震災を経て1年1ヶ月と少しが経ちました。冬を越して東北でも着実に復興が進んでいるようでうまくいくよう願っています。

関東都市部でも震災のことが記憶から遠ざかってきているようで良い面ではショックからようやく解放されるようになったこと。

悪い面ではもう喉元過ぎたら熱さ忘れる、のようでちょっとしたハプニングでもすぐに相変わらずにうろたえているようなことが結構見られます。

自分の感覚ではハプニングが起きた時の3~5秒が一番大事と考えています。

その場所で何をすれば良いか、あるいは何をしてはいけないか。

瞬時の判断でその後がほぼ決まります。

一番怖れているのはエレベーターの中と地下鉄車内です。

人ごみの中は大勢のパニック状態がハプニングそのものより恐い時があります。


今年は予感として台風やゲリラ豪雨などに心配し対処したいと考えています。

自分のスケジュールではちょっと前から移動距離も必要最低限にするようにしていつでも自身を守れるようにしましたがトラブルは何時やってくるかわからないので臨戦態勢のような心持ちを大事にしています。

この1年ちょっとの間はいろいろと日本の多くの歴史を様々な角度から調べて勉強し、そこから学んできました。

とても素晴らしい誇りに持てることと、まだまだ全体的の中の一部には意識的に注意して直さなければならないことがいくつかあるように思います。

しかしそれは占領軍GHQによる戦後教育での影響やそれからもかなり歴史を遡って日英同盟のことからも考えていかなければならないのと、

現代日本の厄介な問題との複雑にからみあっています。

少し前に電車内のテレビ広告で、

「ニッポンジン ハ ニッポンノコトガ スキデスカ」なんてキャッチコピーで日光で温泉や浅草などが紹介されていました。

香港や中国ではまた最近は反日のカンフー映画が多く作られて目の敵にされているものが出てきました。

また何かがもたげてきているのかも知れません。

世界に誇れる製品や勤勉さは大事ですが、国内では欧米化の習慣が定着してしまったことの悪弊も目立ちます。

とにかくこれでは外交でもすべてに「日本はなめられている」そう感じることが多いです。そしていつも「なめられてしまう理由」についても現実を直視して考えています。

便利で何でもあってまだまだ治安は良い国ですが、今の子供たちの眼に映るありとあらゆるすべての印象を受けてどういう人間に育つだろうか、とか考えます。

教育機関でも立派な人間を育てるためではなくて報酬を得るための仕事・手段になっているだけになっているのを感じる時があります。

それは医療にもなっていることがあるし、ありとあらゆるすべてになりつつあります。


先週に念願の日本刀の居合刀を入手しました。

朝昼晩と空いた時間に握ってはいろいろと想いを感じます。じっと見て入ればお守りとなる理由が解ります。

日本刀の素晴らしいところは、すべてというすべてに無駄がなく実用重視で美しい・・そして闘いにつかえる器である、ということです。

日本精神はそこにあると思います。

普段は木刀を使って稽古をしていますが木刀のつくりも本当によくできていて素晴らしいものです。

最近改めて考えると日本武道は太刀の術を重視している理由が判ります。

自分は潜在的無意識の中で中国の武術、太極拳、導引や健身気功を学び得て「体捌き」「養生」での日本武道にないものを補ってきていたのだ、と悟りました。

かつては日本から中国、アジア全体。

そして世界へと意識が向き、世界から見る日本、そして今後はアジアから見られていく日本になっていくでしょう。

そして原点回帰で古来の日本的観点から見る現代日本を見るようになるだろうと思います。


今の日本は物質として何でもあるけれど、精神:魂のこもっているものがとにかく少ない。

しかもそれらを大事にしている人を茶化したりする傾向まであります。


これからオリンピックムーブメントが始まりますが、ワールドカップと同じく俄かスポーツファンがやたらと増えて、

その時ばかりのみ熱狂して国旗を振りかざし、それが終わると3ヶ月もしないうちに元に戻る。

現代では「冷静になる」ということではなく「冷静」をできない人が多いのかも知れません。


毎回のことですが私にとって基本はいつも和魂漢才。

あくまで西洋文化は活用し易いものを取り入れるという感覚。

冷静沈着に日々を慎ましく過ごし、風土を愛し 

優しい素朴な人たちとの普通のふれあいを尊び学びあい、切磋琢磨をし合う、そういうことを大事にと思っています。