今月はインストラクター短期養成スクールの講義がなかったので午前中に空き時間が出来たので剣術の稽古をしていました。

小太刀の型をまとめることが出来たのでこれもだんだんとやっていきたいと思います。

久しぶりに東横線の渋谷方面に乗りました。久しぶりに以前通勤した時の感覚とかを思い出しました。

今日の武道場は平日の割には比較的多くの方がいました。

制定居合いに打ち込む方、古武道に打ち込む方、合気道の練習をしている方。太極拳の練習をしている方。

伝統の中国武術を練習されている方。

今日は袴を穿き道衣を着て居合い刀と木刀と小太刀を持っているのでおそらく自分を中国武術系と思う人はないだろうな、というような感覚や、

以前はこの武道場でも中国武術項目の練習をやっていたところなのでちょっとした不思議感覚も思いました。

感覚の違い・・

これが自分のメリットでもありますが、デメリットにもなることは今までにも、とにかくたくさんありました。

自分は意識的にやっていることではないのですが、いつの間にか「こういう人間」になってしまったことについて、

自分はこうして目指してやってきたことなのですが、普通になれない自分にも歯がゆく思うことも実はあります。

しかしこうなってしまった以上戻れないし、どうしたら普通にやっていけるのだろう、という気もします。

いつも普通をやらないから浮いてしまうこともあるし、誤解されることもたくさんあります。

ニュースの見方や未来予測の仕方も異なるし、話の興味も異なると思います。

奇人変人扱いを受けてきたことは普通ですが、それにも慣れてしまった自分を時々遺憾に思います。

思えば世間一般的においてではメリットよりもデメリットが多いのかも知れません。

でも最近思ったのは放送作家とか広告代理店の人たちのような「普通感覚」を理解して、

仕組んで先回りしてそれを生かしたビジネス感覚なんてものが自分が身につけられていたら、良かったのだろうか、なんて思う時があります。

それに思えば、武芸者とか文学作家なんて存在はそもそも世間から見放されたような人がやっているようなもの、

あるいは真の正しさをひたすらに追求していく世界のことでもあって、

良かれと思ってやってい続けていたことを、思えば身内にもそうは思われずにあって、

理不尽な思いにも捉われることはよくあります。

それもまた処世、そして己の渡世なのだと思います。