現代日本には多くの武道があって人それぞれ価値観もそれぞれになってきています。

そして武道の定義として「用」「美」「道」の三つの融合体である、ということを当然踏まえています。

私自身の経験として初めに小学生から学んだ剣道があり、中学生から中国武術。

武術基本功、長拳、伝統長拳の華拳、査拳、太極拳各式からそして様々な伝統拳術、刀剣棍槍の4大兵器、そして多くの十八般武芸での伝統器械、対練各種、散手攻防技術。

導引、吐納の研鑽を経て静気功としての内功を修め 内丹を体解出来るようになり、そこから健身気功五禽戯、八段錦、伝統気功五禽戯などの動気功の練功を行い、

日々の稽古をさまざまに行ってきて今日に至ります。

実は中国武術界に転向した後でも今までにも日本武道との交流があって以前は神奈川県警察での新年の鏡開きでの演武会や多摩武道館で日本古武道の演武会にて演武を行い交流などもしてきました。

(思い出せば警察署内で演武をした時に何人かのおまわりさんがしげしげと我々の刀や槍を興味深く見ていたのが印象的でした、その時見た警察官の逮捕術は見事でした・・)

この2年ぐらいでようやく永続してやっていくスタイルが定まり、その活動も有り難くすすんでいます。

武道では「用」「美」「道」という定義はわかりやすくて素晴らしい表現ですが、

しかし私の感じてきた経験としては、より具体的で質の良い練習、訓練、練功、すなわち稽古がどのようにまとまっていくか、は大事なことだと思います。

中国武術的表現では

「用」用法では「攻防技術」美は「健身」「道」は「修身」というようになっています。

中国武術の活動では大体は「美:健身」「道:修身」の2つはどこでも行っていると思います。

もう一つの「用:攻防技術」が日本においての武術活動でも、武道・武芸として求められているのものとして とても大事に考えられているように感じています。

当然、私たちの活動の中でも重要視して行っており、その指導としては今までに各種の対打拳、器械対練をこなせるように昨年の秋まではやってきました。

しかし、ここまで来るのにしっかりとした基本功や套路を経て実際に「かたち」ができるようにならなければ対打形式へは進ませないようにしています。

あるいはそういう格闘世界を空想的に語るようなことは戒めています。

何故なら「かたち」のないもの同士では何をやっても「対」にはならない現実があるからです。

これは他の何でもそうです、文字が書けなければ人同士の言葉のやりとりも出来ないし、会話も先ず想いがあって単語を知らなければやりとりがうなくいかないことです。

武術になれば尚更当然のことですが、時折それらが普通になっていて不思議に思うことがあります。

(おそらく知らないからこそできることだと認識しています)

中国語で「そうです」という言葉は「対:dui」と発音します、

当然言葉の示す通りに「対:そうであるか、不対:そうでない」か、から始まることをも文化意識を知る必要があります。

五禽戯の名家の老師がいわゆる奥義と呼ばれる境地のことを「会・対・巧・妙・絶」と仰いました。まさにその通りだと思います。

「対」は2番目の段階のことにも共通していることです。

この冬には短兵という自由意識の中で行う剣同士の対戦練習を行いました。やっぱりそこで行ったことで動体視力・集中力を養い反射神経の動きが活発になってきた印象があります。

そして先週から木刀を使った剣道での打ち合い、寸止めでの対戦稽古も取り入れて行ってみました。将来的には道衣を着て日本刀の抜刀術や居合いなどの応用わざをこなせるようになれたらと目指しています。

私の今までの武道経験がひとつの体系としてまとまってきた感がこの2年間で感じています。

まだまだ学びを大事に精進・修練していかなければならないことばかりですが、具体的で確実な練習がずっと行えてきたというのは自分の感性に正直さを大事にしてきたことは良かった、と思います。

私は中国武術文化にて体育、医療、軍事的訓練を積み心身のありとあらゆる修練を経て、最期に日本武道へ回帰していくというスタイルをとります。

今までの日本では古武道の流派の方々が太極拳、形意拳、八卦掌などを取り入れてきたのはいくつか知っていますが、一度完全に中国大陸スタイルに入り込んで30年ほどかけて吸収してきて、

改めて日本武道としての確立を目指すというのは未だないように感じています。

それに最近思ったのは、私自身はいつでも現場、現場で練習をずっとやってきて体得した感覚、出会った多くの達人の皆さんとのイメージ、実体験の中でいつもお話させて頂いていますが、

確かに世界各地で多くの武術や武道が広まっていくにあたり、「・・ファン」という存在も大事で書籍や映画やテレビなどでのイメージアップ作戦も経済的なサポートを得るためにも消費者的で重要な存在なのだな、と理解するようになりました。

それに現代人は忙し過ぎて、そういった空想世界での憧れもなければ毎日がつまらないものになってしまうということだと思います。

それはきっと最近流行している漫画やゲームでもそうだと思います。

それに感覚として、長い時間をかけてきた自身の修練、大会出場などでの比武、そういった実体験でできた身体、わざ、思想・哲学はこれからの自分の人生で活かせることばかりなので、

よくある虚構の空想世界と現実面での比較で妄想してしまったあまり意味のない議論のための議論や批判は気にならないようになりました。

何故なら、今この瞬間にできるものを持つ人と空想世界でいるのとは存在する次元違いだからです。

ですから、我々の活動もみんなで力を合わせてこれからの日本にまだない新しい世界を現実化して、そして様々な分野でも発展できたらと思います。

現実に存在する力はどんな世界であれ大事なことです。