今では滅私奉公という言葉は古くてあまり意識されないように思われますが、古来日本からにおいてとても重要なことだと思っています。
滅私とは文豪、夏目漱石のいう「則天去私」の境地であり、奉公は「公:おおやけ」世間様すべての発展のために仕え奉る、ということです。
現代で仕事をする、という感覚は人それぞれの理由でそれぞれの価値観があると思います。
理由あって武術院を創設し、この10年間ほどを振り返ると、私なりの滅私奉公を頑張ってこれたと思いますが、その中ではとてもよい学びを与えてもらえたことが大事に思っています。
滅私とは私の理由でなく、ただ人様の理由のために行うことです。
しかし、そうすることで見えてくることはたくさんあります。
普通一般の人々の思いとか、関心や興味とか、それに現代ならば行政のしくみとか、一般営利企業としての考え方とか、その他法人とかの構造までも客観視できて、
その中で自身の生き方とかを考えられるようになると思います。
現代日本社会の構造はとても複雑で、それを見えるようになるのはかなりの時間がかかりました。
しかしそれが解ると現代日本社会の歪みや懊悩の正体が見えてくることは、この10年間ほどは大事な経験でした。
今の自分の存在は「かつての自分」が思っていた姿を目指してやってきました。
つまりは経済的にも時間的にも大きな負担をかけられず、安全・安心に武術運動全般を学ぶことが出来て、
将来に職業としても特技としても身につけられて一芸で身を立てられるようになれる、そんな学び舎を運営してきたつもりです。
その空間では、人の業の多くをも知ることができたと思います。
滅私奉公とはそれを体感で理解するためにあるものと気付いたのです。
世間というのは誰であっても厳しい空間です、それをいかに和らげられて、人々の冷たい感覚だけが世間ではなく、
温かみのある人たちの場所もあるのだ、ということを実現するのは
自分もその世間を構成する中にいる人の一員としての責任を果たす、ということを考えていました。
最近の教え子たちを見ていて若き頃の自分の懊悩や日本社会への不信のあった頃を思い出します。
そういえば自分にもそういう時期があったな・・
その時の実在する日本人では誰ひとりも答えられる人も教えてくれる人もいなくて文芸や思想哲学から学びとった感覚でした(団塊の世代が活躍したご時勢でしたので・・)
自分の中国にいる師がチャンスや処世を教えてくれたことと古来の日本精神が大きな支えでした。
逆をかえしていえば、日本精神を失った現代日本社会の空間やその具現者たちとのたたかいでもあった気がしました。
こうして時間が経ってみると、やってきて良かった。その支えられたすべてに感謝の念を感じます。
そうすると自然に心から「有難う御座いました」といいたくなってくるのです。日本古来の神社信仰の存在もここにあるのだと思います。
滅私とは文豪、夏目漱石のいう「則天去私」の境地であり、奉公は「公:おおやけ」世間様すべての発展のために仕え奉る、ということです。
現代で仕事をする、という感覚は人それぞれの理由でそれぞれの価値観があると思います。
理由あって武術院を創設し、この10年間ほどを振り返ると、私なりの滅私奉公を頑張ってこれたと思いますが、その中ではとてもよい学びを与えてもらえたことが大事に思っています。
滅私とは私の理由でなく、ただ人様の理由のために行うことです。
しかし、そうすることで見えてくることはたくさんあります。
普通一般の人々の思いとか、関心や興味とか、それに現代ならば行政のしくみとか、一般営利企業としての考え方とか、その他法人とかの構造までも客観視できて、
その中で自身の生き方とかを考えられるようになると思います。
現代日本社会の構造はとても複雑で、それを見えるようになるのはかなりの時間がかかりました。
しかしそれが解ると現代日本社会の歪みや懊悩の正体が見えてくることは、この10年間ほどは大事な経験でした。
今の自分の存在は「かつての自分」が思っていた姿を目指してやってきました。
つまりは経済的にも時間的にも大きな負担をかけられず、安全・安心に武術運動全般を学ぶことが出来て、
将来に職業としても特技としても身につけられて一芸で身を立てられるようになれる、そんな学び舎を運営してきたつもりです。
その空間では、人の業の多くをも知ることができたと思います。
滅私奉公とはそれを体感で理解するためにあるものと気付いたのです。
世間というのは誰であっても厳しい空間です、それをいかに和らげられて、人々の冷たい感覚だけが世間ではなく、
温かみのある人たちの場所もあるのだ、ということを実現するのは
自分もその世間を構成する中にいる人の一員としての責任を果たす、ということを考えていました。
最近の教え子たちを見ていて若き頃の自分の懊悩や日本社会への不信のあった頃を思い出します。
そういえば自分にもそういう時期があったな・・
その時の実在する日本人では誰ひとりも答えられる人も教えてくれる人もいなくて文芸や思想哲学から学びとった感覚でした(団塊の世代が活躍したご時勢でしたので・・)
自分の中国にいる師がチャンスや処世を教えてくれたことと古来の日本精神が大きな支えでした。
逆をかえしていえば、日本精神を失った現代日本社会の空間やその具現者たちとのたたかいでもあった気がしました。
こうして時間が経ってみると、やってきて良かった。その支えられたすべてに感謝の念を感じます。
そうすると自然に心から「有難う御座いました」といいたくなってくるのです。日本古来の神社信仰の存在もここにあるのだと思います。