芸は身を助く、という言葉がありますが真実だと思います。

世の中には諸芸がありますが、自分は武芸の道に進んで本当に良かったと思います。

思うに日本の歴史を思えば、中国や韓国との交流なしには語れないものばかりだと思います。

中国武術の歴史と日本の歴史を照らしながら考えると感慨深いものがあります。

中国武術は明~清の時代に大きく発展し、今現在に多くある諸流派はこの時代に確立した武芸が多くありました。

日本は1600年代に徳川秀忠が将軍の時代に鎖国体制を敷いたので海外との交易はこの頃は長崎の出島のみに限られて、当然中国の武芸者との交流などはできなかった時代でした。

長崎の出島から、関西~中部地方あたりには陳元賓が伝えた関節技の技術が柔術になり、国内にはそれが人から人へと伝わったようでした。

琉球は薩摩藩との関わりで唐手:空手でもその時代は交流があったと思います。

関東地方では当然に剣術が主流でした。

そして清朝は満州族なので漢民族の武芸を禁止したりをしていたので中国国内でも激動の時代でした。

それから辛亥革命を経て中華民国、共産党との内戦、中華人民共和国建国、そして40年前の国交回復があってから今日があります。

こうしてみれば、日本人が中国武術を直接に体得するチャンスは時代的に少なかったことがわかります。

自分は1985年から大陸で始めた学びを定期的に何度も行ってきて、日本に戻ればそれを自身でずっと修練し、当時は同期や後輩たちに伝え、そしてまた新たな学びを繰り返し、養生にも力を入れるようにもなりました。

もうそれから27年ほど経ち、自分が得たかったものはほぼすべてに有り難く身に着いたと感じています。これからは更に深化させながら精進を重ね、

日本:自分の領域では関東地方、拠点は横浜を中心にいいかたちにしながら融合していくことを目指しています。

この冬には武術の短兵という器械スパーリングを武術院では練習に取り入れました。そして今は自分の原点でもあった日本剣道、太刀の術や居合いを行っています。

自分の体感の中では日本の武芸と中国の武術は互いに長所を伸ばし、短所を補えると思います。

木剣での打ち合いをやってみればわかりますが日本刀での闘いというのは一切の無駄な動きが出来ず一瞬の接触ですべては決まります。

しかし体育や養生という側面では短所になってしまうことがあったと感じました。

中国武術は技が多彩で、その範囲は武技:攻防技術、武戯:健身、養生の側面、そして武舞:交流やコミュニティーの面を持っています。

しかし範囲が広すぎるので活動に何を中心に据えるか、どのように広げていくかに誤りをすると、その方法がすべてに中途半端になってしまうことがあります。

最近は嬉しいことがありました。

私は自身の稽古では居合いはその性質上に屋内でしかできないので、屋内で静かにひっそりとに行っていますが、木剣:木刀では野外の自然を感じるところで素振りや型を行っています。

今迄に野外では気功や太極拳などをやったりはあちこちでよくしています。その他に武術基本功や器械もやったりしました。

太極拳はもう珍しくないのですが、棍術などをやっていると不思議な目で見られるのが普通でやはり落ち着きがなかなかなかったのですが、

先日に木剣での太刀の術の稽古をしていたら、おそらく80代半ばくらいの女性が私の稽古を見ていて、ひと息をついたらこちらへ近づいてきて、

一言「格好いい」と褒めてくれました。

今迄の中で初めての経験でした。

やっぱり日本に根付いた武芸文化なのだな、と思いながら自分としては両方を確立しながらも、両面で学ぶと本当に素晴らしいと思い、

我々の活動でも生かしたいと思います。