整ができれば本番は大丈夫だと思います。
今の一番能力の高いメンバーたちのは古くは2004~06年頃から初めて、2007年~2009年頃にメンバーが増えてきました。
2008年から再スタートした交流会での練習を通じて、本場の中国の大会でも成績がとれるようにと考え、
2009年、2010年。そして昨年の2011年で伝統拳、伝統器械、対練とこなせるようになり、
中国の武術専門学校レベルにまで追いついたと思います。
国際大会は各国の風格なども加味されるので今回は楽しみだと思います。
皆さんによく話しをするのですが、この日本の世間とは誰でも知っているように厳しい現実の連続がいつもあります。
その中でも大事な自分の一生涯を企業の奴隷の如く扱われずに自分らしい生き方ができることをすすめています。
自分は今までに多くの方々を見てきました。
かつて大学受験に落ちた後、高校を卒業する時に担任の先生に「お前は将来どうするんだ?」と聞かれ「自分は武術で生きていきます」と答えたら、
「お前、武術って何だ、俺が言っているのはな。就職か進学かどちらか、だと聞いているんだよ」
「ですから、武術で生きていけるように頑張ります」と答えたら、
「お前な、どこにそんな生き方のできるところがあるんだ、いい学校へ入って、いい会社入って、出世して、定年してから好きなことをすりゃいいんだ」
「俺は嫌です、自分の生き方を目指します」
「勝手にしろ、バカな奴だな後で泣きを見るぞ」
「すみませんでした」
その後、予備校のセミナーに通いながら空いた時間でいつも武術を練習していました。
国内の大会にも出て、そこそこの成績を取りました。1987年のことです。
当時は中国から長期で先生を呼んでいて、午前から夕方頃まで先生の付き人をして教室の指導での助手をしながらも練習して、
夕方から協会の事務所に近い予備校で夜の10時ぐらいまで勉強してから帰宅して、
翌朝からまた先生と一緒に教室めぐり、という生活をしていました。
でもこの生活は朝から身体を動かし、先生から実技の指導や教訓を学び、夕方からも脳が冴えて清々しく勉強もはかどりました。
次の年の大学受験も受けた学校はすべて合格しました。
そして大学生活でも1年生の終わり頃までこのようにして過ごしました。
その後協会が解散してしまったので、また新たな活動を模索しましたがなんとかなりました。
大学卒業後もホテルマンの仕事と武術を両立しました。そしてその途中で
フィットネス業界に誘われ、今日に至っています。
時々今でも夢に出てくることです。
そして思うのは「言うことを聞かなくて良かった」と。
そしてこの今の世の中での常識のように見せかけて言っていることはほとんど信じていません。
もし自分が信じていたら、今の自分はなかったからです。
最近は定年退職された男性でスポーツクラブでとても多くを見かけます。
担任に言われたことのように過ごしている方々を見て、この皆さんはこの皆さんなりの理由があって、こうしてきたように、
自分は自分なりの理由があって生きてきている。
そして自分が指導している中で、一番の年配の方は現在89歳で、ちょうど10年前からやっているのでキャリア10年で元気に頑張っています。
自分が思うには、自分の作った運動プログラムで10年間89歳の方が楽しくやってもらえるのだから、
自分が89歳まではできるであろう、という自信があります。
経済やお金のことや人生での考え方は、人いろいろとあると思います。
今の自分はそんなに裕福な方ではないけれど(40代で武術を業にして裕福なくらしができるとは元々思っていません)
いつか自分が還暦を迎えた後、病気の心配もなくて、薬代や医療費などの心配も一切せず、介護を受けるような可能性は最も低く、
生涯、元気に生きていける道を行きたいと思います。
もし年配になって慢性的な病気の可能性を抱えた体で、運動キャリアもなく、正しい健康法の知識も実践もなく、
お金は持っているけれど心身の心配で後生を過ごしていく、というよりは、
遙かに自分の目指す生き方を大事にしたいと思います。
それに今現在の現実を見て、自分たちの世代も人数は多く、20年後は60歳ぐらいで80代の親を介護して、というのは普通だと思いますが、
今の若い世代の人たちの衣食住を見ていて思うのは、早期に必ず体調は年配になる前に五感がおかしくなっていくだろうと感じています。
そして今の小さな子たちが見ている今の生活環境を取り囲む情報などを見ていると、
そちらの方が心配になっています。
国や行政なんていうのも、破綻しているのではということに現実味を帯びています。
ずっと真剣に生きてきたことゆえに、思うのは人生で一番大事なのはキャリアと元気な心身だと思います。
3ヶ月間のトレーニング計画をかけてきた仕上げはいいところまできていると思います。
残りの時間は先ず身体面全面での回復状態を基盤に、戦術的な最終調整ができれば本番は大丈夫だと思います。
今の一番能力の高いメンバーたちのは古くは2004~06年頃から初めて、2007年~2009年頃にメンバーが増えてきました。
2008年から再スタートした交流会での練習を通じて、本場の中国の大会でも成績がとれるようにと考え、
2009年、2010年。そして昨年の2011年で伝統拳、伝統器械、対練とこなせるようになり、
中国の武術専門学校レベルにまで追いついたと思います。
国際大会は各国の風格なども加味されるので今回は楽しみだと思います。
皆さんによく話しをするのですが、この日本の世間とは誰でも知っているように厳しい現実の連続がいつもあります。
その中でも大事な自分の一生涯を企業の奴隷の如く扱われずに自分らしい生き方ができることをすすめています。
自分は今までに多くの方々を見てきました。
かつて大学受験に落ちた後、高校を卒業する時に担任の先生に「お前は将来どうするんだ?」と聞かれ「自分は武術で生きていきます」と答えたら、
「お前、武術って何だ、俺が言っているのはな。就職か進学かどちらか、だと聞いているんだよ」
「ですから、武術で生きていけるように頑張ります」と答えたら、
「お前な、どこにそんな生き方のできるところがあるんだ、いい学校へ入って、いい会社入って、出世して、定年してから好きなことをすりゃいいんだ」
「俺は嫌です、自分の生き方を目指します」
「勝手にしろ、バカな奴だな後で泣きを見るぞ」
「すみませんでした」
その後、予備校のセミナーに通いながら空いた時間でいつも武術を練習していました。
国内の大会にも出て、そこそこの成績を取りました。1987年のことです。
当時は中国から長期で先生を呼んでいて、午前から夕方頃まで先生の付き人をして教室の指導での助手をしながらも練習して、
夕方から協会の事務所に近い予備校で夜の10時ぐらいまで勉強してから帰宅して、
翌朝からまた先生と一緒に教室めぐり、という生活をしていました。
でもこの生活は朝から身体を動かし、先生から実技の指導や教訓を学び、夕方からも脳が冴えて清々しく勉強もはかどりました。
次の年の大学受験も受けた学校はすべて合格しました。
そして大学生活でも1年生の終わり頃までこのようにして過ごしました。
その後協会が解散してしまったので、また新たな活動を模索しましたがなんとかなりました。
大学卒業後もホテルマンの仕事と武術を両立しました。そしてその途中で
フィットネス業界に誘われ、今日に至っています。
時々今でも夢に出てくることです。
そして思うのは「言うことを聞かなくて良かった」と。
そしてこの今の世の中での常識のように見せかけて言っていることはほとんど信じていません。
もし自分が信じていたら、今の自分はなかったからです。
最近は定年退職された男性でスポーツクラブでとても多くを見かけます。
担任に言われたことのように過ごしている方々を見て、この皆さんはこの皆さんなりの理由があって、こうしてきたように、
自分は自分なりの理由があって生きてきている。
そして自分が指導している中で、一番の年配の方は現在89歳で、ちょうど10年前からやっているのでキャリア10年で元気に頑張っています。
自分が思うには、自分の作った運動プログラムで10年間89歳の方が楽しくやってもらえるのだから、
自分が89歳まではできるであろう、という自信があります。
経済やお金のことや人生での考え方は、人いろいろとあると思います。
今の自分はそんなに裕福な方ではないけれど(40代で武術を業にして裕福なくらしができるとは元々思っていません)
いつか自分が還暦を迎えた後、病気の心配もなくて、薬代や医療費などの心配も一切せず、介護を受けるような可能性は最も低く、
生涯、元気に生きていける道を行きたいと思います。
もし年配になって慢性的な病気の可能性を抱えた体で、運動キャリアもなく、正しい健康法の知識も実践もなく、
お金は持っているけれど心身の心配で後生を過ごしていく、というよりは、
遙かに自分の目指す生き方を大事にしたいと思います。
それに今現在の現実を見て、自分たちの世代も人数は多く、20年後は60歳ぐらいで80代の親を介護して、というのは普通だと思いますが、
今の若い世代の人たちの衣食住を見ていて思うのは、早期に必ず体調は年配になる前に五感がおかしくなっていくだろうと感じています。
そして今の小さな子たちが見ている今の生活環境を取り囲む情報などを見ていると、
そちらの方が心配になっています。
国や行政なんていうのも、破綻しているのではということに現実味を帯びています。
ずっと真剣に生きてきたことゆえに、思うのは人生で一番大事なのはキャリアと元気な心身だと思います。