「日本らしさ」とは何か、と問われれば人それぞれにいろいろと考えが生まれると思いますし、それを言葉で表せとすると、とても難しいのを感じると思います。

「日本っていいな」

それは何がいいのか、一言では足りないし、言葉を上げ続ければきりがなくなります。


私自身の所感では「寛容さ」と「厳しさ」の究極的なバランス感覚をとることの彼方に出来たもの。

というように考えています。

例えば吉田松陰の歌。

「かくすれば かくなるものと知りながら己むに己まれぬ大和魂」があります。

これを意訳してみれば「こうしてしまえば、こうなるだろうと 知っていながらも解っていながらも やらなくてはならないことを やってしまう それが大和魂なのだ」


しかしこれは 植木等のスーダラ節での「解っちゃいるけどやめられない」とは精神面ではまったく異なる一線を画します。


武士道を示す表現に「桜」があります。

知られる通りに「パッと咲いて パッと散る」その潔さと美しさをなぞらえている言葉です。

そして今の時候を見れば判ると思いますが

桜は先に鮮やかな美しい花を咲かせ パッと散った後に力強い緑が育ち これから後半年以上先に後の晩年に美しい紅葉となることです。

つまりは、自分が散っても散ったがゆえに後々の多くの繁栄のためにも己が散ることを厭わない、そこにあると思います。


後々の繁栄のためには「寛容:大らかさ」をもって許すこと。

自身においては後々の影響も考えて「厳しさ:戒め」を守ること。


ここにあると思います。

私がこの「日本らしさ」を思うに八百万の神々もそうですが、許容範囲は元々広いものだと感じています。

古来は土着日本意識にアジア広くに中国や朝鮮の文化を取り入れ、南は琉球、台湾、昔話をみると東南アジアのものまで取り入れています。

北は蝦夷という表現をしていましたが東北、北海道、樺太などいくつかの北方領土地域、アイヌ、ロシア文化もあったと思います。

つまりは元々多くを取り入れ融合し、そこから「良い」とされるものを究極に研鑽し残してきたものが古来からの「日本文化」だと思っています。

現代の日本ではより広範囲で国際的になり、より多くの文化が入ってきたことは 実はこれからの日本の未来を考えればよりまた新たな素晴らしい繁栄を高められる可能性を持っています。

これは多くの皆さんが感じていることだと思います。

しかし今大事にしておきたいのは精神文化において

五感では視覚においては桜のような美しさ、潔さを感じるかどうか、

聴覚では鳥たちのさえずりのような心地好さや滝の流れや川のせせらぎのような心地好さか、

嗅覚ではこれからの花や風の心地好い薫りがあるかどうか。

味覚ではタケノコや山菜や鮎のような精のある食材の美味しさがあるかどうか。

触覚:皮膚感覚では心地の良い初夏のそよ風や、冬のキリッと引きしまる空気かどうか。


道元は「春は花、夏ほととぎす 秋は月 冬雪冴えて 涼しかりけり」と詠みました。


四季の美しさ、そしてそれを受け止めて大切にする「心」であり。

「日本の良さ」が「日本らしさ」を導くのであり、

それを失えば土着の人であっても「日本らしさ」を失うのであり、

逆に、それはどこの誰であってでも「日本らしさ」を持っていれば大きな可能性となり、

それを大事にしていくのが「日本」の「人」なのだと思います。