昨日は日本列島をもの凄い速度で低気圧が通り抜け、心配の一日が通り過ぎました。
今回はこの一年の大きな自然災害での対策の教訓も活きてきて良かったようにも思いました。
やっぱり現場の判断力やリーダーシップも先を見据えた動きが重要だと思います。
昨日のように心配で仕事が手につかないような場合は、緊急を要する場合でない限りすぐに安心できるように配慮してすすめるべきです。
一晩明ければ、もうこのように安心して昨日の分も取り返すべくみんなが頑張れるはずだからです。
武術の練習もそうだと思います。
私の経験でかつては初心者が痛い目をいきなり合わされたり技をかけられたり、何か師範や上級者が嬉しそうに傷めつけるようなやり方が結構あったと思います。
私自身のそういう経験から、そういう方法は一切取りません。
相互不信の状態で物事はうまくいくようなことはないと考えているからです。
初めは基礎重視のからだづくりから始めて、だんだんと拳脚の技を練習するようにして、
套路では記憶力、表現力、用法を理解するようにして柔軟性、持久性の体力ををつけてから、安心してできるようになったら対打拳や関節技とか器械の対練を行えます。
人間の行うことだからミスは必ず出ます、出した拳や器械が違うところへ入ったり角度が違ったり、よけそこなったりと、いろいろとありますが、
落ち着きがあれば咄嗟に判断でそのミスの出た技もかわせるようになり、そこから応用感覚が磨かれてくることで、長く時間をかければ武術的判断力が磨かれてきます。
そして套路運動は己に打ち克つ修練に繋がります。
武道では型といいますが武術は套路といって「套」とはまとまったもの:セット、ということで「路」は人それぞれの修練の道、ということができます。
多くの技の完成度を上げるためにもかなりの時間を費やしますし、それは自身の意志で行われることなので「志」はより強くなれると思います。
そしてまた対練や集体の練習を行えば、より深く技を理解したり、協調性が身につくと思います。
今の時代になって多くが気付いて欲しいのは敗戦を経て日本はGHQによって武道廃止や思想教育などでも作り変えられたものを与えられてきました。
そこで戦後67年めの今、その該当した年数だけ時代背景によっていびつな状態があったとしても、まだまだそこから修正しやり直すことはいくらでも可能だと思います。
柔道がオリンピック項目化して後 空手が流行し、そしてプロレスとかキックボクシングなどが入ってきてそこからアメリカンスタイルで交じり合ったものができるようになりました。
中国武術は40年前の1972年の日中共同声明まで大陸とは国交がなかったので台湾や香港での中華民国時代の功夫が日本では広められました。
1978年の日中平和友好条約以後に大陸との武術交流もできるようになり、私たちの世代は運よく10代半ば頃から始まって今の時代まで現地で学ぶことが出来ました。
中国の変化も大きくなりました、台湾とも一時期は緊張した時代もありました。
今はかなり良い状況になったと思います。
ですからいがみ合う時代ではなくなり協力し合える時代になれたことは喜ばしいことで、
確かに今は情報過多でごちゃごちゃになっているところもありますが、しっかりと特徴や性質を分類してやっていけば、どの分野でも発展できるようになると思います。
今の日本国内を見ると、その恵まれた環境に気付かずにネガティブ方面へ向かってやっている印象を持つ人たちをいくつか感じます。
やっぱり大事なことは、心を清めて澄んだ気持ちで打ち込むことだと思います。
心の清らかでない人は自ずからその姿を現すだろうと思いますし、そういう人たちがいても常に良い方向へ向かっていくポジティブさを持ってやっていけばそれらが主流になっていけると感じています。
昨日の危機意識や応対が今日の安心に繋がっていると思います、ですから安心感から力が出る、ということだと思います。
この感覚を大事にやっていければ日本はまだまだ発展できると信じています。
今回はこの一年の大きな自然災害での対策の教訓も活きてきて良かったようにも思いました。
やっぱり現場の判断力やリーダーシップも先を見据えた動きが重要だと思います。
昨日のように心配で仕事が手につかないような場合は、緊急を要する場合でない限りすぐに安心できるように配慮してすすめるべきです。
一晩明ければ、もうこのように安心して昨日の分も取り返すべくみんなが頑張れるはずだからです。
武術の練習もそうだと思います。
私の経験でかつては初心者が痛い目をいきなり合わされたり技をかけられたり、何か師範や上級者が嬉しそうに傷めつけるようなやり方が結構あったと思います。
私自身のそういう経験から、そういう方法は一切取りません。
相互不信の状態で物事はうまくいくようなことはないと考えているからです。
初めは基礎重視のからだづくりから始めて、だんだんと拳脚の技を練習するようにして、
套路では記憶力、表現力、用法を理解するようにして柔軟性、持久性の体力ををつけてから、安心してできるようになったら対打拳や関節技とか器械の対練を行えます。
人間の行うことだからミスは必ず出ます、出した拳や器械が違うところへ入ったり角度が違ったり、よけそこなったりと、いろいろとありますが、
落ち着きがあれば咄嗟に判断でそのミスの出た技もかわせるようになり、そこから応用感覚が磨かれてくることで、長く時間をかければ武術的判断力が磨かれてきます。
そして套路運動は己に打ち克つ修練に繋がります。
武道では型といいますが武術は套路といって「套」とはまとまったもの:セット、ということで「路」は人それぞれの修練の道、ということができます。
多くの技の完成度を上げるためにもかなりの時間を費やしますし、それは自身の意志で行われることなので「志」はより強くなれると思います。
そしてまた対練や集体の練習を行えば、より深く技を理解したり、協調性が身につくと思います。
今の時代になって多くが気付いて欲しいのは敗戦を経て日本はGHQによって武道廃止や思想教育などでも作り変えられたものを与えられてきました。
そこで戦後67年めの今、その該当した年数だけ時代背景によっていびつな状態があったとしても、まだまだそこから修正しやり直すことはいくらでも可能だと思います。
柔道がオリンピック項目化して後 空手が流行し、そしてプロレスとかキックボクシングなどが入ってきてそこからアメリカンスタイルで交じり合ったものができるようになりました。
中国武術は40年前の1972年の日中共同声明まで大陸とは国交がなかったので台湾や香港での中華民国時代の功夫が日本では広められました。
1978年の日中平和友好条約以後に大陸との武術交流もできるようになり、私たちの世代は運よく10代半ば頃から始まって今の時代まで現地で学ぶことが出来ました。
中国の変化も大きくなりました、台湾とも一時期は緊張した時代もありました。
今はかなり良い状況になったと思います。
ですからいがみ合う時代ではなくなり協力し合える時代になれたことは喜ばしいことで、
確かに今は情報過多でごちゃごちゃになっているところもありますが、しっかりと特徴や性質を分類してやっていけば、どの分野でも発展できるようになると思います。
今の日本国内を見ると、その恵まれた環境に気付かずにネガティブ方面へ向かってやっている印象を持つ人たちをいくつか感じます。
やっぱり大事なことは、心を清めて澄んだ気持ちで打ち込むことだと思います。
心の清らかでない人は自ずからその姿を現すだろうと思いますし、そういう人たちがいても常に良い方向へ向かっていくポジティブさを持ってやっていけばそれらが主流になっていけると感じています。
昨日の危機意識や応対が今日の安心に繋がっていると思います、ですから安心感から力が出る、ということだと思います。
この感覚を大事にやっていければ日本はまだまだ発展できると信じています。