老子のことばに「人を知る者は智なり、自ら知る者は明なり」があります。

よく思うことに古今東西、武の道を学べば学ぶほど仁、義、礼、智、信つまりは「文」の重要さを知るようになります。

日本での中国武術世界を見ると、文化性を感じられることのない 何かいびつで違ったかたちで初めにもたらされてしまったことの影響が、様々なところへ顕著に現れていることを時折感じます。

しかしながらそれらはそれら、着実に時は流れ行き、我々はこれからの多くの方々へ文武両道としての武術教養を大切にして広めていきたいと思います。

「人を知る者は智なり」

つまりは智を得れば得るほど「人」を知る、ということに「わざ」を教授して戴いた貴い師のことや同門の友人、頑張っている我が門人たちのことを思います。

そして智のなかった人をも思う時がたくさんあります。

今までに不憫に思う様々な回想録からしっかりと注意をしなければならないという反省の念を感じるのです。

「自ら知る者は明なり」

「明:明らか」になればなるほど自分のやってきた功、

かけた時間。質、いくつかの比武の機会を通じても知る、今までの自身のやってきたこと。

これからやるべきこと。


それには信があるか、勇があるか、忠や義があるか、そんなことをも思います。

功夫、武術、武道。

いろいろと呼び名があっても、それは最終的にどれも武之道。

智と明によっておのずと「道」が照らされる、そう思います。